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『もう一度、選んでくれますか?』

数年前までの私は、後悔ということをしない人間だった。

やり直したいことも、戻りたい過去もない、そんな人間。

某むぎ焼酎のCMで《一生に何回後悔できるだろう》というフレーズがあった。
それを聞くたびに、このCMは何を言っているのか、後悔なんてしないほうが良いに決まっているのに、と思ったものだった。


そんな私が、いつからだろう、後悔することが出来るようになった。
やり直したいこと、戻りたい過去が見つかった。
簡単に言えば、成長したのだと思う。
自らの過去を見つめ、過ちに気づき、至らなさを認め、反省することが出来るようになったのだと思う。
それと同時に、今の自分ならば、もっとうまくやれる、という自信がちゃんとあるのだと思う。


私には、後悔していることがある。

そのうちの一つが、今は亡き愛犬『クッキー』のことだ。
クッキーは、柴犬とコーギーのミックスで、雑種にしては小柄で少し短足なオス犬だった。
柴犬とコーギーの良いとこ取りをした彼のルックスは、雑種として完璧だった。
クッキーが、うちに来た経緯は、まあ、良くある話で、当時小学三年生の私と三つ下の弟が「どうしても犬が飼いたい!」、「勉強頑張るから!」、「お世話、ちゃんとするから!」「散歩も毎日連れて行くから!」と激しくねだったからだ。
(まあ、当然のことながら、私たちは散歩もろくにしなければ、勉強も頑張らなかったのだが、それは、置いておいて)

今ではあまり見かけないが、当時は、犬はリードにつないで庭先で飼うというのが、一般的で、クッキーもそんな感じで犬小屋に繋いでいた。

私たちが小学生のうちは、そりゃあもうクッキーが可愛くて、毎日のように遊んだし、躾なんかもしようとした。
結局お座りしか教えられなかったけど。

悲しいことがあった時も、わざわざ外に出てクッキーの隣で泣いたりしていた。
夏の暑い日には、水浴びがてらシャンプーをしたりなんかもした。


でも、中学に入るころになると、クッキーと共に過ごす時間はだんだんと減っていった。
私が中学一年生の時に、両親が同じ敷地内に新築を建てたのだが、なぜかクッキーは元の古い家でおばあちゃんと二人で暮らすことになった。
とはいえ同じ敷地内なので、いつでも会いに行けたはずなのだが、当時の私の中でクッキーの存在が薄れていたのは確かだと思う。

高校生になり、私は海外に留学することになった。

それで、クッキーとの距離は完全に離れてしまった。

その頃は、とにかく自分のことで精一杯で、留学中クッキーのことを思い出すことさえしなかった。
一時帰国した時も、遠目でクッキーの姿を確認するも、服が汚れるのが嫌だと、撫でてあげることもしなかった。

社会人になって上京して、一人暮らしを始めた私は、猫が飼いたいと思うようになっていった。

たまに実家に帰ってリビングでテレビなんかを観ていると、窓の向こうに、クッキーの姿を見ることがあった。
おばあちゃんと散歩に行くところのようだ。

私は気まぐれに窓に近寄って、クッキーの名を呼んでみる。
クッキーが私に気づいて、しっぽをブンブンと振る。
クッキーが近づいてきて、窓ガラス越しに久々に再開して、それで満足して私は再びテレビを観始める。

クッキーの足取りが少しおぼつかない物だったことに気が付いたが、深くは考えないことにした。

その時は、ある日突然やってきた。
東京で暮らしていた私に、母から一本の電話。
そして、今朝クッキーが亡くなったことを知らされた。

涙は出なかった。

もちろん悲しいという感情はあったけれど、それよりも、歳だからしょうがない、という思いの方が強かったのだと思う。

クッキーの死を知らされた私は、特に出来ることもないから、という理由で実家には戻らなかった。
翌日、クッキーは火葬されて、近所のお寺のペットたちのお墓に埋められたと聞いた。

ここまでがクッキーと私のお話し。


そして、私は今、一匹の黒猫と一緒に暮らしている。
名前は『くろ』。
女の子だ。

彼女と出会って、毎日一緒に過ごして、一緒に寝て、そんな日々を過ごしていた、ある日、私はふと考えてしまった。

昔飼っていた、クッキーという一匹の犬のことを。

私は、クッキーに、彼女と同じだけの愛情を与えられていただろうか?

答えは、NOだった。

クッキーとの思い出を辿ってみると、自分が小さかった時の記憶しか出てこない。
私が大人になってからもずっとクッキーは生きていたはずなのに、思い出が一つもない。

最後にクッキーと遊んだのはいつだっただろうか?

最後に、お座り、と言ったのは?

最後に散歩したのは?

最後におやつをあげたのは?

最後に撫でてあげたのは?

最後に、クッキー、と名前を呼んだのは一体いつだっただろうか?

そんなことを思っているうちに私は泣いていた。
クッキーが亡くなったと聞いた時も流すことのなかった涙が、溢れて止まらくなった。

後悔が波のように押し寄せてくる。
浮かんでくるのは謝罪の言葉だった。

かまってあげられなくてごめん。

遊んであげられなくてごめん。

撫でてあげられなくてごめん。

ちゃんと躾けてあげられなくてごめん。

最後の瞬間に一緒にいられなくてごめん。きっと寂しかったよね。

ちゃんと幸せにしてあげられなくてごめん。

ダメな飼い主でごめん。


私は、愛猫の前でボロボロ泣いた。



犬は、人間よりも生まれ変わる周期が短いという。

クッキーも今どこかで、違う犬として生まれ変わって、その飼い主さんがめちゃくちゃ良い人で、夏は涼しく、冬は暖かい家の中で、毎日いっぱい遊んで、美味しいご飯を食べて、たまにドックランとかに連れて行ってもらって、誕生日は犬用のケーキで祝ってもらったりして、そうやって幸せに暮らしてくれていたらいい。


でも願わくば、その役目が私だったらもっといい。

どれだけ先になっても構わないから、懲りずにまた私を選んでくれますか?

今度は、必ず、幸せにします。

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