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『終わったのは、怒りのせいじゃない。どうしようもなく疲れたから。』


自身の意思でなにかを終わらせる時、私の場合いつもそれは

「どうしようもなく疲れた」ときに訪れる。
しかも、もれなく急に。

なぜ突然に疲れてしまうのかというと、その前にとてつもない怒りを持って挑んでいるから。
そして、その怒りの前には強い悲しみがある。


私は離婚を経験している。
旦那の浮気に気がついたとき、とてもワクワクした。
なぜって、
私は100パーセントの被害者になることができ、悲劇のヒロインである。
証拠を掴み、シラを切る相手に叩きつけ、屈する姿を見たかった。

そして、心から謝る旦那を見たら、愛情を感じるのではないか。
今後は、自分を大切にするのではないかと、期待まで込めた。

しかし、自分の感情なのに思ったようには行かず、許すことがどうしてもできない。
私は自分がかわいそうでかわいそうで、どうしようもなかった。

許したかったけれど、自分でも予想していなかったほど、悲しみに支配され、その大きさの何倍もの怒りがこみ上げ、収まりがつかなかった。

ただの浮気なら1度は許すと決めていた。
だが、当時旦那は働かず、趣味に没頭し、そのうえ浮気。
散々だ。
毎日毎日、朝から夜中まで働いて、『夫婦は助け合うものだから』などと、アホなことを考えていた。

自分が大切にしていたことが無意味だったと感じた。
そのうえでの、悲しみ、怒りであった。
いままで、我慢した大きさが、そのまま感情の大きさになり、爆発。
初めて人を殴った。

そして、パワーを出し切った。
急に何もかもがどうでも良くなり、離婚届けにすんなりサインができた。

結婚生活は終わった。

その後も、悲しみ、怒り、疲れ、終わる。そんなことが何度もあったが、離婚の痛みを超える出来事はなかった。

しかし、今。
私は、離婚のとき以上の怒りに包まれ、ワナワナとしている。

自分が大切にするべきものを間違えていたことに気がついた。
それは、自分のせいなのだけれど、長い間傷ついていることを見て見ぬ振りをし、期待し続けた結果、とんでもない悲しみに襲われた。

与え続け、大切にし続けた。それなのに、雑に扱われる惨めさ。
同じように大切にしてもらえないのは、自分の努力がたりないとばかりに
自己主張もせず、ただただ受け入れるだけの人間になった。
その結果、いろいろな人からも雑に扱われるようになった。

今まで、「自分はそんなものだ」と諦めていたが、いよいよ自分がかわいそうで仕方なくなってしまった。
それはもう、自分ではなくて、身内がバカにされているのを見て怒るような感覚に近い。
大声で、「ばかにすんじゃねーよ!」と叫びたい。いや、実は車の中ではちょくちょく叫んでる。

この怒りの大きさに、自分がどれだけ我慢し、傷ついてしまったかがわかる。
こんなになるまで我慢させてしまった事を詫びたい気持ちだ。

いつもは、ここから疲れ、どうでも良いと放り出してしまうのだが、
全く疲れる事がない。
むしろ、
「雑に扱った全てのやつを見返してやる!」と闘志が沸いている。

どうしたら見返せるのかはわかっている。
目標を達成し、幸せに生きる事だ。

やっと、自分を取り戻す事ができそうだ。
願わくば、この闘志がいつまでも続く事を願っている。

まだまだ、幸せに向かう歩みを止めたくないから。
終わりはもう少し先でいい。




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