【ショートショート】「好奇心の羊」(1,794字)
駅前から電話をかけ、彼に自分の居場所を伝えた。
彼は驚いた様子で、私にあれこれと聞いてきたが、私はそのどれにも答えずすぐに電話を切った。
私はカワサキのバイクに跨ると、アクセルのグリップを捻った。
駅前の道をゆっくりと走る軽自動車を二三台追い越し、バイクは国道に出た。
彼のマンションは駅から数キロ離れた住宅街にあるはずだった。この辺りの地図は頭に入っている。
さらに数台のトラックを追い越し、その先に覆面パトカーが走っているのを見つけた私は少しスピードを落とした。
体を左右に傾けながら、私は”彼ら”のもとへ向かうときにいつもそうするように、人間の好奇心について考えを巡らせた。
人間は知らなくてよいことを知ろうとする生き物である。
知ることによって何も得ることがなくとも、むしろ知ることで自分に害を及ぼすことがあったとしても、ときにそれを自分の意思で止めることができない。まるで餌を求めて狼の住処に自ら入り込んでいく無垢な羊だった。
本部からの連絡が入り、私は応答した。
また”派遣”の依頼のようだった。生憎私はすでに派遣されている最中であるため、自分には関係のない連絡のようであった。その派遣には、十二号が応えることになったようだった。この世界には本当に好奇心が溢れている。
国道からわき道に逸れる手前で車が渋滞していた。
なにごとかとバイクを停めて前方に目をやると、どうやら車が自損事故を起こして道を塞いでいるようだった。
マズい。
私は腕時計に目をやった。駅前を出発してからすでに十分ほどが経過していた。
せめて三十分以内に彼の部屋にたどり着きたかった。そうしないと本部からまた厭味を言われてしまう。
私はカワサキのバイクから降りるとヘルメットを脱いだ。
バイクを路肩に停めて本部に回収を依頼する。
あまり気が乗らないが、仕方がない。バイクを乗り捨てて私は路肩を走って事故を起こした車を追い越した。運の良いことにすぐに流しているタクシーを拾うことができた。
私はタクシーの運転手に彼のアパートの名を告げた。
タクシーの運転手はなにか気味の悪いものでも見るように私を上から下まで眺めてから、ようやくタクシーを発進させた。
五分ほど経つと、尻の辺りが冷たくなるのを感じた。
これは私の体質であったが、こればかりは何度経験しても慣れることはなかった。タクシーや公共交通機関を使いたくない理由はこれだった。
これでは運転手から敬遠されるのも無理はなかった。
住宅街に入ってすぐに、タクシーは乱暴に停車した。彼のマンションの前に着いたのだった。
タクシーの運転手がドアを開けるのを待たずに私はタクシーから飛び出した。猶予はもうほとんどないといってよかった。
彼の携帯電話に電話を掛ける。
数コールの内に彼は電話に出た。もとはと言えば自分に責任があるというのに、ひどく怯えた声だった。私は彼の行いによって、ただ機械的に彼のもとに向かっているだけなのだ。
私は彼に伝えるべきことを伝えるとすぐに電話を切った。どうせ今から会うのだから、ここで長話をする意味はなかった。
エレベーターに乗り六階のボタンを押す。
エレベーターでおかっぱ頭の女の子と一緒になったので、短い間であったが近況について話し合った。彼女はこのマンションにずっといてここから出られないのだという。
世の中にはいろいろな人がおり、いろいろなドラマがあるものだ。
605号室の前で再び彼に電話を掛けた。彼は謝っていたようだが、私にとってはどうでもよかった。究極的には私は彼がどのような行いによってこのような目に遭っているか知る術を持たなかった。
ただ彼は好奇心に負けたのだ。ただそれだけなのだ。
私はまた彼に自分の居場所と名前だけを告げて電話を切った。
部屋に入ると三十代半ばくらいの男が膝を抱えて震えていた。
私はまた彼に電話を掛けた。大げさに驚いて、男はしばしの逡巡の末に電話を取った。
「…………もしもし、本当は悪戯なんだろう。そうなんだろう」
男は興奮していた。そんなことはないと、自分で分かっているだろうに。私は男が哀れに思えてきた。
せめて一思いに終わらせてあげるとしよう。
私は電話越しに、男に最期の言葉を掛けた。
「私メリー、いま、あなたの後ろにいるの」
男が振り返った。私は彼の顔を見つめると、あくまで機械的ににっこりと笑った。
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