メンヘラって治るの?

中学生の時の彼氏に、「なんでおまえってそんなに暗いんだよ」と言われたことがあるけど、今もしも彼に会ったら「なんでおまえってメンヘラなんだよ」って言われるのだろうか。

世の中にこんな関係はよくある。メンヘラが気に要らないのであれば、どうぞ捨て置いたらいい。なんでと責めたところでメンヘラは治らない。

そもそも、他人と比べて暗い、というパーソナリティは君が責めるに値する実害を君に与えただろうか。

なんでというのはこっちが聞きたい。なぜ君は、世界のすべてが君の好むようにできていると思っていて、君におおよそ無害なそれを責める権利が当然君のものだと思っているのか。

不成立だ。今はつらくてもその関係はお互いに悪いから切ろう。メンヘラ歴の長い今ならこう思う。

しかし中学生のメンヘラ自覚のない私は、彼が望む自分でいない自分を責めた。実りない関係性に固執し、できる限りに自分を大安売りした。相手の期待に応えられない自分には価値がないことだけは心から信じた。

これがメンヘラのコアだと思う。自分に価値があるとかないとかに迷い込んで出口がわからなくなっている。他人がはかる価値に振り回されると一生メンヘラをこじらせるから、価値なんか判断するのはやめよう。おそらくメンヘラ本人には自分がほしい答えを与えてあげることはできないし、誰かが与えたものは信じない。

私は脳科学者でも心理学者でもないが、双極性障害者の立場として、メンヘラってつまるところそれも含めて、人間のパーソナリティなのではないかと思っている。

そうじゃないひとと比べて生きにくさを否めないので障害という名前がついているけれど、そういうひと、というパーソナリティであって、例えば生真面目や、きれい好きな人がずっとそうであるように、治ることじゃないんじゃないだろうか。

たぶん、パーソナリティの核のような重鎮な場所があって、後天的な体験なんかは、そのパーソナリティに重ねていくことはできるけれど、核は消滅することはない。共生はできるけれど変性することはない。

というのは、かつて私は自身を憎み、自身で生きた人生を全て否定するために、名前を変え、話す言語を変え、住む国を変え、コミュニケーション方法も徹底的に変えた。

明るく上品なペルソナを、新しい名前をもった私のために作った。それは私に友達や恋人をもたらし、対外的には人間力が高いとまで褒められ、笑顔を顔面に張り付け、高い声で穏やかに話し、いつもひとに囲まれていた。完全に計算された別人のような行動をすることで、別の人の人生に用意されていたはずのものが手に入った気がしたけれど、

恋人が「好きだよ」と言った時には衝撃で、絶望した。その言葉も気持ちも、ほんのわずかすらも私に値しないことが一瞬で理解できたからだった。私の核となるパーソナリティは、死にたいで、今偶然に生きている私が、一歩先の未来も、まして誰かとなんて進むつもりもなかったことに気が付いたからだった。

その日から私の人生に恋人というパートがなくなった。

本質的な性格は変わらない。メンヘラも治療を選ぶことで症状を和らげることはできるし、衝動はおさえることができる。薬で眠ることもできる。日常生活を送ることもできる。仕事して一人前に生活することだってできる。けれど、パーソナリティに入り込んだメンヘラはきっともう治らないのだろうと思うから、残りの人生をメンヘラというパーソナリティで孤独を覚悟して生きていくのだと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?