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映画感想文「ウーマン・トーキング」ただ耳を傾けることの大切さを再認識する作品

結論を急いでしまう。

正しいとか間違ってるとか。きっとうまくいくとか、いかないとか。

すぐにジャッジしてしまい、目の前の話をただ受け止めることができない。

それはたぶん、長年働いていると無意識に身に付いてしまう習慣なんだと思う。

正直に言おう。

だから、物語の前半、村の女性たちの二転三転する話し合いに「さっさと決めればいいのに」と、戸惑いでいっぱいだった。

この映画は、15年前の南米で敬虔なクリスチャンの暮らす集落で実際に起きた事件が元になっている。

朝起きると身体中に痣があり、記憶のないままにレイプされていた。何人もの村の女性たちにそれは起きた。

何年も繰り返されながら、誰も女性たちの話を信じようとしなかった。しかしある日、それは村の男たち(しかもかなりの人数)によるものだと発覚する。

事実を知った女性たちは、集まり、話し合う。赦すか、戦うか、去るか。

話し合いは延々と続く。怯え怒り不安定な彼女たちは、なかなか本音を口にできない。話は堂々巡りでいったり来たりする。

だけど、その物語に忍耐強く耳を傾けるにつれ、それぞれの痛みがひりひりと胸に迫ってくる。

そして何より、思いを吐き出し受け止めあった彼女たちは徐々に本音を吐露し始める。最後には互いを労りあい抱きしめあいながら、後半急速に結論にたどり着いていく。

正にタイトル通り、talking(話し合い)がいかに人を癒し導くか、である。

最後まで観て、自分を恥じた。

目の前の話に耳を傾けよう。ジャッジを脇に置き、その人を、ただ受け止めよう。そう思った。

これは女性だけの物語ではない。 虐げられてきた全ての人の物語である。

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