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夢を語るのはだれだ

遡ること十数年、まだ自分が自治体職員だった頃のこと。
民間企業からの登用で横浜市役所に部長職として入庁された方とお話する機会がありました。
その時にお聞きした言葉で印象的だったのは「市役所はお客様が選べないってことに入ってみて初めて気が付いた。」というものでした。

民間と自治体の相違点

自治体と民間企業で決定的に違うのがこの点で、自治体には「金銭的な利益追求」という概念が存在しない代わりに「公共の福祉を追求する」という概念が存在します。

「公共の福祉」に則ると、地方自治体の活動は多くの場合で金銭的利益とは全く相容れないものとなる可能性が高く(燃やしたり埋め立てたりするためだけに費用かけてゴミ収集するとか民間企業はやりません。)、そのために行政は「税金」という形で皆様から徴収した原資を元に予算を組み、日々活動をしています。
要するに「稼ぐ」ことを活動の中に組み入れなくても一定の原資が入るという状況です。

一方で民間企業はそもそも原資を稼がなければ活動もできません。
その代わりにマーケティング等を行った上で「対価が取れる確度の高いセグメントを攻めにいく」ということを通常は行います。(じゃないと経費ばっかりかかって利益を圧迫しまくります。)

時代の変わり目

しかし「企業の利益と公共の利益はトレード・オフ」という考え方が徐々に変化していき、つい最近まで「CSR(Corporate Social Responsibility=企業の社会的責任)」とか言っていたものが「CSV(Creating Shared Value=共通価値の創造)」とか言われるようになりました。
そこに、コロナ禍を経て働き方や社会の価値観が大きく変わったこと、デジタル化の遅れが一気に顕在化して国全体が「これはヤバイ」となったこと、chatGPTに代表されるテクノロジーの著しい進展などの要因が重なったこと、元々存在していた「共創」の下地がある程度の広がりを見せたことで、「公共の福祉を追求することと、企業の利益を追求する活動があるレベルで結びつくようになった。」と感じています。(ふるさと納税なんかはその典型かも)
しかし、それだけで「公共の福祉」が維持されるかというと当然ながらそんなことはなく、地方自治体には金銭的利益なんかとは程遠い泥臭い仕事はたくさんありますし、そのひとつひとつはとても大事なものでもあります。(それ故に「効率的にしなくてもいい」という勘違いを生んでいる側面もありますが、それはまぁ別のお話ということで…。)

「公共の福祉」と地方自治体

日本国憲法第12条・第13条には以下のように書かれています。

第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。

第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする

要は「みんなで幸せになりましょ~♪」みたいなお花畑な話ではなく、「権利や自由はちゃんとみんなで守っていかないと消えちゃうから、ちゃんとみんなで力を合わせて戦ってね!」という究極の鼓舞をしているわけです。
しかし、そのコントロールを国に全部委ねていると、地方の実情や地域ごとにある歴史、その地に住む人々からの要望などが埋没し、独自性が失われる恐れがあるために「公共の福祉」を地方ごとにコントロールする主体(=地方自治体)が存在するという構図になっています。

公共の福祉に投資対効果はあり得るか

地方自治体の活動原資が税金である以上、無駄に使わないなんてことは言うまでもないですが、正直「公共の福祉」において「投資対効果」なんてことを言っていたら生活保護をはじめとして立ち行かない制度や事業は多々あります。
一方で「稼ぐ」ことを考慮に入れる必要がなく、さらに言えば法律などの規制が手段として使える自治体は大手を振って未来のビジョンを描いたり、チャレンジを重ねたりすることが可能な環境でもあったと思います。
横浜が1970年代に構想した「六大事業」が何十年もかかって横浜の都市の骨格を形成したように、何十年という長期スパンで大きな構想を描きながらソフト・ハード含めて都市の形を作っていくなんてことができるのは、自治体か鉄道事業者くらいなもんじゃないかと思います。

ただ、当然ながらそのためには自治体側にとんでもなく高いスキルが要求されますし、DXでも「手段の目的化」が乱発されている状況を見ることは多々あり、「事業はあっても政策がない」という状態に陥りつつある気がするのが心配なところです。

夢を語るのは自治体か民間か

身も蓋もないことを言えば「両方」です。
憲法に書かれているように「自由及び権利は、国民(市民)の不断の努力によって」守られるものである以上、その憲法および紐づく民法その他によって経済活動をしている民間企業であっても「公共の福祉」を無視することは許されません。(過去の公害との闘いはその象徴的なものであったと思います。)
しかし、これまで書いてきた背景や成り立ちの違いからそれぞれが果たすべき役割というのは異なっていて、地方自治体には今後より一層「地方のプロデューサー的役割」が求められていくことと思いますし、そのためにどう必要なヒト・カネ・モノを集めてくるのかという視点が欠かせなくなっていくと思います。
前述した横浜の六大事業においても、旗を振ったのは当時の飛鳥田市長ですが、ぶっちゃけ当時横浜市役所内にいたプロパー職員だけであんなビッグピクチャーを描くことはほぼ不可能だったろうと思います。
六大事業において飛鳥田市長の理念に呼応し、総合調整と変化を起こす触媒的役割を果たす「企画調整室」を担ったのは民間から登用された田村明氏であることは周知の事実であり、その後も続々と民間から人材が登用され続けた結果、元々の理念の立て方が素晴らしかったことも相まって庁内の人材も磨かれていったのだろうと思います。
それはハードのまちづくりだけではなく、国が地域包括ケアなどと言いだすはるか前に作られた地域ケアプラザの取組みや、区役所への予算をはじめとした大規模な権限移譲、こども青少年局の立上げ、日本初の広告事業の立上げやその後に続く10年を超える共創の取組みなどへ繋がっていく礎であったと私は確信しています。(横浜市の過去の政策は調査季報をチェック!)

「じゃあなんでお前は自治体職員を辞めた?」と聞かれれば、前に書いたとおり「公共の福祉を追求することと、企業の利益を追求する活動があるレベルで結びつくようになった。」こと、そこに自分が過去に培ったスキルが活かせる機会と場があり、その方が社会の役に立てるのではないかと考えたからです。
正直私はそろそろ引退も視野の隅っこに入りつつあるお年頃でもあり、その少ない時間でできるだけ後輩達に良い環境を残してあげたいし、IT分野の場合は自治体の外からそれを行う方が効率的だなと感じています。

家を建てる時に設計からクロス貼りまで様々な役割の人たちがいるように、まちづくりにおいて自治体職員だけいればいいなんてことはありませんし、自治体職員は「稼ぐ活動」を免除されるかわりに視座の高い思考・行動を許されている職種であると言えます。

今、多くの仲間が地方自治体から離職していて、それをネガティブに捉える傾向がありますが、個人的には「助けてくれる仲間が増えた」と捉えてもらう方が建設的だし、中には搾取しようとする輩もいるかもしれないですが、そういう人をかぎ分けて忌避したり、異なる考えや役割を持つ人たちをどうまとめてプロデュースしていくかというスキルを身に着けることも「稼ぐ活動の代わり」に含まれていると私は思っているので、世の地方公務員の皆様は自信を持って大きな夢を描くことに邁進してほしいと思います。