研究で誰をどうハッピーにするか?
前回の投稿でかなーり、コメントをいただいた。
コメント、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
一つずつお返事しながら、最近ずっと考えている「ものづくり」さらには自分の仕事である医療機器における「研究の意義」みたいなことを、自分の頭の中を整理するつもりで、この記事を書きたいと思う。
まずはこのツイート。
「役に立つもの」=「学術的に新規性があるもの」とは限らないところが、大学に残ることを考えるのであればだいぶ辛い。
これは、企業の研究員としても刺さりすぎるくらい、刺さった。
医療機器の研究者として、「自分の研究は医療分野で本当に役に立つものなのか?」はいつも問いかけるようにしている。
学術的新規性や価値は高い(特許や論文になる)が、世の中に出ることができない、もしくは出ても使ってもらえない残念な商品になることがある。
せっかく企業で研究開発してるんだから、ちゃんと患者様に届けたい。
さて、ここで、「医療分野で本当に役立つもの」とは何か??
私は、医療機器の中でも最も開発期間、難易度が高いとされている「クラスⅢ・Ⅳ」を研究開発してる。
簡単に言うと「体の中に入って、治療する機器」だ。
患者さんの症状を完全に取り除くことを目的としてる。
…ここで、冒頭の言葉になる。
「役に立つもの」=「学術的に新規性があるもの」とは限らない
患者さんは、症状を「完全に」取り除くことを願っているのか??
例えば、患者さんがある疾患でどこか体の一部が痛いとしよう。
患者さんは、ちょっと痛みは気になるが生活はできる。体の一部とは言っても、命に関わるような場所じゃない。
この場合、完全に症状を取り除くことは本当に必要か??
学術的に…は意味がある。面白そう。
でも、患者さんが本当に求めているか?患者の訴えは、わざわざ手術せずとも、痛みがなくそこそこ生活できれば十分と考えていないだろうか?
患者さんの思いを考えずに研究進めていいものか?
近しい先行研究もあるが、患者さんへのバリューに答えているものはない。
先行研究の言い分は「痛くなる原因の一つだから、手術で積極的に治すべきでしょ」だ。
ただ、その部位を治したから痛みがなくなったのか十分には検証されていない。
これについては、しょうがない部分もある。
なにせ、人に使うまでの研究は細胞や実験動物使ったりするわけだ。
患者さんの訴えは痛み。痛いかどうかを実験に使用する細胞や動物は、教えてくれない。
実際、人に使う。数値上、患者さんは痛みなく生活できたように見える。
ただ、その部位を直接治さない既存の治療でも同様の効果が得られることもあるし、痛み止めで十分無理なく過ごすこともできたりする。
…この悩みを解決する建設的な考え方を見つけることができたら…うーん。結局、思考がまとまらなかった。
私の悩みは当分続きそうだ。
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