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産休中の断捨離からの気付き

産休中、やることがなくなった人がよくやることに「断捨離」があると思う。私自身、第一子の時も、今回の第二子の産休中も絶賛、実施している。
第一子の時よりも、かなり捨てれるようになった実感がある分、なぜか捨てられずにモヤモヤした部分も見えてきて、このモヤモヤに成長の種があると思うので、書いて整理してみる。

ちょっと迷って捨てたもの

もともとミニマリストのような片付いた部屋でも、おしゃれにこだわった部屋でも、汚部屋というような酷い部屋でもない。
多分、モノの量も片付けの質も普通だと思っている。
だから、生活上、困ったことは何もなかったのだが、時間ができて暇になったので、「断捨離でもするか」というのが始まり。
YouTubeや本で断捨離意欲を掻き立てて、ときめかないモノ、過去2~3年利用していないモノ、メルカリで売れなかったモノなどを特定し、仕分けして捨てた。45Lのゴミ袋3袋くらいは捨てたかなと思う。

何を捨てたか忘れたし、もう既に思い出せない時点で断捨離は成功だったんだと思う。
逆に覚えているのは、迷ったモノだろう。

その一つが、プリクラ。(しょうもないw)

プリクラなんかシールとしての機能はゼロ。
場所も取らない。
思い出の物だしもう二度と手に入らない。
断捨離中、一度は見て見ぬ振りした。

しかし、だんだんなぜかモヤモヤが大きくなって、捨てられないのは精神的な理由だと感じるようになって向き合った。

正直、目を背けたくて、見ると胸が疼くような嫌な感覚があったが、自分の若き頃のプリクラをちゃんと見てみた。

茶髪でミニスカート。
当時、頑張って可愛くしてた自分がカメラ目線でピースして決めてんのが痛くて、もう見たくなかった。
そして、その横に写る友達とも疎遠になっていることも見て見ぬ振りはできず、自分の友達関係の狭さや薄情さみたいなものにも嫌気が差した。

そして、これだけ嫌な感情を連れてくるならば、もう要らないものとして認めようと思い、三日悩んでついには捨てることにした。

この思い出は、もういいと許可を出した。

社会人になって新しい友達も少しはできたし、自然体の自分がいい。

プリクラを撮っていれば友達だと思えた自分に、友達はそんなもんじゃないよと、過去の自分に教えてやるように捨てた。写真に残してデジタル保存もできるから写真をとろうかとも思ったが、それもしなかった。完全に過去の自分や過去の友達とバイバイした。

捨てられないモヤモヤがあったモノ

もともと「もったいない星人」なので捨てるのは、苦手。
でも、「捨てると人生変わる」とか言うし、(まぁ第二子を出産する時点で人生変わるんだけど)やってみようかと思って、「使えるけど使ってないし捨てるか」にも着手した。全捨てはしないけど、量を減らしたり、マイルールをもって捨ててみた。

でも、抵抗があったのが、意外にも

おしゃれなタイプでもないからこそ、20代の頃からファッション迷子だった。

●大学時代
→Tシャツとスウェットなどジャージ登校。体育会の特権だった。
夏の酷い時はビーサン登校までしていた。笑
●20代前半
→彼氏が欲しくて暴走気味。合コンでノリがよくちょっと遊んでると見られたくてH&MやZARAなどの奇抜で派手な柄にも手を出す。黒とか青が多い。
●20代後半
→婚活したくてコンサバに走る。お手本はアナウンサー。友達のススメからキレイ系のTechijiの服などを買い始める。白やピンクが増える。
●結婚後
→二軍の服がちょうどいい。ユニクロやGUを多用。
●妊娠後(第一子も第二子も)
→マタニティでも使える大きめのワンピースをユニクロで買ってヘビロテ。
●育児中
→パジャマと三軍の服。いつ捨ててもいいやつばっかり着ていた。

第一子出産が30歳。第二子出産が32歳。
妊娠と次の社会復帰(笑)を合わせると、29歳~34歳は、ユニクロのワンピースとパジャマと三軍の服にお世話になることになりそうなんだが、32歳の第二子出産前の今、何を残して何を捨てたらいいか、本気でわからなくて…

とりあえず合コン用のミニスカートは要らないけど、二軍と三軍ばかりを残すのはときめかない。いや、そもそも私にとって一軍ってキレイ系なのか?

次に復職後、テレワークが増えてたら、一軍も二軍の服もそんなに多く要らないかも??

いやいや、育児中三軍の服やめて、育児中のお気に入りの服をプチプラで買えば、それが今の一軍になるじゃん。うーん、でも、そこにお金かけたくないなぁ。

産後、自分がどんな風になりたいのか。
復職後、どんな働き方がしたいのか。
次に、家族以外と会う時に、どんな風に見られたいのか。

服装の乱れは心の乱れ。

逆もしかり。
制服がない社会人にとって、
心が整っていないと服装を決められない。

いったんキレイ系は全部捨てて、二軍の服も大幅に減らして、社会復帰のタイミングで買い直せばいいと頭で思いながら、それがなかなかできなかった。
今から2年後、社会も自分も変わっているだろうから、捨ててしまっても何も問題ないような気もするが、置いておいてもスペース的に問題がないので、手が止まってしまった。(ある程度は見直して捨てたんだけどね。)
買い直す時間ないかもしれないとか、買い直す費用がもったいないとか。。。
「ない」言い訳が出てくる。

弱い自分

お尻に火がつかないと決断できない自分の弱い所。
先の未来を描けない自分の弱い所。
明確な目的なくして始めた自分の弱い所。
もったいないケチ精神が抜けない自分の弱い所。
一軍を持っておきたい見栄を張る自分の弱い所。

捨てられないのは、服じゃなくて、心の弱い所なのかなと思ったり、でも、産前にこんなに自分の弱い所、いじめなくてもいいような気もしたり。。。

たかが服かもしれないが、先行きの見えない未来予測の中で、自分にとって必要なことや大事なことが分からず、今、決断するということができてないことを教えてくれた。

これは、今後のキャリアに対する考え方も同じで、今、何を学ぶべきか分からないから、講座や資格に申し込みができないでいる。

期間限定とはいえ、自分が一番、気持ちがいい状態になるための投資も惜しんでる感も否めない。(育児中の一軍の服、買えよw)

おそらく、私にとっての一軍の服は、子育てと仕事を両立しながらバリバリ働き、たまに飲みに行く時の服だ。
(育児中の一軍の服は、本当に要らないのかも知れない。)

でも、
テレワークしたいのか、
出社したいのか、
すら分からない。

誰とどこに飲みに行きたいのか、
本当に飲みに行く余力があるのか、
すら分からない。

求める服は、
自分を誰かによく見せるための服なのか、
自分が自己満足で着たい服なのか。

それは、
着心地やフィット感のある服なのか、
ファストファッションなのか、
長く使える服なのか、
自分が着たい服の優先順位やイメージが分からない。

断捨離で自分と向き合うことで、自分のことが全然分かってないと分かった。

捨てられたモノたち

あまり覚えていないけど、確かに今回、結構捨てた。
あえていうなら、
・手紙
・部活のグッズ
・結婚祝いの品
・ネックレス、イヤリング
あたりは、過去の自分との決別ができつつあるのかな。
子どもとの新しい生活が手に入るなら、
過去に一人で手に入れた思い出のモノに価値は感じなくなっていたかも。

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