ブログ記事(vol.9)「解放」という名の回復

「解放」という名の回復 (vol.9)
2015年08月03日

どうも〜

みなさん、今日の調子はいかがでしょうか?

調子が暗い気持ちで涙あふれる ような方も、
軽い鬱状態で気分が優れない ような方も、
はたまた回復して調子がよくなっている という方も、
考えすぎず、毎日できることを少しずつ
あせらないで「ゆっくり」生活してくださいね。

これまでも書いてきましたが、この病気を患っている
人というのは人一倍「やさしい心 」の持ち主です。

ですから、その分「自分をないがしろ」にしがちです
意識して「がんばらないこと」そして何より
「自分を責めて、自己犠牲を払わない」こと。

何よりも優先すべきは「自分」です。
ワガママと言われようが、人間にはひとりひとり
「人権」という「他人に自分を責めたり、傷つけたり
させてはいけない」「自分を守る」権利があります。
なので、極力「自分を労って」生活するように
どうぞ特に気をつけて、心がけてくださいね。

この病気は「鈍感」で「エゴイスト」な、
「他人の気持ちを汲み取れない『頭の悪い』人」は
絶対に「かからない」病気だと感じています。
つまり、裏を返せば「思いやりに溢れている、人情に厚い」
のが「双極性障害者」の特徴ともいえます。
でも、なんでもバランスが大切です

これまで過去の私のように、自己犠牲をしまくって、
自分を自分で大切にしなければ、誰にも大切になんて
してもらえないですし、「人を傷つけて、ストレスを発散する」
ワガママ極まりない人間の「はけ口」に利用されてしまいます。
ですから、極力気をつけて、このことを常に意識して生活するように
してくださいね!!


わたしはこのブログを始めてから、「双極性障害」に悩む人から
定期的にメール をいただくようになりました。
みなさん、思わず涙が出てしまう ほどに、
本当に「心のやさしい」方々ばかりで、「双極性障害」の患者さんと
これまで一度もお話ししたことがなかったわたしは、初めの頃は
彼らの「優しさ」と「人間性の素晴らしさ」に何より驚き、そして
感銘を受けました。それくらい、本当にいい方ばかりです。 
ですから、どんな背景を持っていらっしゃる方も、
「双極性障害」を患っているかたのことを
わたしは本当に「大好き 」 です。

「双極性障害」にかかる方で、日本で自殺する方の数は現在、
約70%以上だという記事をいくつか読んだことがあります。
この情報は、統計の取り方でも変わってくると思いますし、
原因をどの程度追求したかというやり方次第でいくらでも
誤差は出てくるレベルです。この数字は、「双極性障害」という
病名が分かっているひとの中での自殺率ですが、これ以外にも
恐らく現実には、「双極性障害」であるにもかかわらず、知らずに
自ら命を絶ってしまうケースはいくらだってあるわけです。

でも、それは患者の責任では「全く」ありません。
「双極性障害」の「日本での現状」を知りたくて、毎日のように
ネットの記事や書籍を読んで、感じてきたことですが、
日本では江戸時代から続く「縦社会」が未だに残っているせいか、
はたまた戦時中に養われてしまった「上の言うことには、何も考えず、
ただひたすら従って命を捧げろ」という長年の「洗脳」のせいなのか
はさておき、「先生」と名のつく「医者」に対して、あまりにも
「信じ込みすぎる」傾向が強いと思います。

「権力には逆らうべからず」ではないですが、どうも日本では
「医者」は(大げさにいえば)まさしく「神の如し」。
もちろんのこと、病気の専門家ではない患者は、
「病気の専門家」として知識の豊富な医者を信じて、
はじめは「自分で勝手に判断せず」に、彼らの言うとおりに
するのが大切です。
しかし、医者の言われる通りにして、しばらく時間がたって
それでも尚、回復しないのでしたら、それは明らかに
「医者の責任」に間違はありません。

「日本での『双極性障害』の自殺者率が高い」という
問題は、そこまで患者の症状を悪化させてしまった
医者の責任に他ありません。
それは明らかに彼ら医者の「診断ミス」や「知識のなさ」
からくる「結果」でしかないわけですから、
「自殺しか考えられなく」なって自ら命を絶ってしまう
患者には文字通り「何の罪もない」と思います。

私が日本の状況について、調べていく中で強く感じたのは、
「病気が治らないのは患者のせい」のような風潮が
まるで「暗黙の了解」のように社会の中に存在していることです。
私はこれが、不思議でなりません。

なぜ、「病気が完治しない」のが「患者の責任」なんでしょうか。
また、なぜ患者はそのような苦しい状況に陥っているのに
「医者の判断を疑わない」のでしょうか。

また、日本ではどうも「精神病は完治しない」という「通説」が
当たり前のように出回っているようですが、本当にそうでしょうか。
まだ調べている途中ですので、私は完全に否定はできませんが、
少なくて「日常に問題がないほどに回復」する見込みのある病気
が精神病ではないかと、調べるにつれて、正直思い始めています。

また、「医学」も所詮「学問」であり、時間が経てばいくらだって
「よい」とされていた薬や治療法が「悪かった」と言われるように
なったり、今までの「通説」が裏返ったりするわけで、
そういう意味においても、「情報通」の専門医に診察を受けなければ、
余計な苦しみを受ける羽目になり、回復どころか悪化する場合だって
あると思います。

「医者の力量」は患者が意識しているより、ずっと大切です

今までメールをいただいた多くの「回復していない」双極性障害
の方に、この傾向が強く見られて、私はいてもたってもいられない
気持ちで、こちらに ひとこと書かせていただきました。

さて、前置きが長くなってしまいましたが
今回は、私がどのように「病気から立ち直っていったか」
を掻い摘んでお話ししようと思っています。

最後までお付合いいただけると嬉しいです。

・・・・・ ・・・・・ ・・・・・

前回まで、私が「毒母」からの「異常なまでの干渉」に耐えかねて
精神病を患うようになってしまったことを書きました。

結婚をして、一時は幸せな時間を過ごしていましたが、子供達が
次々に家を出て独立し、ひとり家に残されてしまった母は、
そのストレスの「はけ口」を子供達に向けはじめ、私は母の
「恰好の餌食」にされてしまいました。

電話は毎日何度もひっきりなしにかかってきて、忙しいし、
ストレスなのでしばらく放置しておくと、今度はなんと
連絡もなしに突然家に現れ 、マシンガントークで
私を責めたてたり、(これも突然)何の約束もなくいきなり
「明日までだから、やってね」と書類の説明や翻訳を任そう
としてきたり 、仕事をしつつ大学に籍を置くわたしは、
他の職業に比べて時間に融通はききましたが、
あまりの「毒母」のわがままさに、最終的には夫に相談し、
しばらくは距離を置き、電話にでない方法をとりました。

するとまた「突然の訪問」が続き、たまに心配で電話にでると、
「なんで手伝ってくれないのか」と怒鳴り散らす母親に
心身ともに文字通り「ヘトヘト」でした。

夫はあくまで「傍観者」 で、母と私の間に入って
何かをしようとは思わないようでしたが、私が泣いて
苦しんでいるのを見て、「連絡を断て、縁を切れ!」の
一点張りで、精神的にストレスだったとはいえ、やはり
母のことを嫌いにはなれずに「見捨てる」こともできなくて
2人の間に挟まれてしまい、さらに苦しみ始めました。

「ママはストレスで苦しいけど、見捨てるのは可哀想…(涙)」
板挟みだった私は、しばらく連絡は控えたものの、自分の中の
「罪悪感」で心はいっぱいでした。


今考えれば、夫の判断が正解で、変な「罪悪感」なんて
必要なかったとはっきり分かりますが、当時は母を「見捨てる行為」
と思い込み、「かわいそう」とまるで子供の面倒をみる母親のような
心境で「毒母」に接していたのだと思います。
自分で言うのもなんですが、何とも「お人好し」の「アホ」でした。


私たち夫婦の重荷に他ならなかった「毒母」 ですが、
私たちの結婚生活が上手くいかなくなり、離婚に至った
のは、もちろん「母だけ」が原因ではありませんでした。

結婚が上手くいかなくなる根本の問題は、
夫婦のいる環境や置かれている状況がどうであれ、
確実に、夫婦「ふたり」の問題です。


「毒母」と距離をとったことで、しばらくは静かな日々
が続きました。
しかし、そんな中「夢見がち」な夫が夢を追い、
私をひとり置いてドイツに行ってしまいました。

彼にはどうしても勉強したいことがあり、まだ数年しか働いていない
(失業率が高い中)職場を去り、バイトをしながら現地で大学に通う
といい、そういわれた私は本当は嫌でしたが、悩む彼を想って、
「そんなに行きたいなら、経済的には不安定になるけど、
人生後悔しないためにも、決断したらいい」と背中を押してしまいました。
またもや長年培われてきた「お人好しのアホ」が力を発揮していました。

そんなこんなで、母との関係という問題が解決途中であり、
心が疲れきっている中、唯一の支えだった夫がドイツへいってしまい、
私は「それでも、がんばって前を向いて生きるぞ!」と最初は意気込んで
いましたが、しばらくすると精神的に弱くなっていきました。

そのことを夫に話しました。正直に「寂しいから、帰ってきてほしい」
ことを伝えました。私の長話を聞いて、納得した(ような態度だった)
夫は、2週間のイースター休みに、大荷物でドイツから戻ってきました。
しかし、時間が経つと調子の戻らない私に対して、「やはり勉強は
やめられないから、大学に戻る」といい、休みが終わると
また大荷物を持ってドイツに戻っていってしまいました...。


「あんなに話をしたのに、何だったんだろう …。」
そう思いつつ、彼を引き止めることのできなかった私は、
またもや彼不在のマンションでひとりの生活を始めました。

しかし、母親とのことが解決できなかった上に、今度は
職場の同僚の先生からイジメともいえるような (涙)
「ストレスのはけ口」 にされるようになり、
(どこまでついてないのか、自分でも唖然としますが)
時間が経つごとにどんどん調子が悪くなっていきました。 
そして輪をかけるように、その時期に支えになてくれて
いた男友達の親友が、卒業を機に日本に就職先を見つけて、
お別れをしなければならなくなり、心の中をさらけ出せた
友人がひとり減ったことで、さらに調子は悪化していきます。

夫とは毎日のようにスカイプで話はしていましたが、
それでも悲しみのどん底で話を聞いてほしい時には電話はつながりません。
そんな中、「毒母」からの電話が入り、藁にもすがる思いで話をしました。

母は私の状況を全て夫のせいにし、(まあ、的外れな批判ではありませんが)
「養うべき妻を置いて、自分の夢を追いかけるなんという非現実的な
ひどい男なんだ!!」 と彼の行動を大批判しました。

これは、確かに母の言っていることに一理あり、
夫は「結婚の責任」ということが分かっていなかったのは事実です。
そして妻を「人生の伴侶」として「愛し、大切に扱う」ことも心得て
おらず、常に「自分が一番」で「他人には干渉しない」というスタンス
で生きている人でした。

今考えれば、自分を苦しめていた「毒父」にどこか似ていたような
気がします。もちろん、比べ物にならないくらい夫の方が私を
大切にしてくれましたが、「自己中心」という面では同じレベルだった
ように思います。


しばらくして、あまりに調子が悪くて耐えられなくなった私は、
「このままだったら、離婚する」と嘆くようになり、能天気だった
夫も、大学を辞めてこちらへ戻ってきました。
しかし、「毒父」と同じ態度を取られ、「見捨てられた感」の
拭えなかった私は、彼への愛情が自分の中で萎えていくのを
感じらずにはいれませんでした。

「本当に、この人は私を愛しているのだろうか」
自問自答の日々が始まり、彼のはっきりしない態度にも
怒りを覚え始めました 。
そうこうしているうちに、段々と過去のデジャブが
始まり、「またあの苦しい家族関係が出来上がっていく」
のではないかと「私にそれほど興味のない、干渉しない」
そして「自分が一番大切」な態度があからさまになってきた
夫から、自分の気持ちがどんどん冷めていったのは、
まさに時間の問題でした。

・・・・・ ・・・・・ ・・・・・

なんだか、いつもよりも長文になってしまいました。

読むの、疲れませんでしたか?

長くなったので、今日はここまでにしますね。
次は「離婚と毒親の『呪縛』からの解放」というタイトルで
引き続きお話ししていこうと思いますので、引き続きご愛読
いただければ、幸いです。

今回もご一読いただいて、ありがとうございました。

・・・・・・・・・

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