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じいじと心臓

あれは、とある年の末の話。私は大学生で年末の夜だし梅酒を飲んで、お風呂入り、いつも通り歯磨きをしていた。ここまではいつも通りの夜を過ごしていた。

先に寝室に行っていた祖母が私の元にやってきて「じいちゃんが調子悪いらしいんだけど…」と困ったような不安そうな顔をして私に話しかけてきた。
ここまでの祖父は普通に元気で、趣味は車雑誌を読んで、散歩して、タバコを吹かして、毎週の宝くじを楽しみにしているそこら辺のおじいちゃんみたいな生活だった。
そんな祖父が起きてきて、息をゼーゼーしながら、走り終わったあとの息遣いのような息をしていたのを覚えている。

さて、どうしたものか。これは救急車を呼んでいいのか…とりあえず私のスマホを開いてQ助で症状を当てはめていく。それでもなんだか腑に落ちない。
この時、実家の地域では夜間の救急相談を電話ですることができた。電話をして看護師さんに話を聞いてもらい、夜間救急に行った方が良さそうだとの事で夜間救急へ行く判断をした。
救急車という選択もあったが祖父が頑なに「俺は救急車に乗らん!!」と言ったのでやめた。

なんとか祖父を説得して、寝ている父を叩き起して「じいちゃんが調子悪いらしいから夜間救急の○○病院に連れてって」とお願いした。夜間救急先の病院には祖父の年齢と今の状態を電話して、今からいくことを伝えた。病院には祖母がついて行った。

私はお酒を飲んでしまっていたし、持病の薬を飲んで寝た。心配しながらも薬には抗えずに寝た。
何も知らずに、祖父が家に帰ってきているだろうなんて思いながら目を覚ましていつも通りにリビングへと向かった。

祖父は帰ってきていなかった。叔母が目に涙を溜めて「あの時、あなたが病院に連れていかなかったらじいちゃん死んでたかもしれないんだよ」と私を抱きしめて話してくれた。

????死んでたかもしれない??どゆこと??

この時点で私は何も知らなかった。でも、私以外の家族はみんな知っていた。祖父が入院したことを。

ここからは後で祖父や祖母から聞いた話。
病院について祖父は各種検査を受けていた。ベッドに横になり、祖母と話していると急にいびきをかいて反応が無くなった。異変に気がついた看護師さんやお医者さんが駆けつけてくれ、祖父に対して心臓マッサージとAEDを行って意識を取り戻した。
夜間救急の病院では対応ができないため、地域の大きな病院へ救急車で搬送された。急性心筋梗塞で緊急手術でカテーテル手術を行った。
父が叔母に連絡を入れ、叔母が駆けつけてくれて各種医師の話を聞いてメモしてきてくれていた。

そう、夜間救急に連れていかなければ死んでたかもしれない。もし、次の日の朝にしようとか考えていたら家で倒れていたかもしれない。

そこからは慌ただしく、不安な日が続いた。
新型コロナウイルスが流行していた時期で面会不可、荷物の受け渡しも短時間で済ませる。何よりも、家族が入院するというのが初めてで入院費用はどうなるのかとか祖母が心配していた。

入院費用に関しては入院に必要な物品や手続きの際に相談室で医療ソーシャルワーカーに話を聞いた。
医療ソーシャルワーカーに話をしてもらったことでほっとしている様子の祖母が印象に残っている。
祖父は年末年始を病院で過ごした。我が家は祖父のいない静かな年末年始だった。

年明け、カテーテル手術が終わり、祖父は退院してきた。
退院して真っ先に変わったことがひとつ。それは、タバコをやめたことだった。心臓への負担を考えるとやめざるをえなかった。これは祖父本人も仕方ないことだと分かっていたのかすんなりとやめていた。

季節は変わり定期的な通院、毎日の薬にも慣れてきた頃。あれは夏の夜だった。
祖母が私に「そういえば、じいちゃんがね胸のあたり痛いとか朝方に言ってたんだよね」と。ええ、痛んだら病院来てくださいねって言われてましたよね…なぜ夜ご飯食べ終わった後に言うんですかね…と心の中で思いながら、祖父に話を聞いてかかりつけの夜間救急へと私は祖父を乗せて車を走らせた。

夜間救急でお医者さんに見てもらい、心臓が悪さをしてるだろうとの事で祖父の入院が決定。即入院でその場で私が各種手続きの紙にサクサクッと署名をした。荷物は次の日でいいや、母に頼んで持って行って貰おう。そんなことを考えていたかもしれない。祖父を病棟に見送り、私は車で家に帰って行った。家に着く頃には日付が変わっていた。

退院してからは定期的な検査を受け、薬を時々飲み忘れながらも飲み、それなりに過ごしている。
そして、車の運転免許を返納した。

昔はめちゃくちゃ歩きまくってた祖父はここ最近はゆっくり気ままに近所を散歩している。宝くじは相変わらず夢を見ながら買っている。入院中も家族に買って結果をメモしてくれと頼むぐらいだったから、楽しみにひとつなんだと思う。

これからも祖父は心臓の病気とは付き合っていかなければならない。それでも、少しでも祖父が祖父らしく生活できるように私は影からそっと見守っている。

「あっ!!じいちゃん、わたしのハーゲンダッツ食べたでしょ!!!楽しみにしてたのに!!!!もーー!!!!!」

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