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【映画感想】ひたむきに努力すること、その情熱を持ち続けること 『ルックバック』

こんにちは。すうちです。

今回は、映画「ルックバック」の感想です。

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※タイトル画像:斎藤きのうさん

以降、ストーリの核心に関わるネタバレはありませんが、一部想像できる内容は含まれます。


映画「ルックバック」は、藤本タツキさんの原作を映像化したものだ。「チェンソーマン」で、その名を知られた方も多いかもしれない。

「ルックバック」の大まかなあらすじは、小学生からマンガを描きクラスで一目を置かれる藤野不登校がきっかけで絵を描きはじめた京本の出会いから始まり、そして中盤からはマンガ家として成功を夢みる藤野純粋に自分の絵に向き合いたい京本の二人の人生が(どちらが良い悪いではなく)対称的に描かれている。

想像するに登場人物の藤野や京本、物語で語られる内容は作者自身の経験や思いも重なっているのだろう。

「ルックバック」は、誰もが一度は経験する周りの才能を目の当たりにした時の挫折感だったり、それを乗り越える過程を垣間見ているような感覚があった。

例えば、京本の才能に一度はマンガをあきらめた藤野が、その京本に認められていた事実を知り、喜びのあまり雨の中傘もささず帰宅して再びマンガの情熱を取り戻すシーンはとても印象的だった。

「自分が嫉妬するほど重きを置いている人に認められる」そんな人生に巡り合える機会は貴重ではないだろうか。。。

もう一つは「ある領域を極めるにはそこに安易な道はなく、ただひたすら努力するしかない」ということだ。

京本の部屋につながる廊下にゾッとするほど積み上げられたスケッチブックの数々。どれだけ時間を重ねたらこんな状況になるのか??…努力を続けられる天才は最強と思ってしまう。

「ルックバック」の感想には、京本を「天才」、藤野を「凡人」ととらえた意見も目にする。しかし、私には藤野も天才と思える。

はじめて応募した作品が編集者の目にとまる。小学校から寝食を忘れるほど家でも外でもマンガに向き合い、何度も描いては消してを繰り返しデッサンを続ける様子はとても凡人になせる技とは思えない。

もしかしたら、二人は努力している感覚すらないのかもしれない。

「ルックバック」は、漫画や芸術に向き合う姿を描いた作品ではあるが、そこには他の仕事や趣味にも通じる一つの答えがあるような気がする。

途中、藤野が画力を上げる方法を調べるシーンに映る「とにかく描けバカ!!」は、何より努力と情熱が大切なことを伝えているようで、自分には妙にグサっとつき刺さった。

最近の私は、年齢やエンジニアという職業柄もあって効率を重視した考えにおちいりがちだ。かけた時間に見合う期待効果がうすいと予想される時など、もともとやりたかったことをやめて、より短い時間で確実と思われる方を選択することがある。

要するに効率ばかりに目がいき、本当にやりたいことを十分やれてない感覚だ。

藤野や京本のような努力できる天才は次元が違いすぎるので置いておくとして、平々凡々な私は私なりに「自分のやりたいことに向きあって、せめて必要な努力は続けられる人でありたい」と思った。

現実は、努力したからといって結果に結びつかなかったり、必ずしも報われるとは限らない。たとえ才能に恵まれた人であっても人生の運や縁みたいなものには恵まれない場合だってあるだろう。

「ルックバック」には、運命の分岐や不条理な死とどう向き合うかもテーマの一つにあると思う。

最初は映画の感想を書く予定はなかった。ただ、いま自分の中にある何かを未来の自分が忘れないでいるためにやはり何かの形で残したいと思ったのだ。

「ルックバック」は、少なくとも私にはそう思えた作品だった。


最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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