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アートとサイエンス

「Dr.STONE」というアニメをご存じですか?

原作は週刊少年ジャンプで連載していた漫画で、私はそっちをずっと見ていたのでアニメの方は見たことなかったんですが、最近なんとなく見始めて「なにこれすごい」ってなりました。

物語は、地球上を謎の光線が照らし、その光を浴びた人類が全て石になるところから始まります。
石になった人はそのまま死んでしまうわけではなく、意識を保っている状態であるというのがこの石化光線の特徴なのですが、その中で無類の科学好き少年「石神千空」はいずれ来る復活の日を信じて時(秒)を数え続けます。
そして3700年後(!)奇跡的に千空少年は石化を解き、文明の滅び切った地球で再び科学の世界を築くべく奮闘する…という話です。
千空少年が最初に目覚めた時は文字通りの「裸一貫」であるため、まずは衣食住を手に入れるところから始めるわけですが、とんでもない化学の知識があっても何もないところから生活基盤を作ることに四苦八苦するという様子が最初の数話は描かれています。

さて、こんな話をしてなにを言いたかったか。
最近、こんな話がネットを巡っています。

これに対して「こんなんAIでできるやろ」みたいな発言をして、日本中のエンジニアが「ちょっと待てゴルぁ」となっているわけですが、実はこんなのはポッと出てきた話ではなく、また住所だけの話でもなく、デジタルを活用する社会基盤を作ろうと思った時に、やらなければいけないことは多々あって、文字コードなんかはその戦いを長きに渡って続けていたりします。

語彙に関しては現在進行形で続いているとことですね。

さて、なぜタイトルを「アートとサイエンス」にしたかというと、昔々にあるところで「再現性のないことがアート、再現性のあるものはサイエンス」という言葉を聞いたことがあって、首がもげそうなほど頷いたわけなんですが、今回の騒動を見て日本ってとことん「アート」な国なんだなと思ったからでした。

自治体職員として20年以上の長きに渡り、行政ICTの世界を見てきましたが、住所でも文字でもセキュリティでも、私が見てきたのは専門家に対して「なんかプログラムとかでうまいことやっといてよ」と言い放つ人が多数いて、それに対して安い給料で働かされていた人が大勢いたこと(ほんの10年くらい前まではそうだったと思います)、そしてコロナ禍を経て急に「DXだー!」となって、「デジタル人材が足りねぇぇ!」と騒いでいるという状況です。

「なんかうまいことやっといてよ」という人たちはその「うまい」がどういうものなのかをぼんやりとしか頭に浮かべられていなかったはずで、ぶっちゃけ「アート」以前の問題ですが、それを「うまく」やることを強いられた人たちは再現性を持って実装しなければいけなかったという点で「サイエンス」をする必要があったわけです。

しかし、アートを急にサイエンスにしようとしても当然うまくいきません。
しかし、そういう想像力を持てない人たちが中枢にたくさんいたために「うまくやってよ」が横行し、結果的に上記のような「そもそもダメじゃん」みたいな話が噴出することになるわけです。

ぶっちゃけ「デジタル」という文脈で考えた時に、謎手続きというのは行政にはわんさか残っています。

こういう状況を整理せずに「標準化」とかどうやるんだろう…と思わなくもないですが、まぁきっと「なんかうまくやる」んでしょう。

どんなに科学が発達しても、人間という存在がアートな生き物であることは変わりありません。
私は「デジタルをうまく活用するためには、アナログをちゃんと整えること」と長く言い続けてきましたが、まさにそれをちゃんと認識すべきタイミングに来たのであろうと思います。

そしてこういう「金にならないけど社会にとってめっちゃ大事」ということこそ行政がやるべきことであるんですけどね…。