コミュニケーションには優しさが必要
この記事はコミュニケーションを得意としない私が、会話とは何か?について学び、そこから自分がコミュニケーションの中でも特に何を苦手としているのかについて、セミナー受講を通して得た気付きの記録である。
「説教したるからホワイトボードを用意して待っとけ!」
2023年2月10日の岸和田の怪人が行なう德留公開説教セミナーはここから始まった。
私は今、グループ全体の管理者を集めて我々らしい会社作りを試行錯誤しながら進めているところなのだが、お恥ずかしながら上手くいっているとはとても言えない状況だった。
自分がこれまで営業会社で行ってきたマネジメントや仕組み化の知識や経験は、士業界隈では使えないものばかりで、まずはひたすら本を読んだりセミナーを受けたり経営者の話を聞きに行ったりと、できる限りのインプットをした。
そして、そこから得られたものを役員会議でアウトプットして、他の役員さんたちの知恵と経験を拝借しながら、こうしてみよう、ああしてみようとひたすら行動に移しまくった。
でも、従業員さんが笑顔になれていない現実がそこにはあった。
老若男女関係なく、既婚未婚関係なく、扶養家族の有無に関係なく、病気や介護中でも関係なく、全員が「普通」に働ける職場を目指して試行錯誤を続けているのに、だ。
その不甲斐ない状況を親愛なる怪人、中村先生へ相談したら、冒頭の発言をいただいたというのがこのnoteの前置きで、私の前提条件である。
伝えることしかできない世界
伝わるというのは結果であって動詞ではない。
だから自分に出来ることは、伝わるという結果に繋がるように伝えることしかできない。
『伝えることしかできない世界で、自分に出来ることは全てを丁寧に、優しさを持って行なおう。』
これが今回の説教での主題だったと私は感じている。
カレーを食べたいと思っている人に、天津飯を提供している。
共感したいと思っている人に、感情ではなくデータを差し出している。
考えるより動きたい人に思考を促す言葉をかけている。
全部、提供エラーである。
うちはラーメンしか置いてねぇ!餃子やチャーハンを食いたい奴はよその店にいきやがれ!という頑固おやじの店を、ラーメン専門店ですと言わずにやっているようなもの。
相手のためになんて言いながら、自分の言いたいことを言うだけでは伝わらないのは当たり前。
相手が聞きたいと思う話をしなければ、そもそも聞こうとすら思ってもらえない。
だから、相手が聞きたい話をしよう。
自分の話したいことも、そのまま出すのではなく、相手が聞きたい形にしてから提供するのだ。
例えばメリットの話。
会社が従業員さんに提供できるメリットは色々あるけれど、受けられるメリットの中でどれを一番だと考えるかは人によって変わる。
私生活を充実させることを重視している人に、「うちでは責任と能力に見合った賞与が出るのでやり甲斐がありますよ!」なんて言っても全く意味がないのだ。
伝えることしかできない世界では、『相手が大切にしている思いは何か?』をまずは考え、需要と供給がマッチするまで提供チャレンジをしていくしかないのだ。
感~ココロウゴク~
「感く」と書いて、どう読むかわかりますか?
「こころうごく」と読むそうです。
人が何かを感じた時、それすなわち心動いた時、ということなんでしょう。
伝えることしかできない世界では、この「感」を大事にしなければならないと何度も何度も教わった。
相手の感も自分の感も、等しく大切にしなければ壊れてしまうのだそう。
人間は考える葦であり、更に日本人は空気を読む文化なので、無意識的に自分が感じたことを周囲に合わせて捏造し、言葉にしてしまう癖がある人が多いそうだ。
例えば新入社員が入った時、第一印象でいい子そうだなと感じたのに、同僚が「なんかあいつ暗そうじゃない?」と発言し、周囲もそれに賛同したため自分も、「そうかな・・・?」等と本当に感じたこととは違う気持ちを捏造して発信しまうなんていうのはよくある話。
そして、「あんたもあの時あいつの事暗そうって言うてたやん!」と、さも自分の発言のように吹聴され、些細な抵抗もむなしく自分に嘘を付き続けるしか無く、そんな自分が嫌になり、自分も相手も壊れていくのだ。
そうならない為には、自分の感と相手の感を等しく大切に扱う優しい会話を習慣付ける必要がある。
優しい会話
優しい会話を行なうための手法は次の通り。
①自分の心はどう動いたか(最も感した部分を認知する)
②自分の心はなぜ、どのように、動いたかを考える
③①と②を受け、自分は今後どうしていくかを伝える
これを相手の会話の中から拾い集めて返していくのだ。
これだけだとイメージしにくいと思うので、私がよくやりがちな日常会話への回答で再現してみようと思う。(Bがプライベートでの私です)
とまぁ、親しくない人となんの目的も無い会話をするのが苦手な私でも、これを意識した回答方法を心がけるだけで、気まずくならずにほぼ延々と相手ボールの会話を続けられるということがセミナー後のワークショップで実際に体感できた。
それと同時に、無意識での私はこの苦手なパターンに陥った時は相手からボールを奪って自分にとって楽な、会話を回す側に立とうとする悪癖があることも自覚できた。
ただ漫然と暮らしているだけでは絶対に気付けない、自分に欠けていることを自覚する時間にするべくお説教を受けたのに、たった2時間のセミナーで私は本当に色んな場面で酷く打ちのめされたのである。
感の授業では、私の日常会話には圧倒的に優しさが足りないということを自覚できた。
優しさが足りないように見える一番の理由は、私が自分の感情を相手に差し出さないことに起因しているということもわかった。
タイプ別話法
自分の感情を相手に差し出さない私の話法は、私と同じく思考タイプの人間と会話するには問題がないらしい。
日頃私が会話しやすいと感じている相手は思考タイプの人間で間違いないだろう。
まずはここで簡単に人を3つに分類して、それぞれのタイプ毎に伝わるという結果を導きやすくする話法を記載してみます。
①感情タイプ→共感重視、周囲の雰囲気に合わせて自分の気分も変わる
②行動タイプ→指示された行動をするのが得意、裁量や臨機応変は苦手
③思考タイプ→人の話を鵜呑みにせず、自分の納得感を大事にする
つまり、自分のしたい話を相手が聞きたい形にしてから提供しようとした場合、この3タイプに合わせて会話を提供すると同じ会話でも提供方法が下記のように異なってくる。
簡単に言うと、感情タイプには自分の感情をまず最初に差し出し(あまつさえイケそうなら楽しい雰囲気にチェンジしてしまい)、行動タイプには行動を阻害する思考要素を取り除き、思考タイプには自分が納得できる解決策を提示させる、ということだ。
そもそも相手が何タイプなのかを自分が間違えて認識している可能性もあるし、タイプが合っていてもこの話法を使えば絶対にOKということではないが、いつも話がうまく伝えられないという相手に対しては3パターンをチャレンジして比較的伝わりやすかったパターンを検討してみても良いのではないだろうか。
オールマイティな話し方
理解し合う、何かを共有する、相手になんらかの行動をさせる、というような場面ではここまでの内容を意識して話せば随分と楽になると思う。
しかし、ただ伝えるだけで良い時はもっと簡単なテンプレートがあると教わった。
①話し始めに、前フリとしてこれから何を話すかを明確に伝える。
②事実と自分の考えと感じたことをごちゃまぜにせず、それぞれを分類して順番に話す。
③最後に結論として自分の今後の行動について伝達する。
事実とは何か
・目と耳から仕入れる情報
・共有は一方通行コミュニケーション
・です、ます、でした、ました、で言い切れる
事実を伝達する時の例
「今からロザンという漫才師について説明します」(前フリ)
「ロザンは京大卒の宇治原さんと、大阪府立大学中退の菅さんで構成された男性二人組の漫才師で、関西を拠点として活動しています」(事実だけで構成された情報の伝達)
このように事実の情報伝達だけを行なうと、聞いた相手はそれに対して何かを差し挟む余地が非常に少ないので一方的コミュニケーションとなりやすい。
考えとは何か
・頭で生成するコンテンツ
・共有は相手によって一方通行にも相互通行にもなる
・考えます、考えました、で言い切れる
考えを伝達する時の例
「今からロザンという漫才師について私が考えたことを説明します」(前フリ)
「ロザンは関西では菅さんの方が人気が高いようですが、これは、関西に根付くスカしてる奴は好かん!という文化が影響し、京大卒という高学歴を武器にしている宇治原さんはスカしているという誤認に基づいているのではないかと私は考えます。(私の頭の中で生まれた創作コンテンツの伝達)
私が頭の中で勝手に考えていることなので、聞いた人は、自分もそう思う!という共感から相互コミュニケーションになることもあれば、何言ってんねんコイツという批判や遮断による一方通行コミュニケーションにもなる。
感じたこととは何か
・心で生成するコンテンツ
・共有は相手によって一方通行にも相互通行にもなる
・感じました、で言い切れる
感じたことを伝達する時の例
「今からロザンという漫才師について私が感じたことを説明します」(前フリ)
「私はロザンが二人で話しているトークが面白いので、ロザンのお二人が大好きです。(私が心で感じた感情の伝達)
考えと似ていて、共感も否定も遮断も起こりうるものですが、こちらが感情を提供しているため、相手側からも、好きや嫌い、なんと言われても菅ちゃん派等の感情を返してもらいやすくなる。
前フリ→事実→感じたこと→考え→オチ
伝えやすくこれらを順番にまとめると以下のようになります。
「今からロザンという漫才師について話をします」(前フリ)
「ロザンは京大卒の宇治原さんと、大阪府立大学中退の菅さんで構成された男性二人組の漫才師で、関西を拠点として活動しています」(事実)
「私はロザンが二人で話しているトークが面白いので、ロザンのお二人が大好きです。」(感じたこと)
「しかし、ロザンは関西では菅さんの方が人気が高いようで、これは、関西に根付くスカしてる奴はなんか好かん!という文化が影響し、京大卒という高学歴を武器にしている宇治原さんはスカしているという誤認に基づいているのではないかと私は考えました。(考え)
お二人のトークをしっかり聞いていれば、宇治原さんは愛情を持って菅さんの手のひらで転がされていて、全然スカした奴ではないということはアンチ宇治原さんにも伝わるのではないかと推察したので、私は、ロザンはまず箱で推せ!と言い続けたいと思います!(結論としての自分の行動指針表明)
いかがでしょうか?内容はともかくとしてこのように話されると、聞いた側は「あ、そうですか」としか言いようがない話としてまとまっているのではないでしょうか?
自分の言いたいことをわかりやすく伝えるならこれで十分ということです。
自分が興味のないお題で、相手が勝手に考えたり思ったりしたことを言い、自己完結した結論まで出されたら、受け入れるかどうかは別としても、まともな大人ならこの球を投げられたら受け取ってそっと横へ置いておくでしょう。
まとめ
今回の記事では、コミュニケーションを話法というスキルを取得することによって克服していこうというテクニカルな部分に的を絞ってまとめました。
しかし、今回のセミナーの根っことなる部分はテクニックではなく、自分がこれまでどのように生きてきたか、どのように感情や言葉に触れてきたか、というルーツを知るところにあったと私は考えている。
この話は長くなるし、読んだところで誰かの何かが解決するわけではない内容なので次の記事でまとめたいと思います。
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