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感謝の力

私は毎朝励ましと、聖書の言葉を送ってくれるグループチャットの一員だ。今朝受け取ったタイトルは「とげにも感謝」というものだった。そこには聖書のパウロがどんな迫害にあって例え牢屋にいても、鞭打たれても、寒さに凍えても、飢えに苦しんでいても、そして辛い時こそ、弱音や嘆きではなく主を褒め称えてきたことが書かれていた。

そして、聖書箇所は1テモテ4:4「神が作られたものはみな良いもので感謝して受け取る時、捨てるべきものは何一つありません」

ここから、まずパウロという肉体的な苦しみをも通った人がこれをいうから本当に力があるし、言葉の重みが増す。いくら人間の目に見えるものが不利益をもたらすものに見えても、本当に主のしていることはわからないし、パウロが実際こうやって尊敬できるモデルを苦しみの後、世代を超えて私たちにしめしてくれていて、そんなところを考えると、現在見えているものだけで判断する、ということについての軽率さを知った。

かぎは、感謝する時それに対して肉体的にも目が開かれる、ということだ。

今日はイザヤ43:18−19も読んだ。そこには「初めからのことを思い出すな。昔のことを思い巡らすな。みよ、新しいことを私は行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒野に道を敷き砂漠に大河を流れさせる。」とあって、改めて主がしていることに対して敏感に従い、感謝する心を持つことの大切さを思い知らされた。

ましてや、主がしようとしていることっていうのはいわゆる人間のいう「不可能」なんだ、とも思った。普通に「砂漠に大河を流れさせる」って笑ってしまうレベルで無理でしょ、って思ってしまう。

しかし、人間の多くは過去の経験から恐れがあったり何かに飛び込むことを止めて主の可能性に蓋をしているのは、過去にしがみついているのは自分なんだって思った。

でも、過去をそのままにさせないこともできる。感謝を選ぶ時、主からのものを感謝して受け取る時、捨てるべきものは何一つないんです、とあるようにもう一度、人間の力を超えた神に、感謝を通して目を向け直すこと。

今日は、結構な雨の日だ。昨夜、晴れの天気を祈り寝たにも関わらず今日は雨の滴る音で目を覚ました。Windsor castle に行く予定だが、雨の日に外を歩くことが好きではない私は、とても絶望し迷った。しかし、お城を見て回ることは好きだし、せっかくロンドンにいるからという思いが勝ち、嫌々ながらも今日のメッセージを思い起こしながら、感謝を神様に無理やりささげながら、片道1時間かけてやっとこさたどり着いた。

そしたらなんと!!!

お城は1月18日まで工事中のため入城禁止だった。。。
ここでも、内心「はぁ〜〜!!!!!」と怒りにまぎれながらも今日は感謝しようと決めたんだった、とわざと笑顔を作り必死に主に感謝をささげた。ドンピシャな日に、感謝についての言葉を送られたものだ。そして雨もどんどん強くなってくる。

そんな中、よかった!と思えることもいくつかあった。
まずは、1、兵隊の入れ替わりの時間にちょうど出会したため、彼らの行進を見ることができた。

そして、2、いくつかのお土産屋さんを見回ると、すっかりお土産を買うことを忘れていたことを思い出しお土産を買うこともできた!そして、3、そのあとはこれからの旅に備えて切る必要のある髪の毛をずっと先延ばししていたがそれの手続きもできた。

家に予定より数時間早く戻ることになり、何をしようか。。。と思っていると久しぶりにずっと話したかった友達からいつか電話しよ〜ってきていて、4、やっと時間をつくり合うことができた。そして、やっといろいろについて話せた。時差の関係上、長々と話すことはできなかったが、なんだか恵まれたひとときを過ごすことができた。

一つ感謝を見つけると次々と、いろんなものが見えてくる。そしてなにより、自分が楽しくなってくる。

今日は、夕方になり日も落ちてきた。今日の感想は、「良くないと思えることの中からのいいこと探しって楽しい!」ってかんじ!

では、みなさんも素敵な日を過ごせますように!


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