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詩 NO.006 わたしがなくした夏

わたしがなくした夏
スンと静かな朝
ラジオ体操に駆け出す。

わたしがなくした夏
見ないフリをした宿題
後でお母さんに怒られた。

わたしがなくした夏
怖くてにらみ合ったカマキリ
立派なライバルだ。

わたしがなくした夏
塩素がニオうプール
バレないようにおしっこをした。

わたしがなくした夏
友達と行ったお祭り
ワタアメを食べきれなかった。

わたしがなくした夏
真夜中の虫の演奏
ズッと耳に残ってる。


夏はかわらない
かわったのは私。

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 こんにちは、菫色(すみれいろ)です。今までは詩のみで投稿していましたが、あまりにも味気ないかと思い、あとがきといった形で付け加えてみようと思います。実験的にやってみるので、途中でやめてしまったらごめんなさい。 

 子供のころの夏はどうして郷愁だったり憂いを含むんでしょうね?空にモクモクと上る入道雲や、ざざーんと鳴く海、蝉の大合唱なんかもそうです。夏が来るたびにその情景を思い出して、少し物寂しくなります。

 ただ、それは夏という季節が私たちにとって故郷の季節だからと思うのです。故郷も昔と変わった場所を見つけてしまい寂しくなります、似てるでしょう?

 それなら、夏が来るたびに、つまり故郷に帰るたびに私自身の元気な姿を見せることが夏にとって良いことなのかな?と思います。そして、そのほうが素敵だなと感じます。


トップ画像はフリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)さんからお借りしました。

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