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買えない本屋と買わない盗人

 とある本屋のレジに少女がちょこんと座っていた。14時半の昼下がり、ほとんど客のいない店内で、彼女は少し微笑んで本を読んでいた。
「お嬢ちゃん、ひとりでここ、やってんのかい?」
「いえ、父の代わりに。バイトみたいなものです」
少女はスッと本から目を外し、軽く笑ってみせた。客はへぇ、偉いねぇと言いながら一冊の小説を手に取ってレジの前に立った。
「じゃあこれ、お借りするよ」
「わざわざレジしなくていいんですよー。初めての方ですね、無期限無許可なんです、うち。勝手に取って、読んで、返して。盗み放題でしょ?」
客は目を丸くして少女を見つめていたが、吹き出すように笑顔になった。
「それは面白い。ところでなんでこんなお金にならないことを?バイト代もこれじゃあ入らないでしょうに」
少女は本を置いてひじをつきながら、いたずらそうに髪を揺らした。
「これがいいんです、私。なんかいけないことしてるような気分になるでしょ?その一冊はきっとあなたの特別になりますよ」
少女はブックカバーを客に渡した。
「これ、サービスです」
「ありがとう、また寄らせてもらうよ」
客はにっこりと笑って背を向けた。
「あ、返却はわたしに一声かけてくださいね。盗まれるのは性に合わないので」
客は振り返らずに小ぶりに手を振って戸口に消えていった。少女は客の影を見送ると背の低い椅子にまたちょこんと座った。
「まあ、聞こえてたよね、きっと」

 少女が19回目の誕生日を迎えたころ、ある噂がささやかれるようになった。「あそこは絶対に買えない本屋だ」と、人々はそう噂するのである。少女は相変わらず足を暖めながらペラペラとページをめくっていた。
「これ、ください」
少女は顔を上げ、レジを弾く。
「えーと、460円ですね。ありがとうございます」
客はレジを済ませて店を出ていった。他の客はそれを面白がるように見物していたが、少女はただ幸せそうな顔をしていた。

 数日後、あの時の購入者から電話がかかってきた。
「はい、暮れ町書店で・・」
「本、そちらにあるんですか?三澤です、2日前に本を購入した」
「タイトルは?」
「『ねじまき男のひとり歩き』です」
少女は本棚をトコトコと歩いてにんまり笑った。
「ありますよ、ここにきっかり」

 そうなのである。客が買ったはずの本が書店のもとあった位置に帰ってくるのである。もちろん帰ってくる品は複製品ではなく客本人がこの書店で購入した本。それが意味するのは誰かに盗まれたうえでこの書店に返されるということだ。
「で、お金の方はどうですか?」
「はい、全額消費税込みで残されています」
「そうですか、それはよかった」
少女は愉快そうに電話を切った。もう一点、この不思議なやりとりをさらに謎にしているのは誰も通報しないということである。盗まれた本があった位置に全額分のお金が残されていることと、何より、本の内容があまりに素晴らしいために客がこぞって書店でもっと多くの人に見てほしいという結論に至るのだ。本の金額や場所、購入した客の名前を把握しているのは店のレジしかいないということで、まっさきに少女が疑われるのだが、その幼い容姿と純粋な目から、いつしか面白い噂として広まるようになった。当の被害者である少女はと言えば、毎日のようにかかってくる電話を嬉しそうに取るのであった。


 しかしある時を境に、店に寄せられる電話は声色を悪くしていった。「盗まれた金額が返ってこない」と言うのである。その上本は書店に返ってこなかった。そもそも盗んでお金を返して本棚に戻すまでが仕事ではない少女は何とも言えない受け答えしかできず、
「申し訳ないのですが、こちらはどうにも・・」
もともとあった噂が定着しているせいでどうにもこうにも書店に責任が乗ってしまい、いつしか客の足も減るようになっていった。それでも少女は顔色一つ変えずに、パラパラと本をめくっていた。苦情はもう5件、6件と増えていった

 寒さが抜けないやわらかい春の早朝、7件目の電話が来た。少女は変わらず笑顔と明るい声で対応し、そのまま電話を切った。
「また苦情の電話ですか?」
少女は慣れた手つきで電話を置いてレジの前に立った。
「はい、これで7人目です」
客はそうですか、とこぼして古そうな小説を一冊彼女に手渡した。
「今日、わたしは何人目ですか?」
「もちろん1人目ですよ、こんな早朝にくるのなんてあなたくらいしかいませんよ」
「そうですか」
客の男はどこかはかない表情を浮かべていた。
「これはご購入ですか?」
「ええ、もちろん」
「本を買うなんて珍しいですね。盗人もお金を払うんですね」
男は目を伏せたまま寂しそうに笑った。
「あなたが言うことじゃないでしょうに、盗人も書店を開くんですねって、お父様に言われませんでした?」
「ここをもっているのは父ではないんです。仲間に無理言って肩代わりしてもらったんですよね」
本を片手にブックカバーを付け、少女は淡々と話した。
「古株さんなんですから、大事にしないと」
「あなたにわたしの本を盗まれた日以来、やっぱりどうにもならない気持ちだけが残っていましてね。偶然この本屋さんを見つけたときは思いましたよ、やり返してやろうって。ただ、あなたがあまりに楽しそうに本を読むものだから負けてしまったんですよ。あなたとのほうがこの本たちはお似合いだ」
「これらの本もどこかから盗んだものじゃないですか。盗人が盗んだものを盗人が盗んだっていいでしょう?金庫にしまってあってどんなたいそうな本かと思えば、こんなものお金には替えられない。実はわたし、あなたのことが好きになっちゃったりするんですよ」
少女は寒そうに手をすり合わせながら言った。どちらも目を合わそうとはしなかった。
「もう、やってないんですか?仕事」
男は金額を聞く前にぴったりの金額で代金を差し出した。
「まあ、どうですかね。好きになっちゃって、本。そちらは数ヶ月前までバリバリにやってたみたいですがね」
「貸し出しではなく売る本屋になってしまったので仕方なくですよ。ただの営業妨害です、悪いですか?」
「市町村の規定です。違う町に引っ越そうとも思ったんですが、お金の都合でそうもいかなくて」
少女はレジを打つ気もなく髪を後ろでくくり、ひょうひょうとした顔で外を眺めていた。
「で、もう営業妨害はしないんです?結構楽しみだったんですよ、わたし」
「さっき来た電話の通りですよ。愉快犯にのっとられてしまったようで。あいつは金の払い方も知らないクソ野郎ですよ。私たちが言ってもしょうがないですがね。さ、お代です」
「いりませんよ」
男が驚いて顔を上げるとにこにこした少女が頬杖をついて見つめていた。
「大事なものなんでしょう?盗んでってください」
「・・・父の書いた本です。買わせてください」
少女はやれやれという表情で男を見送った。そして男が歩き去っていく背中に、聞こえるように言った。
「休業中だったんです!」
男は春色に染めた頬で少女を振り返った。
「再開しますよ、今夜。7冊きちっといただきます。あなたは?」


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