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クラフトビールの沼に向かっていった話。

ビールと私の最初の話。の続きの話になります)

ストックホルムでビールの魅力の扉を開いてしまったあと、私は順調にビールの沼に突き進むことになる。その沼への路線図は、ストックホルムの旅の中にすでに詰まっていた。

あの時の旅はストックホルムだけではなく、その他にデンマーク・ミュンヘン周辺域・ウィーンにも足を伸ばしていた。当初は、ただ街歩きを楽しんで時間を気にせず過ごすくらいのことしか考えていなかったが、ストックホルムでの衝撃的なビールとの出会いをした瞬間から、この旅は思いっきりビールを楽しもう!という目的が自然に立ち上がり、その目的のもと旅を満喫した。

ミュンヘンは日本でもオクトーバフェストとなる言葉が浸透しているくらい、ビール大国であることは言わずもがなで、後で知ることにはなるのだが、実はストックホルムやデンマークといった北欧もクラフトビール醸造が盛んな国だったため、幸運にもそして偶然にも多種多様なビールたちと出会えることができた。そのため、沼へまっしぐらへの扉も開かれたのだ。
ただ残念ながら、その時の私は「クラフトビール」という言葉は聞いたことがある程度で、クラフトビールとはなんぞやということは全く理解できていなかった。よって、なんとなく『北欧のビールは日本で飲んだことがない味がするビールなんだな~』という感想のみだった。

そんな私が「クラフトビール」を知ってしまったのは、次の旅先であるオーストラリアのメルボルンでのこと。そこで、私はいよいよクラフトビールの沼にどっぷりとハマることになる。

◆ クラフトビールの沼地に案内したオーストラリアに行ったのは。

ストックホルムの旅の翌年、2020年2月。コロナの感染拡大が巷でチラホラと大きな報道になりつつあるタイミングで私は、メルボルンの旅に出た。オーストラリアを選んだ理由は単純、好きな国だから。子供の頃から特別な理由もなく好きな国で、いつかは移住したいなと夢見るほど憧れている国なのだ。

だから特別な理由もなくオーストリア旅行は計画していて、せっせと貯めたマイレージを使って春頃からマイレージでの航空券の予約申し込みをしていた。マイレージを使った海外航空券予約は気長な作業。申し込みをしてから、しばらくは空席待ち連絡を待たなければならないのがつね。
そうは言っても、待てど暮らせど申し込み確定のメールは届かなく半ば諦めていた矢先、航空会社から申し込みが完了した旨のDMが飛んできた。そのDMが届いたのは2019年11月2日。日付をいちいち鮮明に記憶しているのは、父が亡くなった日と同じだからだ。

◆◇◆

私の父は悪性の脳腫瘍を患いその後、その腫瘍が変異したものが肺で発見された。約5年間、病魔と向き合い共存していたが、父は立ちはだかる癌の壁を超えることができなかった。

最期の1年ほどは、相当な痛みとの戦いだったように思い出す。癌の痛みから顔色も悪く、痛みに耐えている表情が見ていられないほど辛いものだった。正直、真正面から父を見る勇気が私には持てず、だんだんと痩せて弱っていく父をどのように受け止めればよいのか困惑していた。そんな何にも役立たない困惑をしている間に、父の癌細胞が身体の中心に攻め込み、癌細胞が父に勝ち始めた様をまざまざと私は目の当たりにした。父に残された時間は刻々と削ぎ落とされていった。

私達家族はそれでも希望の気持ちを繋げていたが、父は私達の負担を思ってか、芯まで弱っていく自分を見せまいと父としての威厳を守りたかったのか、父の霊は、私達が1日でも長く生きて欲しいと願って握りしめている拳の間をスルリと通り抜け、癌の苦しみに解放されるように私達の前から神様の元へ行くことを選択したようにも思えた最後だった。

◆◇◆

私の父は、何かと的確なアドバイスをくれる人だった。何かを選択しようとして迷っている時、私は父のアドバイスを求めることが多かった。それは、父が示した方向に進むと必ず開ける何かがあったからだ。
父の思う既定路線に乗っていたというわけではなく、分岐点に立った時に、私が抱えている状況を冷静に判断し、より明るい未来が待っているであろう方向を指し示すのが上手な人だった。

そんな父だったから、この航空会社のメールはどこか父からの最後の無言のアドバイスのように感じた。

◆ クラフトビールに導いたのは父だったのか・・・も

前置きが長かったが、そんなわけで私はメルボルンへの一人旅に出た。
羽田空港で飛行機を待っている時、メルボルンでの過ごし方をボンヤリと考えていた。1軒くらいはワイナリーには行きたいな思いGoogle Mapと眺めていたが、ぶどう畑は郊外にあるため拙い英語力の自分が単独で行けるかな~・・・と思った瞬間に気持ちがしぼんでしまった。と、同時にブルワリーに行ってみようと考え直した。レストランでビールを楽しむのは当然のように考えてはいたが、醸造している場所まで行こうとは、その時まで思っていなかったのだが不思議と急にそう閃いたのだ。

Google Mapの検索窓に「メルボルン ブルワリー」と入力してみると、出てくる出てくる。点在しているブルワリーをチェックしていたら、ワクワクする気持ちが風船が膨らむように膨れ上がった。その気持が自然と口角を上げてしまい、一人でニヤついてしまったくらいだった。
どんどんマーキングに埋め尽くされていくメルボルンのGoogle Mapを見て、さらにニヤつきが抑えられなくなってしまった。隣のカップルが怪訝そうにコチラを伺っていたが、お構いなしだった。

◆◇◆

大人になっても、こんなにワクワクしてしまうこともあるんだな、と思うくらい浮足立つ気持ちのままメルボルンに到着。せっせと宿に荷物を置いて、いちもくさんにブルワリーに急行した。
目的のブルワリーに着いたタイミングは早めのビールを楽しむには丁度よい頃合い。南半球のため夏ど真ん中で最高のビール日和だった。しかも記念すべき1軒目として選んだブルワリーも、自分を褒めたいくらいとてもステキなブルワリー。植物園の中にあるようなタップルームで、心地の良い風が通り抜ける工夫が施されていた。日本から持ってきたワクワクが最高潮に達した。

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◆◇◆

アラフォー初めてのブルワリー@メルボルン。ドキドキとワクワクが混じった感情で、勢いよく注文カウンターへ行ったものの、ずらりとあるビールのスタイル(種類)に私は戸惑った。何を注文すべきかまったく検討がつかなかったのだ。
あたふたと一人で迷っていたら、カウンターにいた男性(イケメン)が、にこやかに『IPAはどう?』と声をかけてくれた。イケメンに突然声をかけられたというドギマギと、アドバイスをもらえた安心感とが重なり合いながらIPAを頼んだ。

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キラキラと黄金に輝くビールが、さっきのイケメンの笑顔とともに私の目の前にやってきた。もうワクワクは最高潮どころではない。じっとキレイなビールを眺めてから、ガブっと大きいひとくちを口に含んだ。苦くて爽やかで甘くて美味い。そして、どこかに新鮮さが感じる。衝撃的だった。
そして、何故か次の瞬間に「クラフトビール」という文字が頭の中に過ぎった。頭の中にいろんな情報が突進してきて、そして、何気なく耳にしていた「クラフトビール」を一瞬で悟った。

今、この瞬間に楽しんでるビールがクラフトビールなんだ。大きい工場ではなく、小規模な場所で作られているビールがクラフトビールで、多様な種類のビールを醸造していて、そしてそれがクラフトビールなのだと。

ここのブルワリーで、4杯のビールを楽しんだ。気持ちよく酔っ払った私は、ブルワリーの近くにある公園のベンチに座りながら酔を冷ましていた。犬の散歩やランニングする人を眺めながら、ブルワリーに来てビールを楽しんだことが、全が奇跡のように思えた。ブルワリーに行くことにしたのは偶然にも閃いたからで、クラフトビールという言葉も、急に突き刺さるように理解してしまったからだ。

そんな思いを巡らせている時、はたと感づいた。
オーストラリア行のチケットも、偶然あの日に予約ができたとメールが来た。そして、偶然にも私はメルボルンのブルワリーに来た。偶然にも、クラフトビールとはなんぞやを体感してしまった。
これは父の仕業以外にないと確信し、父がこっちに進めと行っているんだという、なんとも不思議な納得感を感じた。そして、そこにいないはずの父に背中を押されるかのように、ズブズブとクラフトビールの沼に足を進ませた。

メルボルンの旅はクラフトビールを浴びるように楽しんだ旅になり、8日間の滞在で13軒のブルワリーを訪問。クラフトビールに目覚めた私は、旅行後はビアギークへと邁進することになったのだが、それは必然だったのか偶然だったのか・・・。ただ、私が思うことは唯一つ、父が誘ったのだろうということだ。

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