ちょっと書評「実力も運のうち 能力主義は正義か?」
ノブレス・オブリージュの消失した先には。
本書は書名にある通り、能力主義がもたらしている問題点を様々な側面から指摘した内容となります。
著者は「マイケル・サンデル」氏。「それをお金で買いますか」「これからの正義の話をしよう」などの著者で、ハーバード大学の教授をつとめている方です。
内容について
「運も実力のうち」という言葉こそあるもののこれを逆に取った書名にすることでと本書の趣旨に則った内容になる、というのがまず目を引くポイントでしょう。この辺は日本語訳の妙でもあるのですが。
一般に能力主義は社会的、経済的に下位な立場であっても技術や知識を磨き能力を身に着ければ上位に上がれる…という事を指します。
アメリカでも日本と程度の差こそあれど上位大学への入学、卒業することが一種の能力保障となっている側面があり、そのため上位大学へ入学を希望する学生が多い点をまず挙げています。
ここで本書で指摘される話として「ハーバード大学の入学者の割合は、親が高所得者の割合が多い」こと。
大学入学までには入試を突破できるだけの能力の積み増しが必要になってくるものですが、本人の家庭環境にもよるもののその積み増しのためのコスト(教育、経験)をつぎ込めるため、経済的に上位に位置する過程出身ほど有利…という話になってきます。
身分制度が厳格に定められていた時代であれば「生まれがこうであるから仕方がない」という点である程度の諦めがあった(それが良いか悪いかは別の話)のですが、経済的に下位な立場であっても努力すれば上へあがれる、今いる経済的な立場はそれはすべて本人の責任だ…となってしまう、と。
これによって何が起こるかというと、上位の立場では「自分で勝ち取った立場だから」という傲慢感、下位の立場では「自分が勝ちあがれなかった」という屈辱感をそれぞれ感じることとなります。
また、加えて仕事をする上での報酬は社会的な貢献度と必ずしも比例せず、「お金を稼ぐための能力」の優劣により報酬の多寡が決まる点も著者は指摘しています。本書では具体例として教師よりトレーダーのほうが報酬が大きい点を挙げられています。
近年の日本だと例えば(You/V)Tuberさんの方などでに若くしてとんでもない収入を得られている人などがいますが、社会的な貢献度の観点では、と考えてみると、どうでしょう…?
勿論お金を稼ぐことそのものに対して異論をはさむつもりはありませんが、報酬の多寡は社会的な貢献度と比例しないという点も着眼点の一つでしょうか。
著者は「人より多くの収入を得られていることは本人だけではなく周りの人により培われたことである」という点を富豪は忘れがちではないか、という点に警鐘を鳴らしている、と読者としてのわたしは考えました。
また、人より収入が少ない人が生きることの尊厳さを回復するためにはどうすべきか、というのを考える足掛かりにもなる一冊かと思います。
偶々note内でもノブレス・オブリージュに関する記事が直近で上がっていたので、こちらも参考までに。
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