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映画『怪物』から派生する子供の姿

晴れたと思ったら曇ったり、そういえば梅雨明けのニュースを聞いてないけれど、相変わらず東京の夏はじっとりしている。
写真を撮りに出かけたい気持ちも削がれる日差しに負けて引きこもろうかと悩みながら、観たい映画があったのを思い出した。

是枝裕和監督の映画『怪物』

カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞して、公開前からずいぶん話題になっていたし、前売り券を買ってもいいくらい期待していたのに、すっかり観るタイミングを逃していた。
西に傾いても暑い太陽が沈むのを待って、レイトショーを観る。
公開から一か月過ぎてもまだ1日3~4本は上映してるの、さすがだな。平日21時開始でも半分ほどは席が埋まっていた。

物語は三部構成になっている。
息子を愛するシングルマザー、生徒思いの学校教師、そして無邪気な子供たち。それぞれの視点でとある出来事についての全容が明らかになっていく。
人間の奥底にあるものがあぶりだされていくような構図が恐ろしく魅力的な映画だ。

シングルマザーである早織は、クリーニング屋で働きながら一人息子の湊を育てている。毎朝水筒を用意し手渡して「いってらっしゃい」と見送り、息子に異変を感じれば積極的に声をかける。学校で心配なことが起きていると察した早織はある日話を聞きに行く。良い母親だと思った。
担任教師からの暴言と暴力に対し糾弾する早織に、学校側は校長をはじめ釈然としない態度を貫く。罪を認めるように見せて断言しない、責任を受け止めるようで事を荒立てたくないという本音が透けて見える。息子を心配する早織を前に「死んだ目」で対応する学校側に辟易としていく様子には同情した。目に涙を浮かべて「この学校はおかしい」と声を震わせる母親の姿は、胸が苦しくなる。
しかし「死んだ目」といった過激な表現や、言ってわからないならと言わんばかりに手を出してしまうヒステリックさ。安藤サクラさんの息子を想う演技が真に迫っていて恐怖を感じた。

生徒思いの学校教師、保利の視点になると早織のモンスターペアレントぶりが強調される。
早織がママ友から聞いていた保利の噂について明らかになったり、新任で小学5年生の担任を任され奮闘する姿は応援したくなった。部屋が汚いのも、小学校の先生ってとても大変だと思う。保利自身も母子家庭であった経験から早織と湊の境遇に偏見はないと言っていたのに、恋人にほだされてすぐ意見が変わったりするあたりは若い教師だなとも思うけど。
身に覚えのない「体罰教師」というバッシングを受けて保利は校長に直訴するが、校長は冷たく「あなたが学校を守るんだよ」と言い放つ。ここが怖い。さすが田中裕子さんだと言うしかないが、人間味を感じさせない底知れぬ恐怖。
結局、保利は無実を主張することも許されず、学校の「事勿れ」によって黙るしかなくなった。

最後の無邪気な子供たちの視点がこの映画の本質を描いている。
湊は同級生の依里に惹かれている。
クラスでも少し浮いた存在で、年頃の男子生徒たちのいじめの的となってしまう依里に、湊は「みんなの前では話しかけないで」と距離をとりながらも隣にいることを望んだ。「うん。わかった」と素直にうなずく依里を視線で追ってしまう湊。
依里の恐怖に動じない姿にはわたし自身も惹かれる。父親から暴力を振るわれ、学校ではからかわれるのに、堂々と自分なりの哲学で物事を見て、決して自分が不幸だとは嘆かない。向けられた言葉の刃を受け流すことで自分を保っていられる依里の自由さが、湊にもまぶしく映ったのだろう。

父親を亡くしてから毎日泣きながら目を覚ます湊は、大切な人を失ってしまう恐怖を抱えている。
そんな湊に早織が言った「大人になって家族を持つまで、頑張るから」という言葉は、しかし湊の孤独を増幅させた。同性を好きになってしまった自分は幸せになれない。言えない気持ちを押し殺す湊が奏でる音はとても不安定で、でもまっすぐで、悲鳴のようだ。
「白線から外れたら地獄」という子供のころの無邪気な遊びも、「常識から外れたら地獄」だと言っているようで、ゾッとする。

ちょっと違うけれど『おおかみこどもの雨と雪』を思い出した。嵐の中いなくなった子どもを追いかけてぬかるんだ森を彷徨い探す母親、そして晴れた空に向かい光に包まれて走っていく子ども。
あのラストは巣立ちをイメージしてるのかな。
「生まれ変わるとかないと思う」は諦めなのかな。


3つの視点で暴かれていく真実の中に潜んでいる人間の欲深さ。

「怪物だーれだ」というキャッチフレーズに引っ張られていると、犯人探しのサスペンス映画のようにも思えてしまうが、「怪物」というのはそれぞれの視点のなかすべてに存在する目に見えないものだと解釈した。
保利が読み取った依里の作文にはなんて書かれていたのだろう。
もう一度確かめに行こうと思っていたら、是枝監督のティーチインイベント上映があるらしいのでぜひ参加したいと思う。

子供の世界はシビアで残酷で恐ろしいものだけど、その子供の世界が見えていない大人のエゴもよっぽど怖い。
『怪物』は郊外の町だったが、団地という限られた領域内で起こる政治劇に巻き込まれる小学生を物語にした舞台が過ぎった。
主演は愛しの藤原竜也さん、そして鈴木亮平さんお二人が小学五年生を演じられている。

渦が森団地の眠れない子たち(2019年上演)


二人の小学生の視点で団地の王座をかけた争いが描かれているが、子供の世界にある人間関係、家庭の事情、恐怖の大人たち、喧嘩ではなく戦争、すべてが盛り込まれた群像劇だ。
鉄志と圭一郎のあいだには、二人も知らない秘密が隠されている。
子供らしさの中に潜めた等身大の本音が痛々しくぶつかり合い、言葉で互いに自らをも傷つけあう。大人を信じられなくなっても大人にはすがるしかない子供の無力さ、ひたむきさが突き刺さる。

子供が中心にいる作品で感情移入すると、自分の子供のころはどうだったかと思い馳せるけれど、団地育ちではないわたしでも子供社会の政治は身に覚えがあった。それから逃れることが自由ととらえるか孤独ととらえるかは人それぞれでも、大人になった時の人間関係構築に影響を及ぼすのは間違いないように思う。

子供ってよく見ているし覚えているんだ。
少なくともわたしは小学生の時の担任の先生全員の名前も顔も覚えている。嬉しかった言葉や傷ついた言葉も、場面まではっきりと覚えている。その時の友達のことも。
自分が親になった時、どこまで、何ができるんだろうと考えた。


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