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【ショートショート】「賃貸観覧車」(3,773字)

 小さなころから観覧車が好きだった。
 お小遣いを貯めては遊園地で観覧車に乗ったし、アルバイトができる年になると年間フリーパスを買って、開園から閉園まで一日中、観覧車に乗って過ごした。
 海に浮かぶ船や豆粒くらいの大きさの人間、ミニチュアのような家が、最上部から地上に近づくにつれて本来の大きさを取り戻していく。そんな光景が何よりも好きだった。

 観覧車に住めたらどれだけ幸せだろうと夢見たことは一度や二度じゃなかった。
 ついに今日、その夢が叶った。
 遊園地『みなとえん』の自然体験ゾーンの奥にある全高百二十メートル巨大観覧車のゴンドラ5号車が僕の部屋になった。

 四畳半どころか一畳にも満たない面積なのに家賃は月五万円も取られたけど、それを補って余りあるほどの魅力が観覧車にはあった。
 ゴンドラが回転するとともに景色は移り変わり、二十分に一度、最上部からの大パノラマを満喫できる。冬にはライトアップされ、夏には『みなとえん』の夏祭りの日に、目の前に花火が上がるだろう。観覧車の前後の隣人は二十分ごとに入れ替わるから、面倒な近所づきあいも必要ない。

 観覧車は夢の住居だ。僕はここに一生だって住んでやる。
 夢のような心地で、僕は観覧車に引っ越してはじめての一周約二十分を終えた。

「まさか本当に住んじゃうとはね」

 観覧車生活も一週間を過ぎたころ、観覧車のチケット係の向井さんは、僕が住んでいるゴンドラ五号車の扉を開けながら呆れたように言った。
 観覧車は安全のために外側からしか開けられないのだ。

「昔からの夢ですから」

 僕は向井さんからペットボトルの水とお弁当を受け取った。
 注文書に欲しいものを書けば、向井さんが空いた時間に用意してくれることになっている。料金は家賃と一緒に銀行口座から引き落とされる。

「ほかに何かあったら言ってくれ、お前みたいな変わったやつは嫌いじゃ――」

 向井さんはまだ何か言っていたけど、途中で戸を閉められてしまった。ゴンドラが地上にいるのはほんの数秒。戸が開いたまま地上を離れたら大ごとだ。
 僕は食事をとりながら、観覧車のようにくるくると頭を回転させ、これからの生活のことを考えた。

 観覧車の近くのフードコートにWiーFi環境が整備されていたので、パソコンから観覧車生活のブログや動画をアップして広告収入をもらうことにしていた。
 ただ、不安定な収入だし、バッテリー代などもばかにならないので、節約して生活しないとすぐに貯金も底をついてしまうだろう。
 それに、観覧車に入居するにあたって、一つ決めていたことがあった。

「どうせ観覧車で暮らすなんて無理だったんだよ」

 誰にもそんなことを言わせないために、一度も観覧車から降りず、なるべく自給自足の生活をすることだ。
 僕は翌日には向井さんにプランターや土、種を買ってきてもらい、トマトや大根、ホウレンソウの栽培を始めた。幸いゴンドラは四人掛けで、座席は三人分空いている。

「俺も家庭菜園してるから、分からないことがあればなんでも聞いてくれ」
「ありがとうございます。本当に助かります!」
「ゴンドラの中は日当たりもいいだろうし、水も肥料もお前さんの体から出るものを使えば、俺が回収する手間も――」

 次の日にはガスコンロとフライパンを買ってもらった。簡単な料理くらいできないと、食費だってかさんでしまう。
 雨の日にはゴンドラにバケツを引っかけて雨水をくみ、体を洗い、洗濯をした。晴れ間が見えたらゴンドラに洗濯物を挟んでおけば、観覧車が三、四周もするうちによく乾いた。雨水はろ過すれば飲料水にもなった。

 運動不足にならないよう、筋力トレーニングも欠かさなかった。大好きな観覧車で生活できるのなら、狭い空間も苦にならなかった。
 こうして僕の観覧車での生活は少しずつ便利になっていき、一度も観覧車を降りないまま三か月が経ち、夏がやってきた。

 夏になるとゴンドラの中はサウナになった。
 窓を開けられるようにゴンドラを改造してもらったけど、焼け石に水と言ってよかった。
 そのほか遮光カーテンや扇風機を取り付けるほか、自分の汗から塩を作って効率的に塩分を摂取した。

 猛暑日にはゴンドラを大量の水で満たして水風呂にしようと思ったけど、水が漏れてゴンドラ六号車や七号車にかかっていると苦情がきたので断念した。
 閉園時間になると観覧車は止められるので、僕は向井さんに一番高い位置でゴンドラを止めてもらうように頼んだ。そうするだけで風の通りがぜんぜん違った。

 暑さで何度も参りそうになったけど、夜中、涼しい風が通り抜けるゴンドラの中で、満点の星空とビルの明かりを眺めながら丸々と育ったトマトにかじりつく幸せは、何物にも代えがたかった。

「こう暑いと、諦めて地上に降りたくなるんじゃないか?」
「なに言ってるんですか、僕はここで生活できて幸せなんです」
「本当に幸せっていうのはいろんな形があ――」

 遠ざかっていく向井さんはしみじみと頷いていた。

 秋が過ぎ、冬がやってきた。
 ゴンドラの中は冷凍庫の中みたいだった。

 何枚も重ね着した上に厚手のコートを着込むのはもちろんだが、ゴンドラ自体も型が古く、すきま風が絶えなかったので綿を詰めて気密性を高めた。
 空気が透き通る冬の夜は信じられないほど星やネオンが綺麗だったけど、すぐになるべく低い位置にゴンドラを止めてもらうよう頼むことになった。ゴンドラが最上部にあるのと地上付近にあるのでは、体感温度が三度は違った。

「ここまできたら、一年間観覧車で生活した男として名を残してくれ」
「いや、僕はただ観覧車が好きなだけで、特別なことをしているつもりはないんですよ」
「そんなこと言うな、お前くらいの若いやつはそのくらいの気概を持っていた方が――」

 向井さんの熱のこもった言葉を聞いていると、不思議と体が暖まるのを感じた。
 僕は思いついて、体温を上げるため、なるべく他のゴンドラを観察することにした。たまにゴンドラの中でキスしているカップルがいると、環境が変わらなくとも、向井さんの言葉を聞いたときと同じように体温が上がるのだった。

 観覧車での生活をはじめて一年が経ったころ、生活に変化が現れた。
 ゴンドラが地上を通過する数秒間、僕のゴンドラは群衆に取り囲まれるようになった。

 ブログの閲覧者や動画の視聴者がここ数週間で急に増えたと思ったら、風変わりな生活をする人物としてメディアが僕のことを取り上げたようだった。
 テレビ局から取材の依頼もあった。自分の部屋に人を招くのは好きではないので、ゴンドラが地上に降りている間だけという条件で取材を受けた。結局取材が終わるまでゴンドラは三十二周もしてしまった。

 観覧車を取り囲む人の数は増え続けた。地上から離れた場所にいても、スマートフォンのカメラを向けられることが多くなった。
 僕は観覧車に乗って景色や人々を観覧する側から、観覧される側になってしまったのだ。

「人気者になれて良かったな」

 向井さんはそう言うけど、僕にはそう思えなかった。
 誰にも干渉されなくて、好きなだけ景色を独り占めできる観覧車が好きだった。こんなに落ち着かない場所なら、地上で生活する方がましだ。

「これまで良くしてもらいましたが、この部屋を退去しようかと思います」

 僕は思い切って向井さんに打ち明けた。

「そうか、ただ実は、お前のおかげで観覧車に住みたいっていう人が急増したみたいで、ゴンドラ四号車と六号車にも来週から人が入ることになったんだ。女子大生とOLで――」

 その言葉を聞いて、僕の頭は急に回らなくなってしまった。観覧車の一周をこれほど長いと感じたことはなかった。

「それでも……それでもやっぱり、僕は観覧車を降ります。僕は観覧車のことを嫌いになりたくないんです」

 僕の決意は固かった。向井さんは寂しそうに頷いた。
 翌週、女子大生とOLの二人と入れ違いに、僕はたくさんの人に見送られながら観覧車を降りた。

 それから、メディアの効果で観覧車のゴンドラの賃貸契約が相次ぐようになり、日本中の観覧車はほとんど満室になった。
 風呂・トイレ付きやペット可の観覧車、公営の賃貸観覧車やデザイナーズ観覧車まで登場し、すっかり観覧車は生活の場として定着してしまった。
 観覧車で暮らす魅力が伝わったのは嬉しいけど、僕だけが知っている秘密がなくなったようで、少し寂しいような気もした。

 ただ、僕は振り返らない。もう前を向いている。いや、上斜め四十五度を向いている。

 ジェットコースターは機械音を響かせながらレールを上りきった。息つく間もなくすぐに急降下をはじめる。

「うわああああああああああ!」

 動きも激しいうえに数分ごとの悲鳴付きで、一席月五万円の家賃はやはり高い気がしたが、僕はここでの新しい生活を気に入っていた。
 これまで観覧車にしか興味なかったけど、視野を広げてみるとジェットコースターも十分魅力的な乗り物だった。僕はできれば降りることなくここに住み続けたいと思った。

 さあ、どうやってここでの生活を豊かにしていこう。未来は覚悟と工夫次第で、いくらでも自分の好きなもので溢れさせることができるのだ。
 僕の頭はまた観覧車のように――いや、回転ジェットコースターのようにくるくると回りはじめた。











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