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『雪はまだ解けない』

「サンタクロースが来なかったの」
 突然現れた千雪の、開口一番の言葉がそれだった。かれこれ半年以上も会っていなかった彼女との再会を、感動で包む暇もない。
「え?」
「だから、サンタクロースが来なかったのよ」
 カレンダーさえ見ていれば今日という日の意味は明白だった。
「今日ってクリスマスだっけ?」
「聖ちゃん、忘れてたの?」
「わ、忘れるわけないだろ」
「そうよね。ウチで一番幸せな頭をした聖太朗が忘れるわけがないわね」
 何ということだ。去年まで千雪のために散々プレゼントやらサプライズやら捻出していたというのに、すっかり頭から抜け落ちていたではないか!
 僕、柊聖太朗は社会人一人暮らし一年生。幸せな頭、なんて言われていたけれどだいぶ現実ばかりに追い回されているお年頃である。同じ屋根の下で暮らしていた千雪は一つ下の高校三年生、彼女の方が目下進路と新居探しで現実に追い回されているかもしれない。
「とりあえず上がってもいい?」
 言われて僕らがこの寒いのに玄関先で立ち話をしていることに気付く。彼女の口元からは白い吐息が漏れている。
「お邪魔するわよ」
「あのさ」
 僕はとっさに口を開いた。
 どうぞ、と言いたいところだが僕の部屋は……その、究極的に汚くてとても千雪には見せられない状態なのだ。
「何?」
「腹減ってない?」
「え、うん」
「十秒待って。クリスマスだし、ご飯食べに行こう」
 慌てて扉の内側で財布の中身を確認する。ああ、二十五日、給料日! イエス様は都合のいい日に生まれてくれた。
「お待たせ」
 僕らはアパートを後にする。

「問題はどうして今年かってことよねえ」
 ファーストフードの鶏肉にかじりつきながら千雪は話を始めた。もう少し見栄を張ってもよかったが「むしろ『っぽく』ない?」との千雪の言葉を受け、チキンとジュースに落ち着いてしまった。
「どうしてだと思う?」
「何が?」
「だから、どうして今年はサンタクロースが来なかったのか」
 からかっているのかと思いきや、彼女は真剣に考えているように見える。
「あたしを大人と見なしたから、っていうのはしっくりこないのよね。今年で最後の方が……」
「そうだなあ」
 千雪が「自立した大人」と見なされるのは次の四月からだ。社会の制度としてはそうなっている。
「そもそもサンタクロースって人によるから年齢で区切っているわけではないと思うのよ」
「うん」
 例えば僕の場合は、小学生のうちにサンタさんからプレゼントを貰えなくなった。当時の僕が残念なくらいお子様だったにも関わらず、である。
「あたしがいい子じゃなくなったからとか、サンタクロースを信じなくなったからだっていうのなら笑い飛ばしてやるわ。だってあたし、最初からサンタクロースなんか信じていないもの」
「そうだなあ」
 育ちのせいもあって、千雪は根っからの現実主義者だ。
「ちょっと、真面目に考えてる?」
「うーん。プレゼントをもらえなかったことに、千雪に非はないんじゃないかな」
「どういうことよ?」
 要するにあげる側の都合だ。サンタクロースは今年、千雪にプレゼントをあげられなかった理由がある。
「何でそんなこと言い切れるの?」
「だって……その、千雪がもらえない理由は思いつかないんだろ?」
「思いついてないだけかもしれないじゃない」
「まあそうだけど」
「じゃああげられなかった理由って何?」
「……」
 僕は言葉に詰まってストローをくわえた。それがなんだか不恰好に思えてならない。
「何よ? 言ってごらんなさい」
「……サンタも歳なんじゃない?」
「だって、サンタクロースよ?」
「じゃ、そりにガタがきたんだ」
「今時のサンタならバイク便でも使いなさい」
「トナカイが病気になって面倒みてた」
「あのね!」
 千雪が僕をじっとにらむ。これはふざけてもいられない。
「忙しかった、とか?」
「前もって誰かに託すことだってできたわ」
「プレゼント買うお金がなかった」
「お金より気持ちって言ったのは誰だったかしら?」
「……クリスマスを忘れてた」
「却下、サンタクロース失格」
「……ごめん」
「何で聖太朗が謝るの?」
「それは……何でだろう」
 千雪は几帳面に包み紙を折りたたみ、ナプキンのしわを伸ばし、ごみを一つにまとめている。僕は氷だけになった紙コップをすすりストローをカスカス言わせていた。
「わかった」
「へ?」
「あたしがサンタクロースに忘れられたのね」
「は? ちが」
「へえ、違うんだ?」
 彼女の言葉が僕に突き刺さる。それも棘みたいなチクリじゃない。グサリとくる日本刀だ。
「今年だけは来てほしかったのに」
「え?」
「大人になっても夢を見られるように」
 しかも二刀流。
「知らなかったわ。サンタクロースも歳だったなんて。忙しさにかまけてクリスマスを忘れちゃうんだから。やっぱり大人になったら夢は見られそうにないわね」
 彼女はおもむろに席を立ち、僕から紙コップを取り上げ、まとめていたごみと一緒に捨ててトレイを返却する。
「ごちそうになったんだからこれくらいさせてよね。じゃ、ありがとう」
くたびれた鞄を肩にかけさっさと店を出ていく。
「千雪!」
 僕は急いで追いかけた。
「サンタさんから何貰いたかった?」
「自分で考えなさいよ、ばか!」
 ほたほたと雪が降り始めた。この辺りでは珍しいホワイトクリスマス。でも、きっと積もらないだろうな。都会の雪は降るそばから溶けてしまうから。
「千雪……」

 夜遅く、僕は自分の育った施設を訪れた。管理責任者の光田さんは一年前と同じ笑顔をくれた。
「聖太朗くん、お久しぶり」
「あの、千雪にクリスマスプレゼント渡したくて……」
 今更会うこともできなくて、僕は光田さんに託そうとした。
「今年は一日遅かったわね」
「え?」
「サンタさん」
「……知ってたんですか!」
「聖太朗くんって結構抜けてるわよね」
 同じ施設の子供たちの中で千雪にだけ毎年サンタクロースが訪れる。この現象の謎を解くことなど大人たちには造作もないことだ。
「女の子の寝床に侵入するなんて、追い出されたかったのかしらねえ。それ以上何もしないで引き上げてたから目をつむってあげてはいたけれど」
「はは……全くですね」
 少しでも出来心が働いていたら現行犯逮捕だったわけか。
「じゃあ、これはきちんとお届けするわ。おやすみなさい、サンタさん」
「おやすみなさい。あと、ホントにお世話になりました」

 意外にも雪は積もり始めていた。明日はクリスマスでも何でもないけれど、銀世界に少しは夢も見られるだろうか。
 彼女の夢はまだ覚めない。

                              〈了〉

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