パーソナライズの次のトレンド
パーソナライゼーションの限界はSNSによってもたらされた
CRMという考え方が広まった2010年頃から、デジタルマーケティングの世界では「1 to 1マーケティング」という言葉と考え方が浸透してきた。
個客ぞれぞれの趣味嗜好に沿って最適な商品やサービスを、ひとりひとりに最適化させ、満足度を高めようという試みである。
またそうした思想がCRMの隅々まで広がり、マーケティングオートメーションやレコメンデーションといった技術を生み出してきた。
しかし、そのやり方が、すでに限界点に達している。
理由は、コンテンツと情報の供給量が、人間の限界許容値を超えたからである。特にSNSの台頭によって、情報同士の線と線の結びつきが強くなったため、消費者は自分に興味のあるあらゆるコンテンツと日々接する回数が多くなり、リテラシーを高くしていった。
もう消費者は、並大抵のことでは驚かない。どんなコンセプトの商品がきても、それがどれだけクリエイティブであっても、先進的であっても、自分の趣味にマッチしていても、「こういうパターンね」と理解してしまう。
だから、ターゲティングをしても響かない。情報許容レベルを超えたからだ。
だから、1 to 1 でターゲティングしても、響かない。なぜなら、「すでに知り得ていること」だからだ。
CRMが登場したときは、まだSNSは発展途上の段階だった。そして情報量もいまほど圧倒的ではなかった。様々なアイデアが出し尽くされる前だった。
そんな時代の1 to 1ターゲティングは、理想の世界として崇められてきた。そんなマーケティングができたらどれだけ効果が高くなるであろう。そういう期待を背負って、技術革新が行われていった。
しかし、そんなパーソナライゼーションは、先に述べた理由により、限界を迎えている。自分の趣味嗜好の情報など、いつでもどこでもタッチできる世界だからだ。わざわざパーソナライズされなくても、消費者はすでに理解しているのである。
消費者は思わぬ発見を望んでいる
もはや、パーソナライゼーションは消費者が求めている技術革新ではない。
目を覆いたくなることだが、残念ながらそれが事実である。
では消費者は何を求めているのか?テクノロジーはどの方向へと舵を切るべきなのか?そのヒントとなるのが「セレンディピティ」(偶発的消費体験)だ。
たくさんの情報に埋もれるなか、消費者はもはやパーソナライズされた情報には慣れっこである。そして、数あるコンテンツから、自分のなかにある顕在化したニーズの商品を検索することに長けている。
しかし、消費者は「潜在的なニーズ」がある。自分の価値観やライフスタイルは明示化できるものではない。心の中に眠っている、隠されたニーズを掘り起こすこと。
テクノロジーが追い求めるべき分野は、まさにそこにある。
偶発的消費とは何か
リアルの買い物体験を想像してみよう。
ショッピングモールや百貨店で買い物していると、気づかぬうちに「思わぬ発見」をして、ついつい手にとって買ってしまった、という経験はないだろうか?俗にいう「衝動買い」である。
これぞまさしく、偶発的消費体験である。脳科学的には「セレンディピティ」ともいう。
なぜこうした偶発性が起きるかというと、そこには「潜在的なニーズ」が関係している。
個人個人、固有の趣味、価値観、ライフスタイルがあるはずだ。例えば青が好きとか、アメカジが好き、とか、インドア派だ、とか、たくさんの固有の性質を兼ね揃えている。この組み合わせは、人の数だけ存在する。
しかし、すべての自分の内面の特性を、自分自身が理解しているわけではない。
青が好きと公言していても、実は、場合によっては赤を好むことだってある。
アウトドア派だと公言していても、実際はテレビゲームが好きな時だってある。
このように、人間は自分の考えとは真逆の性質をもっていることもあり、実に非合理な生き物である。
この前提にまずは立たなければならない。
非合理だからこそ、ふらっと買い物しているときに、思わぬものに惹かれ、衝動買いをしてしまうのだ。
この非合理性の買い物のなかに、偶発性が存在する。
テクノロジーが目指すべき道は、この「非合理の中に存在する偶発的な欲求を探す」技術である。
反パーソナライズ、そこに技術革新の鍵がある
断言しよう。
パーソナライズの次のトレンドは、反パーソナライゼーションだ。
それは、偶発的消費を実現するための、「非合理性のつよい衝動買いの誘発」とも言える。
実際、この偶発的消費体験の実現はAmazonやNETFLIXが研究しているらしい。
どうやって実現しようとしているのか
その鍵を握るのは「商品理解」という特性である。
商品には様々な特徴が存在する。その特徴にこそ、「偶発性」を喚起させるためのヒントが眠っている。
例えば、誰かがTシャツを買ったとしよう。
この人はなぜTシャツを買ったのか?その購買動機を知るには、商品の特徴が重要になる。例えばデザインが好きで買ったかもしれない。色が好みだったのかもしれない。肌触りがよかったのかもしれない。ランニング用が欲しかったのかもしれない。普段着の服が欲しかったのかもしれない。
このように、商品の特徴に焦点を当てると、実に様々な動機があることがわかる。
ランニング用なのか、普段着なのか。その違いだけでも、次に提案するアイテムが異なってくる。
しかしここで重要なのは、そのユーザーがどれ程強くその購買動機を抱いているかどうかだ。
100人が100人全員、「自分はランニング用品を探しに買い物にきてるんだ!」とはならないはずだ。せいぜいそういう目的買い(自律的消費という)の人は10人いるかいないか、だろう。
その他大勢は、「なんとなく」という理由で探している。
その「なんとなく」のなかに、「ランニング用のデザインに惹かれる」という隠された潜在ニーズがある。
もしそうだった場合、この人には「伸縮性の高いランニング"にも適した"スポーティな洋服」が「衝動買い」のヒントになる。
そこで、上記のニーズを満たす商品を提案してみると、どうだろうか。
その人は「ランニング用品」というニーズは顕在化されておらず、潜在的であるため、もしランニング用のスポーツウェアをおすすめしたら、こう思うはずだ。
「あ、これいいかも!」と。
ニーズが潜在的なのか顕在的なのか、ここにセレンディピティのヒントが隠されている。
セレンディピティ体験の重要性
こうした「偶発的な出会い」は、消費の世界だけでなく、人生そのものの価値を高めるために必要なファクターである。
世界中を旅したり、美味しい食事をしたり、一目惚れする恋に落ちたり、人生観を変える映画に出会うなど、様々な偶発的な体験が、充実した人生を送るために不可欠である、人間の根本的に重要な心理的行動だ。
特に、情報が溢れすぎたこの世の中において、自分のなかにある顕在的なニーズに基づいた発見はされつくしているが、逆に言えば、潜在的なニーズによる、思わぬ発見の角度はむしろ高まってきている。
情報過多というのは、ともすれば疲れるものであるが、一方で、このセレンディピティの考え方からすると、「様々な思わぬ発見」に出会える角度を高めてくれている。
パーソナライゼーションが導いた、反パーソナライズの世界。
偶発的な体験の重要性。
いよいよ、この体験をテクノロジーで解決していく時代がやってきた。
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