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人に向ける厳しさは自分に対する厳しさ

最近気がついたことがある。

「人に向けていた厳しさは、全部自分に対する厳しさなのかも」と。

遅くてはダメ、もっと早く!
こんなこともできひんの?
自己管理ぐらいしっかりして
人に甘えすぎ、もっと自立して
なんでもっと上手に話せへんの?
もっと勉強したら?

あーーーー厳しい。笑
見たくない自分だけれども、今まで私、人に対してこう思うことが結構あった。
でもこれ、人に向けてると見せかけて、全部自分に向けた厳しさだった。

自分の中にある弱さや不甲斐なさを認めてあげられないからこそ、それを見せてくる人に対して、すっごいイライラして責めるような気持ちが出てきてた。他人に自分を投影していたんだと思う。

だからこそ、自分がうまくできないとき、失敗したとき、人よりも落ち込むし、そんな自分には価値がないと思ってしまう。

そう、全ては無価値感から来ているのだ。

「ありのままの自分では価値がない」「価値が低い」

そう思っているからこそ、外側の何かでそれを埋めようとするし、その内側にある自信のなさが垣間見えたときに、すっごくしんどくなる。

ちょうど一年前ぐらい、何かに疲れた感覚があって。特に仕事で。
「ちょっと落ち着きたいなー」「しんどいなー」って思ってたんだけど

それはきっと、自分を奮い立たせて頑張って価値を見出すんじゃなくて、もうすでに自分の中にある価値を見てあげたかったのかなーと思う。

てっきり、働き方とか仕事内容とかを変えたいってことなのかな?と思ってたんだけど、どうやら自分の在り方だったみたい。

だからもし、人に対してすっごいイライラしたり、厳しい視線を向けている自分がいたら、それってもしかして自分に向けてる視線かも?という視点で自分と向き合ってみることが新しい発見に繋がるかもしれません。

何かのヒントになれば🌿

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