10年後の自分に早く会いたくなった話
「出会いなおし」という本を読んだ。
”10年後の自分に早く会いたくなる。気まずさも衝突も痛みも超えて、人は何度も出会いなおせる”
という、本の腰巻のフレーズに惹かれて買った本。
短編集が1冊の本になっているような感じ。
こういう小説って、サラッと読めるからすごく好きでよく買っちゃう。
サラッと読めるけどその中にズシンと重く響くものがある。そんな感じ。
むすびめ
むすびめという題名の短編があった。
これがとても読んでいて、すごく痛みを感じたというか。
主人公にすごく感情移入してしまったところがあった。
久しぶりに参加した小学生時代の同窓会。その当時参加した、30人31脚の話題が出た。当時、主人公琴ちゃんは、いわばクラスの中の足手まといで、本番でも転んでしまい、予選敗退という結果を導いてしまった。それだけじゃない。いつも隣で、練習中も転んだ琴ちゃんに手を差し伸べてくれていた優しい存在のクラスメイト奥山くんも、本番の時には手を差し伸べようとせず、ただただぼーっと視線を送るのみ。その後から、なぜか奥山くんは琴ちゃんのことを避け続け、そのまま卒業し別れることにー。
その地味に痛い心の傷とずっと戦ってきた主人公の胸の内を思うとすごく胸が苦しくなった。
なんであんなに、子供の時に感じた痛みって忘れられないんだろう。
かくいう私も、中学生の時にクラス対抗リレーに選抜されて、トップバッターを任されたことがある。同じレーンの子は、運動部の速い子たちばっかりで私は部活を辞めたばかりの帰宅部。でもリハーサルでかなりいい走りだしができて、これいけるんじゃない?と思ってた。だがしかし。本番。パンッとピストルの音が鳴った瞬間。私はクラウチングスタートで思いっきり滑って転けた。
もうあの瞬間といったら。スローモーションになるってこういうこと?と思うぐらいにスローで。その時に触れた土の匂い。観客席の保護者たちの「あぁ・・・可哀想に・・・」という声。クラスの子達の「まじか」という視線。全部全部忘れない。鮮明に覚えている。今でも。
中学生という多感な時期。
正直、「ごめんね〜!」と明るく言える生徒でもなかったし、「大丈夫だよ、よく頑張ったよ」とクラスの子全員に言ってもらえるほど信頼関係もなく。地味に痛い傷。多分誰も覚えてないけど(笑)こういうのって本人だけが引きずっていることが多いよね。
すごくすごく主人公の気持ちがわかる。
↓ここからはネタバレになってしまうので読みたい方は注意。
結局、同窓会で事の真相を知った琴ちゃん。
本番後、クラス内では悔しがって泣く子もいれば、「あいつのせいだ」と琴ちゃんを責める声もあった。ただそこで放たれた担任の言葉でみんな冷静になり、子供ながらにも琴ちゃんのことを心配して、そっとしておこうと思った。そして彼らの中では、当時の敗退の痛みなどはもうとっくになかった。
そして、奥山くん。本番時に手を差し伸べてくれず、ただぼーっとしていた彼。でも実は彼は彼で、汗かきで手にじっとりと汗をかいてしまってそれが恥ずかしいという多感な時期ならではの悩みを抱えていて。本番も緊張しすぎて、そんな汗びっしょりの手を差し出せなかったという。そしてそれが恥ずかしくて避けてきたと。でも謝ることもできないまま卒業して心残りだったとー。
同窓会で出会いなおしたことで、今まで自分自身で固くしていた結び目が緩く解けていく感覚。
わかりあうために必要な年月もある。人は、生きるほどに必ずしも過去から遠のいていくのではなく、時を経ることで初めて立ち返れる場所もあるのだと、触れ合った指先に確かな熱を感じながら思った。 ー本文よりー
学生の頃って、本当に自分のことで必死というか。いや今でも結局誰もがそうなんだけど、学生の時って「自分がどう思われるか」というところが最重要事項で、すごくそこに意識が向いてたよなあと思う。みんなそうやって自分のことに必死なんだから、人のことなんか気にする必要ないのに。でも気にしちゃうんだよなあ。
あの時期って特に人間関係で色々あったけど、そのどれもが「自分が他人からどうみられるか」と「自分の居場所を無くしたくない」というところしかみんな考えてないよなぁと。だからこそ、人気者にはみんな取り入ったし、多数決ではみんな多い方に手を挙げたし。とにかく自分のことで必死だったんだよね。
今こうやって振り返ってみると、すごく肩に力が入っていた自分に「みんな自分のことで精一杯だからもっと自由に生きな」と言ってあげたい。
けどきっとその時は何を言われてもわかんないんだろうな。それが「時を経ることで初めて立ち返れる場所もある」ということなんだろう。
でもこうやって、大人になってみて思うのは、学生時代とか子供時代の経験って、一つ一つがすごく大きな衝撃なんだなと思う。それはもうビッグバンレベルの。だって味わったことがないから。今、同じことが起こっても、多分うまく交わしたり、忙しい日常の中で忘れたり、そんなに衝撃は受けないはず。それはもちろんこうやって経験して、歳を重ねてきたからなんだろう。正直、その方が生きやすい。流れるように生きてる。みんな器用に生きてる。でもだからこそ、一つ一つの出来事に対して、”重み”や”感動”というものをあまり感じられなくなっているというのも然り。ビッグバンによって、宇宙が誕生したのと同じように、一つ一つの衝撃を受けるのはすごく負荷がかかるけど、それによって生まれる新しい景色もある。それを”成長”と呼ぶんだろう。そして、それを本格的に忘れると、人は”退化”していくんだろうな。
高校時代のある先生に言われた言葉がずっと忘れられない。
過去の武勇伝を語り、「あの頃はよかった」と語るだけの大人にはなるな。それは現在(いま)に逃げているのと同じだから。現在・未来の話を生き生きと話せる大人になれ。
10年後の私は、今の自分にどんな声をかけるのだろう。
確かに10年後の自分と早く会いたくなった。
33歳。34歳になる年。どんな人生を生きているんだろう。
楽しみでしかないな。奥が深い、味わい深い人間でありたい。そして自分の人生を最高に謳歌している自分であってほしいな。そのためにも。現在を精一杯生きよう。
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