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『ツイテイナイ透の憂鬱』第13回の裏

 長岡家を後にすると、へらへら笑っていた真一がすっと黙り込んだ。相変わらず俺の腕を掴んだまま離そうとしない。
「帰るぞ」
「うん? 透の家に?」
 少々舌足らずな話し方はまるで酔っているようだ。というか、そう考えた方が楽だろう。これは介抱だと自分に言い聞かせ、足取りのおぼつかない彼を我が家まで連れていく。
 部屋に入ると、緊張の糸が切れたかのように真一の身体が崩れ落ちた。そのまま捨て置きたいが、医師としての義務感でソファまで運んでやる。
「何があったか知らないが、気分が悪いなら大人しく寝てろ」
「ああ、そうする」
 しかしこの男、頑なに俺の手を放さない。
「もういいだろう。放せ」
「ダメ。まだ基くんの気配が消えない。言ったろ、透の特殊能力が必要だって」
「……長岡さんに対してじゃなかったのか」
 先日の会話を思い返しながら呟くと、真一は力なく笑った。
「あの子たちの前で基くんを悪者にしたくなかったもんで、俺が全部引き受けた。俺は透がいれば何とかなるから」
 結果、彼は病み上がりのような顔色で震えながら俺にしがみついてくる。本当に全部引き受けることになったのは、むしろ俺ではないだろうか。
 そうして真一が眠りに落ちるまで、彼の手から抜け出すことはできなかった。
 ……まったく、面倒な奴である。
 しかし、ようやく自由になっても息がつけたのはほんの一瞬だった。俺が目を離した途端、眠っていたはずの男がもぞもぞと動き出したのだ。
「真一?」
 気配に振り返ると、半身を起こした彼がハッとしたように視線を逸らす。
「では、なさそうだな。誰だ?」
 返事はない。ただ、この男が我が家にいる経緯から一つの仮説が立った。
「ひょっとして、基くんか?」
「……」
 沈黙は肯定だ。そして市原基に関しては既に話が着いている。
 俺がその身体に触れようとすると、相手は思わずといった様子で後ずさった。とはいえソファの上なので、動きとしては縮こまっただけになるが。
「ま、待った!」
「君がここにいる理由はもうないんだろう?」
「ない……けどさ、いざあの世に行くとなったら怖いじゃないか」
「長岡さんの前では格好つけておいて?」
 彼が苦い顔になる。
 もし目の前にいるのがいたいけな高校生だったら、まだ同情できたかもしれない。しかし実際は腐れ縁の同級生。おまけに長岡さんに口づけた光景が脳裏に蘇り、段々と腹立たしくなってくる。
「もういい」
 逃がさないようひじ掛けに左手をつき、右手は問答無用で肩を掴む――と、目の前の男の意識が落ちた。
「!」
 唐突に態勢が崩れたことで、諸共ソファにつんのめる。
「……透?」
 上にのしかかる形になってしまった俺を、今度は真一が不可解そうに見上げていた。
「どうかしたか?」
「いや」
 幽霊に身体を乗っ取られている間の記憶が彼にはない。が、もともと察しのいい男なので何があったか想像はついたらしい。
「またか。……ありがとな」
「お、おう」
「やっぱり俺、透がいないとダメだわ」
 起き抜けの笑顔に毒気を抜かれているうちに、腰に腕を回された。俺は何故か真一に抱きしめられている。
 ……これはもう、逃げ出せそうにない。
 結局俺はソファに片膝をついたまま、真一の抱き枕にされていた。別人が乗り移ったことを思わせる言動と、心底安堵した彼の寝顔を見ると、どうしてもその手を振り払うことができないのだった。

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