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子どもの頃嫌だった記憶一覧

わたしは21歳の時に実家を出て一人暮らしを始めましたが、それまでの実家での記憶を書いてみます。毎日すごく辛くて悲しかったです。
このメモは2016年から少しずつ書き溜めていて、主に母の記憶です。書ききれてないことも山ほどあります。

これと向き合っている過程についてはこちら↓

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○けんか

  • 言った/言ってないでけんかになることがしょっちゅうだった

  • ことあるごとにわたしにだけ厳しかった

  • 話の途中で論点がぶれすぎるから、「紙に書いて整理させて」と言うと「親を馬鹿にして何様のつもりなんだ?偉そうに!そんなのどこに行っても通用しない!」

  • 母の言葉に返答すると、違う話題をどんどん出して責められるので、最初の質問がわたしに非がないことでも終わらずに罵倒され続ける。例えば「なんでいま宿題してないんだ」「学校で済ませたから」「お前は親に隠し事をするもんな、この間のあれも嘘で恥かいたもんな」……というような


○ルール

  • ゲーム、テレビはほとんどなし

  • インターネットにはアクセス制限(18歳をこえても)

  • 門限は17時、中学生のとき帰りが遅くなると(18時くらいだと思う)警察に届けたと何度か言われた(警察に行くと恥をかくんだから、親にそんなことさせるな!とも)

  • 親から「こうしろ」と言われたこと(勉強、家事、友人関係など)をうまくできなかった、または自分の判断でやらなかった→親に逆らうなんて何様だ、反抗しやがって、親の気が済むまで誠心誠意謝れ

  • 自分の選んだことが親としては気に入らなかった→本当にお前はかわいくない、何もできないのに偉そうだ、親を不快にさせたんだからお前は加害者だ、責任を取れ

  • 基本的にわたしは「情けでこの家に居させてもらっている存在」の扱いをされていた

  • 自分の部屋ができてからは、母がそっと階段を登ってきて「抜き打ちで」わたしの様子をチェックしにきていた。「変なことをしていないか確認しにきた」「外から見えないからドアを閉めるな」と。わたしが不在の時に部屋の中を隅から隅までチェックしていて、同級生からもらった手紙なども読まれていた(最近知ったけどこれは虐待親あるあるらしい)

  • 「お前は反抗的なんだから、監視されて当然だ、不自由で苦しい思いをしろ」


○兄弟との差など

  • 上のルールは、兄弟にはほとんど課せられていなかった

  • わたしは勉強でしか評価されなかったが、兄弟は勉強できなくてもよかったし、彼らがちょっと頑張ると褒められていた(わたしは90点とれなければ叱られていた)

  • 兄弟がしたことでわたしが叩かれたり、怒鳴られたりすることもしばしばあった

  • わたしがある年齢で制限されていたものを、兄弟はその年齢で普通に与えられていた(ゲーム機、インターネット環境など)


○叱られかた

  • 門限を破ると家に入れてもらえない

  • 熱したアイロンを持って追いかけられる(コードレスアイロンを買った時、「これでいつでも押し付けられるんだぞ」と嬉しそうだった)

  • すぐ頭を叩かれる(学校で、母からはこれくらいの強さで叩かれるとやって見せたら「そんなわけないだろ?」と同級生たちが動揺していた)

  • 「〜しておいて」と言ったことを、わたしが何かしている間に自分で片付け、「何ですぐできないの、のろま、使えない」と怒る

  • 大抵ヒステリック

  • 「恥かかせないで!」

  • 叫ぶような感じでわたしをリビングから押しだし思い切りドアを閉める。「玄関で正座していろ、電気もつけるな、暗くて寒い中で、お前がいなければリビングでみんなが平和に過ごせるんだってことをよく見ていろ、勝手に2階にのぼるな!」

  • ドア越しにわたしに聞こえるように「あーあ、あいつがいないと平和だね〜、これがずっと続いて欲しいわ〜」と弟妹に話しかける

  • 「悔しいか?お前に自由も選ぶ権利もない、惨めに這いつくばってるのがお似合いだ」


○ことば

  • 「のろま、ばか、鳥頭」はしょっちゅう言われた

  • わたしに聞こえるように、「あいつみたいにならないでね」と弟妹に言い聞かせていた

  • 「いつもなんでも知ってるみたいな顔して、一丁前に意見言ってるくせに、学校で忘れ物したの?役立たずじゃん。偉そうにしている罰だ」(失敗すると普段のわたしの人格ごと否定)

  • 何か叱られて、納得いかなくて反抗するとご飯が貰えなかったりした。なんでご飯くれないの?と聞くと、「かわいくないから」。ああ、このひとにとって子どもはかわいくないとだめなんだなあ(弟たちはかわいいからご飯を貰えているんだなあ)、と思った。

  • 転校したとき、「かかったお金は全部どぶに捨てているようなもんだからね」と言われた

  • 「ガンになったのはあんたのせいだ」

  • 「お菓子をつくってあげることで、母子の関係を繋ぎとめていたかった」と言われた(物でつるとかばかだなと思うし、わたしにはその姿が「いい母親」を演じる偽善者に見えていた)

  • 怒り狂ってわたしを叩いている母が「お前なんか!この……っ!!」と、“産まなきゃよかった”?“死んでほしい”?とかそんな言葉を必死で飲み込んで「あああ!!!!」と叫びまくってたりフライパンを床に叩きつけたりしていた(言葉は飲み込んでるけどそれはほぼ言ってるのと同じ)

  • 母の目は憎悪でギラギラしていたけど、呼吸荒く歯を食いしばりながら「こんな風に言うのは、お前を愛してるからだ!憎い人にわざわざこんな風に言わない!」とよく言っていた(自分に言い聞かせていた?)

  • スカートを履いたり化粧をしたら「色気づいちゃって、娼婦みたい。あばずれが家にいるの嫌なんだけど」

  • 「(父に向かって)こいつこの前もこーんなへったくそなチーク塗ってて、コントみたいだったwww(普段は親といる時に化粧はNGだけど)今日出かけるの化粧していいよ、変な顔で外で恥かけばわかるでしょ」


○印象的なエピソード

  • そばアレルギーの反応でかゆいと訴えると、「じゃあ他の家族が食べている間そっちの部屋にいて」とドアを閉められ、かゆい!と訴えても出て来ちゃダメだと。かゆくて床でじたばたしている間、家族は普通の会話をしていた

  • それからはそばを食べる時は別室でみんなが食べ終わるのを1人で待つルールができた

  • 毎年書き初めは部屋で1人で数十枚書かされていた。これでいい?と持っていくと「こんなんじゃだめだ」と言われるものの、どう直せばいいかは言われず、自分なりに納得いくものができても却下され、出来るまででてくるなと言われ書き続けた(その間他の家族はゲームとかしてた)

  • 18歳になる直前、「性に興味を持った罰」として、2階の自室から、1階のリビングに隣接する引き戸の部屋に移された。「部屋でいやらしい絵を見たり、隠れて自慰行為などをしないように、行動や持ち物、部屋の隅々まで監視しなきゃいけない」「そんな自由なんて与えない、悔しかろうがお前が悪い」とのこと(部屋を交換できて妹は喜んでいた)

  • 屈辱だったし、18歳にもなって自分の尊厳やプライバシーはなく絶望した。でも、「確かに親に隠れて性的衝動を持った自分が悪いのかも?」と、洗脳されていた当時は思ってしまって、抵抗できなかった


○父からのこと

  • 基本的に父は、この母の振る舞いに無関心で、目の前で繰り広げられていても自分は関係ないという姿勢で別のことをしていた。母がこう言ってくる、など訴えても「やっぱり母と娘はどうしてもね〜」「大袈裟だって」と解決なんて自分には関係ないことと言う感じ

  • 両親から受けたこの虐待的な生活で、わたしは脳機能に障害を負ったのに、父はわたしを「障害があるお荷物」として扱っていた(ちなみに恋人を紹介すると必ず「病気のことわかってくれるなら、ありがたいよ。安心だ」と、”障害があるのに付き合ってくれている”という言い方。相手が金にだらしなくても、仕事が続かなくても、病気をわかった上で付き合ってくれているなら”ありがたい”)

  • 自分なりに家事をできるようになりたくて練習している、数回できたんだと話したところ「ちょっと数回洗濯したくらいでやってるとか偉そうに言うなよ、お前は何もしないしできてないんだよ、今やってもらってこれなのに、自分のこと自分でできるわけないでしょ」

  • わたしの意見はまともに取りあわれず、わたしが何を言っても流されて他の家族で予定などを決める

  • わたしが何か言うと白ける感じ、常にいじめられている感覚(物心がついてから21歳まで)

  • わたしが学校でこんなことを学んだ、先生にも褒められた……などと言うと「くっだらない発表。そんなんやって実際の社会で何になるの?大人と対等になったつもりなの?」

  • 「それ、かっこいいと思ってやってるの?だっさ。恥ずかしいね〜」

  • 「お前が走るとドタドタっ!って感じだもんな〜、太らない体質かも!とか言ってたくせにwwwかわいそうwww」

  • 「お前、障害年金もらって楽しそうだね、いい身分だな」

  • 学生である、とか、自分が養育すべき子供である、とかいう視点が抜けていて、自分の価値観でジャッジする。家族だからと気軽に指摘すると(お釣りの計算とかそういう些細なこと)「ほんとさぁ、そういうのキレられても当然のことだよ、わかんないの?」「ほんとうざいよね。前にああ言われたのもはぁ?と思ったよ」など

  • 小学生のときあまりに納得いかない怒られ方をして、二階でわんわん泣いてから戻ったら「なんかドタバタしてたね、うるさかったよ、長かったし」とわたしが悪いような感じで言われた

  • 10代後半になっても、泣いて訴えたりしたところで、また場がしらけて「なんか泣いてる……」って空気になるのは目に見えていた。何度か泣きながら「なんでこんな風に扱うの?」と訴えたが、「リビングで泣かれたらうざいよ、嫌な気分になるよ。みんなゆっくりしてるのに、迷惑じゃん。泣くなら自分の部屋に行って」と言われた

  • 家族との生活はすごく辛くて苦しかったが、家族に話しても「私たちが悪いみたいじゃん、そういうのほんと腹たってくる、もう言わないでね」と言われたし、周囲の大人からも「本当は愛されているんだよ」と言われ、自分の感じ方が間違っていると扱われるばかりだった

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ちなみに一人暮らしを始めたら、料理も掃除も洗濯も難しいと感じたことはなかったし、自分の行動を監視・チェック・否定されない状況が本当に幸せで、毎日毎日心が楽で、逆に同じ家に親がいなくて困ることはマジで一つもなかった。

子供に対してダメでしょこれ……と思ったりもしたけど、それが「当たり前の日常」になっていて、麻痺していた。付き合った男からかわいくないと責められようが、仲間内でわたしだけ車に乗せてもらえなかろうが、わたしがそう扱われるのは仕方ない、わたしはかわいくないし、そういう振る舞いをしているんだし当然だ、とごく自然に思うようになった。みんな実家よりは普通に話してくれるし、大事にされてるなぁ、と。
今は自分も大人になって、一般的な大人の常識を知っているから、子供(というか人間)に対してやっちゃいけないことがわかるけど、当時社会に出たことがないわたしは、「どこの家庭もこんなもん」「ドラえもんやサザエさんの家庭みたいな会話はあくまでフィクション」と本気で思っていた。


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