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29歳、団地で一人暮らしをするという選択

2019年11月、ぼくは28年間暮らした大阪北摂にある実家を出た。一人暮らしをした経験がないということに加えて、28歳にもなってずっと実家暮らしという事実に、若干のコンプレックスを抱くようになっていた。20歳の頃から2019年12月まで大阪モノレール線と大阪北急行線(御堂筋線)を乗り継いで、片道およそ1時間の道のりを通勤していた。

電車に乗ること自体は、それほど苦に感じたことはない。むしろ電車に揺られながら、外の景色を眺めたり音楽を聴いたり目を閉じたりすることが好きだった。会社の人からは「こっちに引っ越してきたらいいやん」と何度も言われたが、家賃手当が出る二駅圏内に住めば、きっと飲み会があったとき終電を言い訳に帰ることができなくなる。そう思って「実家、好きなので」と軽く流していた。

実家暮らしはお金も貯まるし、母親の美味しいご飯も食べられるし羨ましいと周りは言う。実際のところ、度重なる残業で家に着く頃には日が変わっていて、晩ごはんを食べることなんてそうそうない。溜まりに溜まったストレスのはけ口は、大好きな服を買うことだ。当然、服に散財していてはお金が貯まることもない。ちょうど失恋も重なって、貯金が底を尽くほど散財した実績もある。しかし失恋の傷は、時間とお金が癒してくれることを知った。

仕事によるストレス過多とプライベートのプレッシャーから自律神経失調症と睡眠障害になったときも、自分を騙し騙し通勤した。睡眠薬を飲んだ翌日、はじめて電車を乗り過ごした。それでもモノレールの窓から見える太陽の塔や万博記念公園の広場、北摂の街並は、何も変わらずそこにあった。御堂筋線に乗り換えれば、少しずつ街並が都会へと変わっていく。江坂あたりから雰囲気が変わり淀川を越えれば、そこにはもう立派なビル群が建ち並んでいる。

御堂筋線は、地下鉄にも関わらず中津駅まで地上を走る。ふっとトンネルに入ると、ぼくは「通勤モード」に、いや「戦闘モード」にスイッチを切り替える。無理矢理にでも戦闘モードにしなければ、この速くて忙しない世の中にあっという間に取り残されてしまう。「つかれた」と口にすることは、「甘え」だとか「弱さ」だといわれる環境の中で、ただ自分自身とその日々を消費するように過ごしてきて、心底この人生に嫌気がさしていた。やりがいも意味合いも何も見出だせなくなっていたのだ。

いろいろなことが重なって、ぼくは会社を辞めて独立した。2020年1月1日付で、ぼくは晴れて個人事業主となった。普段考えすぎて行動を起こせないぼくも、たまに自分でもよくわからない行動力を発揮することがある。思い立ったら即行動、やると決めたら絶対やる。やってみてダメだったらやり直せばいい。そんな気持ちで独立を決めた。そしてちゃんと独立した人間になりたいと思って、会社を辞める前に一人暮らしを始めた(個人事業主になると不動産の審査に落ちることがあるので)。それが冒頭の2019年11月頃の話。

会社からは、徒歩30分ほどの距離。道頓堀川のそばにある新築マンションに引っ越した。はじめての一人暮らしは、いろんなドキドキやワクワクがあったし、周辺にどんなお店があるのか散策してみるのは刺激的だった。何より「市内で暮らす(大阪でいう市内は大阪市内のこと)」という憧れを実現できたことも嬉しかった。フリーランスとしての活動がうまくいくかどうかもわからない状態で、急に一人暮らしを始めることには不安もあった。

でもそういう事例はたくさんあるし、いざその場に立たされたら何とかなるものだと信じて飛び込んだ。その矢先の感染症の蔓延。いろいろ大変ではあったものの、何とか一年を乗り越えることができた。市内での暮らしは、たしかに快適ではあるし、少し移動すれば何でもある。しかし一年も住んでみると、「別に市内じゃなくてもいいな」ということに気づく。

仕事はほとんど在宅だし、打ち合わせもオンラインでできる。何でもあるとは言っても、それほど有効活用できていないのが実情だ。市内に住んでいる友達と遊ぶときと、市内で遊んだときに終電を気にしなくてもいいということくらいしか旨味を感じなくなった。実際、終電まで遊ぶこともそうそうない。古着屋やおしゃれなカフェにたくさん行くぞと思っていたものの、そんなにしょっちゅう行くこともない。

あぁ市内には、こんなにもたくさんの人が暮らしているのに、なぜか孤独ばかり目立つ。都会の夜、賑やかな居酒屋、明るい繁華街、ドープな路地裏。そんな空気感に憧れて市内での暮らしを選んでみたものの、いざ自分がそこの住民になってみると何だか場違いのように感じてしまう。髪の毛を派手に染めてみても、流行りのファッションで着飾ってみても、何だか浮いているように感じるのだ。

ぼくが望む暮らしは、ここではないのかもしれないと思った。一人暮らしには、不自由ない1Kの部屋。少しずつ自分だけの空間、理想郷、秘密基地をつくっていく。しかし理想の暮らしを送るには、少々狭く感じる。それは、間取り的な意味なのか、気持ち的な意味なのかよくわかっていない。窓から見える景色はいいし、流れる川や行き交う車や人の騒音も何となく心地よい。ただベランダから横目にやると、ラブホテルの看板がデカデカと見えるけれど。

最近になって思うことがある。

「団地に住むの、いいかもしれない」

地元近くには、たくさんの団地が建ち並んでいる。どれも自然に囲まれていて、四季折々の景色が臨める。窓からは明るい陽が射して、移り変わる葉の色を楽しめるだろう。外には、公園で遊ぶ子どもの声や散歩をする老夫婦の姿。静かに、けれどたしかに過ぎゆく時間を感じながら、ゆっくりと過ごせる気がした。

最近では、リノベーションされているところも多く、築年数は経っていてもそれなりに洒落た内観になっている。敷金礼金や仲介手数料もかからないし、更新料なども不要。場合によっては、1〜2ヶ月のフリーレントもある。物件の写真を見るたびに、どんどん心惹かれる自分がいる。なんだか素敵な日々が待っているような気がしてならないのだ。今すぐとは言わないが、今年か来年には地元の団地へ引っ越しを考えている。

都会の喧騒から離れて、静かにゆっくりと生きたい。

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