鯉のぼりのフンドシを仕立てた話

風光る5月。
隣の家で暮らしていた祖父が鬼籍に入り、ちょうど10年になる。

10年前の日記がmixiから発掘されたので、引用したい。

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話は変わりますが、祖父の命のゲージがあとわずかみたいです。
先ほど久々に実家に戻ったので、隣に住んでいる祖父の様子を見に行ってきました。

記憶の中の祖父とは全く異なった祖父がいました。
つい2週間前に病院で会ったばかりなのに、全く印象が違って。
イメージなんだけど、オイルがほとんどなくなりかけたライターの不安定な炎みたいな感じでした。

コタツから布団に移動するのもものすごく大変。

姉は以前介護の仕事をしていたこともあり、祖父の日常の手伝いをしているようでした。
その作業を見ていたのですが、(というより見てることしかできなかった)こうして現場を目の当たりにすると改めて介護の仕事ってすごいですね。
小学生みたいな感想で失礼かもしれないけど……。
甘ったれな私は人やペットの死が怖くて怖くて怖くて、関われる勇気がないので(自分のこういうところがすごい嫌)介護の仕事を目指す人を本当に尊敬しています。

じいちゃんが寝る前に『爽!!』と呼ぶのでなんじゃらほいと思って、布団の脇に座ると……

『しっかりお勤めして自分の道をあるけ!』

と。


難しい宿題を預かってしまいました。
私はどんな風に生きてどんな風に死ぬんだろう。

どんな人生を生きようか。
(引用終わり)

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勤めるとは勤務のことでしょうか。
昔はすんなりと聞いていたものが、この10年でずいぶんと解釈の形を変えたように思います。
時代も世代もあります。今となっては、真意はわかりません。



しんみりとしちゃったので、5月5日にちなんだお話をひとつ。

ある時、姉と2人で祖父母の家に行き、4人でこたつを囲んでいた。
裁縫の師範免許を持つ祖母に褒めてもらおうと、ハンドメイド好きの姉が手製のカフェエプロンを持参していたのだった。丈の短いエプロン。

「どう、ちょっとみせてや」
しげしげとエプロンを広げる祖母。

「ちょー。やだよう。越中じゃあ!」
(越中はフンドシのこと)

祖母は恥ずかしそうに越中、……いえカフェエプロンで顔を隠します。
「えっちゅう!ばーちゃん、じーちゃんに何枚縫ったか分からんえ」
祖父はフンドシ派で、フンドシ一丁で脱衣所の窓から外の湖を見るのが好きです。仁王立ちです。

祖母「ばーちゃんがパンツ買っただに、爺ちゃん一向に着ないだよ!」
祖父「こっちのほうがいいだ!越中と言えばな爺ちゃんが若い時……」
祖母「どう見ても越中だねえ!!」
祖父「こいのぼりのな、こーんな大きい布でな……」
祖母「こんな紐でいいだかえ」(訳:このような紐でいいのですか?)
祖父「金太郎がな鯉を捕まえている立派なやつだぞ!」
祖母「あははは越中!」(ツボにはまったらしい)
祖父「こーんなデッケえ鯉だ」(俊敏に腕を広げる)
祖母「あーあ!ふふふ」
祖父「越中に仕立ててもらってな、検査の時にズボンを脱いだらな、みんながビックらした風で爺ちゃんを見るだ」
祖母「やあだよう」

……祖父は、田舎のいいとこの長男だったのでそりゃあ立派な鯉のぼりを持っていたのだと思います。(『祖父の立派な鯉のぼり』ってなんか嫌だな。)
それを家を出るなにかの節目に、素敵なフンドシに仕立ててもらって送り出されたようです。


鯉のぼりのふんどし!金太郎つき。そらみるわ!刺繍でゴワゴワやろ!それに、なんて孫に話す隙を与えない夫婦なんだ!



祖父は継母に恵まれず愛に飢えた人でしたが、鯉のぼりフンドシはどうやら幸せな記憶の一片だったのだな、と最近ようやく気づきました。それが子どもの時だったのか、学徒動員の時の話だったのかは失念してしまいました。これも寂しいけれど、風化ですね。

私は、住む場所も名字すら変わって久しいけれど、新年度の青い空と、家族で仲良く泳ぐ鯉のぼりを見るかけると、なんだかんだで毎年祖父を思い出すのです。願わくば、生まれ変わって、青い鯉でいて欲しいと。

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