見出し画像

思い出との付き合い方

思い出って大切なものだと思っていたら、『とっておきたい派』『どうでもいい派』『残しておきたくない派』がいるのだなとあるとき気付いた。こうやって書くと、物事には肯定・否定・中立の3パターンがあるのだから、当然と言えば当然だ。

私にとっての思い出とは何だろう。歩いてきた道、積み上げてきた土台、経験。そして、無くなっても心の中に残る、過去の自分の感情の軌跡なのかもしれない。思い出の中の出来事には、必ずと言っていいくらいその時の感情が紐づいている。

では、どうでもいい派・残しておきたくない派の人たちにとってはどうなのだろう。そこに重要性や意味を感じていない、もしくは残しておくことでネガティブな影響があると思っている、ということだろうか。
過去はもう終わったことで、今あるものがすべて、そしてこれから何に向かって行くかが大切、ということかもしれない。

こう考える事はできないだろうか。
思い出を大切にする人は、過去の出来事が今の自分を作っていると考える。
思い出はどうでもいい、という人は、過去の出来事と今の自分との間に因果関係をあまり見出していなくて、これからどう生きていきたいかに重点を置いている。
そして、残しておきたくない派の人は、過去の出来事が今の自分に影響を与えているからこそ、そこから目をそらしたいタイプの人と、未来、つまりこれからどう生きていくかに集中したいから、思い出=過ぎ去って今はもうないものに振り回されたくないというタイプの人に分かれるかもしれない。

もう一度自分の感じ方に戻ると、思い出して幸せな気持ちになるような思い出、教訓となっている思い出、痛みがあるかもしれないけれど愛がある思い出は、やはり大切にしたい。しかし、その思い出があることで思い悩んでしまったり、辛かったり、嫌な気持ちになったりするのなら、残しておきたくない。
記録や品物として残っているものは、その基準で整理して行ってもよさそうだ。記憶としての思い出は、そう都合よく取捨選択することは出来ないけれど、辛い記憶は適切な場で語ることで、受け容れたり手放したり、捉え方が変わったりすることは経験上分かっている。
そうすることで、幸せの種としての思い出だけを残し、過去にとらわれず、望む未来(=目的)に向かって前を向いて進んでいくことができるように思う。

過去の自分が今の自分に繋がっていることは確かだが、そこに明確な因果関係があるかというとそうとは言い切れず、過去が変わってもやはり今の自分を選ぶような流れになるかもしれない。だとしたら、知識や教訓といった、思い出というより資産のようなものは別として、感情の流れ、軌跡のようなものには、もう終わった過去のものとして、うまく距離をとる方向で接することができたら…その分のリソースを、もっと未来に向けられるかもしれないと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?