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住む世界が違うという話
こんにちは、亀山真一です。
連載小説『ツイテル僕と兄貴』がもう佳境です。大学文藝部時代の友人に宣伝したら「ツイ僕懐かしいですね」と、いつの間にか人気ドラマのような略称が誕生していました。
まだお読みでない方はぜひ最初から追いかけてください。
僕の執筆録や裏話を楽しめる方はnoteが、小説としてしっかり読みたい方はステキブンゲイがオススメです。
https://sutekibungei.com/novels/71f72f01-7c3e-4f4b-9243-4d22d76ef752
さて、本作に登場する亀山真一と野々村透は両極端な黒い羊です。つまり常人とは少し違った感覚を持って生きています。
ここで「常人」や「普通」とは何ぞやという話が始まると脱線しそうなので(僕は普通とは「説明の省略」だと思っていますが、長くなりそうなので)割愛しましょう。今回は「住む世界が違う」という言い回しについてです。
小説やドラマでこのフレーズがよく使われる二人というと、経済格差、権力のあるなし、犯罪に関わっているかいないか、あとは障害者と健常者などの組み合わせがあります。
……片腹痛いわ!
言葉を厳密に使いたい僕からすると、そんなのはせいぜい「所属するコミュニティが違う」とか「使っている常識が違う」だけで、同じ世界に住んでいるではないかと突っ込みたくなります。
そもそも同じ世界にいるからこそヒエラルキーが発生するんです。恋愛関係にある二人では、異世界転生しちゃった主人公がもとの世界にいる恋人を思う時くらいにしか使えない言葉ではないでしょうか。
(……とは言ったものの、実際そのシチュエーションで使う場合は逆に「文字通り」とか入れる気がしますし、一般的な用法が比喩であることは理解した上で勝手に吠えています。はい。)
そんなわけで「住む世界が違う」は小説でよく見る僕の嫌いな表現ベストスリーに入ってしまいます。ちなみに1位は「事実は小説より奇なり」ですね。フィクション内で使っちゃダメでしょうと、何度かメタ的に触れているのでご存知の方もいるかもしれません。
そして今回は「住む世界が違う」というフレーズの方を、嬉々として使っているのです。何故って亀山真一と野々村透に関してはガチなんですよ。
「人間は主観の世界で生きている」
これが本作、あるいは前作『黒い羊のいる世界』で語られる前提です。
だから亀山真一は幽霊のいる世界にいるし、野々村透は幽霊のいない世界にいます。それぞれが住んでいる世界の共有部分で、噛み合わないながらも必死にコミニュケーションをとっているのです。
特に野々村くんは他人の話を聞けるようになったし自分とは違う価値観を尊重できるようになったし、随分成長したな……と、これは僕自身の成長によるものだと思っています。
また、第10回で匂わせたオシャレな友人、神坂大輔もまた黒い羊です。幽霊がいるかもしれないし、いないかもしれない彼の世界では、恋愛至上主義が蔓延っています。
この辺りはリライトで僕の遊び心が爆発しているので、最後まで読んで楽しんでいただければと思います。
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