そうでしか生きられない人を理解する
生活習慣病というのがある。
長年の食習慣や生活習慣によって起こる、
昔でいうところの成人病というもの。
代表的なものとして、例えば糖尿病かなあと。
糖尿病の3大合併症として、
網膜、神経、腎障害が起こることがある。
私も普段の仕事では、
この糖尿病の合併症である
腎障害を抱えた患者さんと接することが多い。
腎障害に至るという事は、
やはり、その他の合併症である
網膜障害、神経障害も併発しやすいわけで。
なので、足がなかったり、目が見えない方と
接する機会も多いです。
糖尿病になって、腎障害や神経障害まで
なってしまっている患者さんたち。
もちろん、先天的な病気の方もいるけど
やはり半数以上は、長年の生活習慣から患った方。
私は正直に言うと、そんな方たちは
自分のせいで病気になったのだから
自業自得なんじゃないかと捉えていた。
なので、この私の仕事はただの尻拭いを
しているだけじゃないかと。
そんな風に思っていた。
***
それが、とある人と話していて、
そうではないかもしれないと気づいたことがある。
物事は二面性がある。
私はこの話では、完全に片方しか見えていなかったと思う。
"生活習慣病だからその人の問題だ"と、
そう捉えていたのだけど。
反対では、その餌食になってしまった人
被害者だと、捉えるということもできる。
例えば、お酒が体に良くないのは分かってる。
だけど美味しいのは事実。
テレビCMではいつも美味しそうに
ビールを飲む映像が流れている。
それを毎日毎日、見続けていたら
(見せられていたら)
お金を払ってでも買ってしまうのは
もはや仕方のないこと。
だとしたら、
その方たちは、情報社会の戦略に嵌められた
言わば被害者という見方もできる、ということ。
テレビを見なければ良かったのか
なんて言ったとしても
その時代、テレビからの情報はかなり有能で。
しかも、
ネットが今より普及していなかったとすれば
テレビが情報源の全てだとも言える。
そういう意味では、消費者であるその方たちが
この情報社会を作ってきたと言っても
過言ではないのかもしれない。
なので、その方たちが怠けていたのか、
という見方も間違っていると思う。
日々、患者さんと接する中で
「若い時はどんな仕事をしていたのですか?」
とよく尋ねるのだけど。
皆さん現役時代の自分の仕事に
誇りを持っていたと分かるような
話ぶりをされる。
きっと、
一生懸命仕事に打ち込んできたのだろうなと、
そう思わせるほど。
だとすれば、一生懸命仕事をしてきた中で、
唯一の楽しみが例えばビールだったという
だけの話なのかもしれない。
それが、かわいそうとか、運が悪かったと
済ませるのは、また違うんだろうと思う。
矛盾するかもだけど、
過ぎたことは、いくら悔やんでも戻らない。
その病気になったという事実は変えられない。
いくら現実逃避したって、それは問題から避けていること。
何の解決にもならない。
じゃあ今、どうしていくのがベストなのか。
今ある治療を受けてもらうこと。
これからの生活習慣を出来るだけ良いものに
していくこと。
治療と聞くと、
「治るための」という
見えない前置きがあるようだけど。
この方たちは、正直治る見込みはない。
だからこそ
後手に回ろうが、対処療法に過ぎようが、
これからの生活は続いていくわけで。
今の状態を維持して、
悪くならないようにする「治療」ってものを
施行していくことがこの方たちにできる
最善の方法であり、私の仕事なんだろうと思う。
見方を変えるというか、
一方向から見て決めつけるのは、違うんだなと。
それはやめようと、そう自分を反省したところです。
そして、その為には
俯瞰して見ることがやっぱり大切だなと。
(本当にこれ大事なので是非身につけるべきだと
思う。本当に!)
明日からも、また新たな気持ちで患者さんと
向き合いたいと思う今日この頃です。
※自分の主観や考えを書いてますので、
不快な気持ちになってしまった方がいたら
申し訳ないです。
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