忙しない世界だとしても、僕が急ぐ理由はないから。
ずっと。ずーーーーっと、“心地よい働く”について悩んでいる。
新卒入社して数ヶ月たち、これからの数十年間を想像したとき。
転職して、違和感が大きくなったとき。
体調を崩して、なりゆきでフリーランスになったとき。
フリーランスから、週5正社員に戻ったとき。
週5正社員が全く合わなくて、フリーランスに戻ったとき。
それまでの働くだと上手くいかなくなって、新しい働くを実験してみる。そんな繰り返し。
まだ4年半くらいの実験だけれど、ひとつの答えなんて見つからないのかもなぁと、半ば諦め始めている。
それもそうで。自分も変化するし、社会も変化する。
このあいだ取材した、奈良県でうつわ屋さんを営む方が、こんなことをおっしゃっていた。
常に自分を見つめて、実験を繰り返す。そうやって、足を止めずに歩いていく。
それは、ふとした違和感に怖れず目を向ける、ということなのかもしれない。そんな営みを続けることで、自分の居心地のよさを更新することができる。
だったら、“心地よい働く”にひとつの答えなんてないのだろう。そこに辿り着くことは諦めた方がいい。
いまの心地よさは、あくまでも暫定解であることを念頭に置き、頭と心と足と手を止めない。変化に気付けるように。
じゃあ、変化にはどうやって気付けばいいんだろう。
きっと、鍵になるのは“余白”だ。
余白という単語を気にし始めたのは、とある取材がきっかけだった。
この記事に出てくる「人生の学校 Compath」は、どう生きるかを見つめるための学びを提供している。
そんなCompathを創業したおふたりが、こんなお話をしてくれた。
未来を描くには、“いま”を見つめないといけない。いまなにを感じているのか、いまどう思っているのか。そこの解像度が上がらないと、未来へと想いを馳せることは難しい。
でも、全速力で走りながら、いまを見つめるって至難の業で。どうしても「もっと頑張らなきゃ」と、自分の感情や感覚を置いてけぼりにしてしまう。
もちろん、全速力で走ることも大切なのだけれど。それだけだと、後戻りできないほどに暗いトンネルに迷い込む危険性もある。
「これが心地よいんだ!」と思ってしまうと、盲目的にその道を突き進もうとしてしまう。最初は良い。やっと見つけた答えなんだから。でも、人間は変わる。社会も変わる。ずっとそのままで良い、なんて有り得ない。
だから、余白を人生に織り込んで。すっと深呼吸してみる。そして、いまを見つめてみる。違和感はないか、満足しているか、埋もれている欲望はないか。
そんな自分との対話は、“チューニング“とも呼べるかもしれない。この概念も、先日の取材でお聞きしたものだ。
余白のなかで自分の心身を点検し、また走り出す。あるいは歩き出す。戻ってもいいし、もう少し止まったっていい。
その立ち止まりは1回だけじゃ足りなくて。きっとまた、余白・チューニングが必要になる。
そんな繰り返しを続けることで、脆いはずの心地よさを探究し続けられるのだと思う。
ずっと。ずーーーーっと、“心地よい働く”について悩んでいる。
でも、それは良いことなのかもしれない。生きるとは変わること。変化しているからこそ、悩むんだ。
きっと、これからも悩むのだろう。霧が晴れたと思ったら、また視界が曇るのだろう。
そのたびに、立ち止まればいい。そのたびに、自分と向き合えばいい。
忙しない世界だとしても、僕が急ぐ理由はないから。
“心地よい働く”を探究して、生きていこう。
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