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【問】想いを馳せることに価値はあるか

災害からの復興について書きます。題名のまま、被災地に「思いを馳せる」ことに価値はあるのでしょうか。
東日本大震災の被災地である岩手県大槌町を中心に、陸前高田市、宮城県南三陸町、石巻市に行きました。

現状と過去の記憶と年数が一致しない「7年」の文字

2011年3月11日。あれから7年8ヶ月が経った。次の3月で8年を数える。

当時、私は小学5年生だった。私も関東圏で地震を経験した。校庭に避難した。地元の公民館には避難者が来て、公民館の体育館が使えないらしいことは聞いた。あれから7年である。
7年の間に小中高を卒業し、今は大学に通う。

自分の7年間を振り返ってみた。歳を重ねた。身長が伸びた。
小学生の時の、明らか狭かった社会は、今は溺れそうなくらい広いものになった。人間としての知恵も経験も数値的学力も、多くなり高まっただろう。記憶も記録も、溢れている。

同じ7年だ。被災地も、自分も、同じ時間を経過したはず。

なのに、今の被災地には、地面がむき出した街並み、いや、そういう「場所」が広がっていた。
見ている景色、重機の数、大型トラックの数、見える地面、通行止めの看板、7年の数字とイコールで結ばれなかった。結べなかった。

確かに、震災当時と比べて、明らかに景色は綺麗になっただろう。瓦礫は見当たらなかった。

それでも、それでも、頭の中で繋がらないイコールに、困惑が止まらない。それほど、甚大だったのだと、被災範囲が広いのだと、思うことで精一杯だ。

大学生にできること、被災地に足りないもの

ずっと考えてきたことがある。

資金がない大学生が被災地に出来ることは何か。
被災地の「水面下で足りないもの」は何か。

今回お会いした方が言っていた。

ハードの部分は終わった。これからはソフトを。

どういう意味か。
もう「モノ」は揃っているということだ。生活用品も交通手段も教育環境も、こちらが手渡しできるものたちに、不足はないのだ。

でも、何か、見えない部分に欠けているものがあるのだ。それがソフトだと言う。

私は、ソフトが何か、分からなかった。見えなかった。何も見えなかったのである。
そんな私に、いち大学生に、何が出来るのか。今は、目の前が真っ暗である。

記憶し続けること

少し話を逸らす。記憶し続けることについて、少し書こうと思う。

昔どこかで聞いた言葉が忘れられない。

人間は2度死ぬ。1度目は呼吸をしなくなった時。
2回目は人の記憶から消えた時。

妙に腑に落ちる。人の記憶から無くなれば、存在認知がなくなるということだ。お墓だけ、最悪何も残らない。

同時に疑問が湧く。
記憶から消えるって人当たり?それとも一瞬一瞬において?

さらに思った。これは震災を当てはめていいのだろうか。

おわりに

今時点で、私が出来ることは、見た景色を、話を、想像を、記憶し続けること。これしか、出来るものが見つからなかった。

価値があるのか、意味があるのか、わからない。
ただ、記憶すること、想像することしかできない自分に、無力感と情けなさ、憤りを感じる。なんて、ちっぽけなのか、しょうもないのか、と。

もしかしたら、「意味があるよ」と肯定して欲しいだけかもしれない。

わからない。ただ、思ったことは。

また行きたい。行きたい。
被災地を見たい。見なきゃ、という使命感さえ感じる。

カバー写真は、宮城県石巻市の大川小学校。
生徒1人先生1人を残し、他の方々はお亡くなりになった場所。

私は、ここの校庭で、自分が知っている小学生が校庭を走る姿が見えた気がした。教室で「はいっ」と手を挙げている姿が見えた気がした。
同時に、テレビで見ていた津波の映像が蘇った。そして、小学生が震える、怯え、走っている姿が見えた。

私は震えた。泣きそうになった。怖かった。

資金的支援が出来なくても、また行きたい、まずは、あの場所で、自分の過ごした時間と、年数と、復興の現状をイコールで結べなくてはいけないと思う。

最後に、読んでくださった、あなたへ。
被災地に想いを馳せることに価値はあるだろうか。

おしまい。

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