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【ショートショート】「異人交流譚」(4,361字)
彼に初めて出会ったのは住処の近くの川のふもとだった。
山の中腹にあり、あまり人が寄る場所でもないため、彼を見たときは一瞬、街の子供がなにか良からぬことを考えてここにやってきたのではないかと思ったが、どうやらただの迷子のようだった。
よく見ると、年は僕と同じくらいで、まだ十に満たないほどの年齢のようだった。
「度胸試しで山に入ったんだけど、帰り道が分からなくなっちゃったんだ……」めそめそとしながら彼はそのように言った。
その男の子はラクルと名乗った。
「変な名前」僕は言ったけど彼は特に気にしてないようだった。黒っぽい長いマントを羽織っており、服装も見慣れないものだった。海の向こうからでも越してきたのかもしれない。
辺りは少し暗くなり始めていた。
「お前、運がいいよ」
「どうして?」
ラクルを街の近くまで送るために一緒に山を下りながら、僕は言った。
「この辺りの山は夜になると吸血コウモリが出るし、人によってはお化けを見たっていう人もいるよ」
「ふうん」ラクルはあまり怖がっていないようで、僕は意外に思った。
「それより、どうして度胸試しなんてしたのさ? 別に山に登ったからって、偉いわけじゃないと思うけど」
「僕は顔が青白くて体も細いから、皆からバカにされるんだ。だから、一人で山のてっぺんまで行って帰ってくれば、皆から認めてもられると思ったんだ」
くだらない、僕は思うけど口には出さなかった。
「じゃあね、また会うことがあるか分からないけどさ」
明かりが見える辺りまでラクルを送ってから僕は言った。
僕は学校に行っていなかったので、たとえ同じ年だったとしても彼とまた会えると思えなかった。
「またきっと会えるよ。今日は本当にありがとう」
ラクルは長い八重歯を光らせてから、闇の中に消えていった。
僕は真っ暗になった山の中をひとり、住処へと向かった。不思議なことに、その夜はいつも肌を露出している上半身から血を吸おうと近づいてくる吸血コウモリが一匹も近づいてこなかった。
彼が山にやってきたのはその二週間後だった。
川で泳いでいると、僕のことをじっと見ている怪しい子供がいると思ったら、それがラクルだった。
ちょっと驚かせてやろうと、僕が川の中から足を引っ張ると、ラクルは幼子のようにまためそめそと泣き出してしまった。
「ごめんよ、そんなに泣くなよ」
「僕を溺れさせようとしたんだ」
「そんなことしてなにになるんだよ」
「いつもそうやって子供を溺れさせたりして遊んでるんでしょう?」
「バカなこと言うなって」
川の中でそんなことを言い合いながら浮かんでいるうちに、泳げなかったというラクルはすぐにいささか不格好だが泳げるようになっていた。
ラクルの体は細かったが、身長は僕よりずいぶん高く、鍛えれば迫力のある肉体になりそうだった。だが血色が悪いのか体全体が青白く、友達からバカにされるのも無理はなさそうだった。
「よし、今日から僕がお前のことを鍛えてやるよ」
「いいの?」
「ああ、皆がお前のことを怖がるくらいに徹底的にやってやるよ」その日からラクルは僕のもとに通うようになった。
ラクルは変わった少年だった。
僕と同じように学校には通っていないようで、普段、なにをしているのか聞いてもはぐらかされるだけだった。いつも黒いマントを羽織っていて、陽の光が苦手らしく木陰を好んで遊んだ。最近暑くなってきて、この間、僕も直射日光を浴びすぎてふらふらとしてお皿を割ってしまい、母親に怒られたばかりだったので都合が良かった。またラクルはニンニクにアレルギーがあるらしくまた、十字のものも苦手なのでなるべく見せないようにしてくれと念を押された。
どれだけ虚弱なのかと僕は呆れたが、むしろそのくらいの方が鍛えがいがあるともいえた。
僕は彼に泳ぎを教え、山で生きる方法を教えた。ときには人里におりて、一緒に盗んだ野菜を食べたりもした。
そのようにして友情を深めた僕らであったが、いつからか、僕は彼がこの世のものではないのではないか、と感じるようになっていた。
彼はどこか人間離れした雰囲気を持っていたし、体格は貧弱なのに、なにか隠し持った力があって、絶対に太刀打ちできないような、そんな気がすることがあった。
そしてそれは、意外な形で明らかになった。
きっかけは些細なことだった。
ラクルがこの山に「友達を連れてきたい」と言ったのだった。
僕は猛反対した。街の人たちは山で暮らす僕らのことを気味悪がっていたのを知っていたし、なにより今の生活を荒らされたりしたくなかった。
「街の人たちはそんな人ばかりじゃないよ」
「どうしてそんなことが分かるのさ。こっちに越してきたばかりのくせに」
「こっちに来たばっかりだって、いい人と悪い人の区別くらいつくさ。そっちこそ、こんな山の中に引きこもって、街の人がどんなだか分かっていないんじゃないの?」
「なんだと!」
「なにさ!」
僕とラクルは引くに引けなくなって、お互いのことを激しく罵り合った
「こうなったらとことんやり合おうじゃないか」
僕はどすを利かせて言った。怯えるかと思ったけど、ラクルは望むところさ、と僕のことを睨みつけてきた。
そのまま数秒睨み合ってから、僕らは組み合った。
すぐに投げ飛ばせるだろうと踏んでいたけど、意外なことにラクルは深く腰を下ろすとともにその長い脚は地面を強く踏みしめ、体格差のせいもあり簡単にバランスを崩すことができなかった。
しばしの膠着状態の後、僕はふと力を抜いてタイミングをずらすと同時に、ラクルの足に飛び付いた。しかしラクルはそれを読んでいたのか、間一髪で足をかわされ、僕の伸びた手はなんとかラクルの臀部のあたりを掴むので精一杯だった。
僕はそのままラクルに上から押さえつけられ、首筋を露出する形になった。
次の瞬間、僕の首元に激痛が走った。
とっさにラクルから距離をとると、僕の首元からは血が流れていた。そしてラクルの口から覗く鋭い牙からも同じように血が垂れていた。
「ご、ごめん――」
ラクルは気まずそうな表情でそれだけ言うと、その場から走り去ってしまった。
結論から言うと、新しくできた友達のラクルは“吸血鬼”だった。
それは翌朝、意を決したような表情でやってきたラクル自身の口から聞いた真実だった。
「実は僕、外国で生まれた吸血鬼の一族の末裔なんだ」
ルーマニアという国で生まれたラクルは、吸血鬼として育てられた。だが、近年は少しずつ吸血鬼の影響力も小さくなり、人々から恐怖されることもなく、眷属であるコウモリたちにも疎まれるようになり、新天地での飛躍を求めてこの日本の地にやってきたのだという。
だが、事はそううまく運ばなかった。
日本にやってきて人々を驚かそうとしても、馴染みのない吸血鬼という存在はここでも恐れられることはなかった。
それどころか、貧相な肉体や青白い肌をバカにされ、まるでいじめられっ子のような日々を過ごし、子供たちを見返してやろうと化け物が出るという噂がある夜の山に入ったところを、僕が見つけたのだという。
その話を聞きながら、僕は胸を突かれるような思いを感じた。
僕もラクルと同じだった。
この辺りの土地から居場所を失って、ただ、今さらどこかに逃げることもできなくて、無為に時間だけが過ぎていく。そんなときに、ラクルが僕に会いに来てくれるようになって、僕はどれだけ嬉しかっただろう。彼が友達――聞けば街で暮らす吸血鬼の仲間だったらしい――を連れてきたいと言って怒ったのは、彼が僕と違って独りぼっちじゃないことを認めたくないからかもしれなかった。
「これからも、ずっとずっと、僕がラクルを鍛えるよ。そして、いつか人間たちを見返してやろうよ」
僕とラクルは手を取り頷き合った。僕らの周りでは、僕らのことを励ますように吸血コウモリたちが飛び回っていた。
それから一年が経った。
僕にみっちりと鍛えられたラクルは一人前――とまではいかなかったけど、その鋭く磨いた牙と練習を重ねた表情やポーズでたくさんの子供たちを怯えさせた。ラクルが人を怖がらせるのに最初から筋肉や度胸はいらなかったのだった。
別れの日は、唐突にやってきた。
ラクルの故郷に、いったんは各地に散らばった吸血鬼の一族たちが、巻き返しを図るために集結するのだという。
故郷に帰る前の日、ラクルは必至で涙を堪えており、僕はその表情を見て堪えきれずに号泣した。僕らは抱き合って別れ、その後、二十年間再会することはなかった。
それから彼がどうなったか、僕は知らなかった。
彼のことを思い出したのは、山に迷い込んだ子供を見つけたときだった。
彼は僕のことを見て驚いて気絶してしまったので、仕方なく、僕はコウモリの飛び交う山を、少年を抱えたまま下った。
そうだ、ラクルに手紙を送ってみようか。
柄にもなく、僕はそんなことを思った。特に届くとも期待せず、僕はすぐに別れ際に教えてもらった住所に一枚のはがきを送った。
僕はあの日々を懐かしく思い出いながら、今日も山の中、川を泳いで魚を獲った。
※
日本を訪れて初めて彼を見たとき、僕はとても驚いた。
山で迷子になって警戒していたというのもあるけど、なにより突然現れた彼は裸で、皮膚が緑色で、頭に皿が乗っていた。僕が吸血鬼ではなく普通の少年だったら、確実に気絶していただろう。
かの国には“カッパ”と呼ばれるモンスターがいる。僕はそのとき、日本に引っ越す前に友達から聞いていた言葉を思い出した。
カッパは尻子玉を取って子供を川に引きずり込む恐ろしい生き物と聞いていたが、彼はとても優しかった。
確かに川に引きずり込まれたり相撲を取っているときに尻をまさぐられたりはしたけど(それは彼の意志ではなく、カッパとしての本能がそうさせたのかもしれない。僕が吸血鬼の本能で彼の血を吸ったように)、彼が僕を男らしく鍛えてくれようとする思いは紛れもなく本物だった。
日陰で遊ばないと、頭のお皿が渇いて十字に割れるというので、僕は彼を日向に連れて行かないようかなり気を使ったのを昨日のことのように思い出せた。きゅうりを盗んで並んで食べながら眺めた夕日はこっちで見るそれより数段大きかった。
そんな彼から久しぶりに便りがあった。
故郷に戻ってずいぶん経つけど、どうやら彼も僕と同じように、人間たちに忘れ去られて居場所を失いつつあるそうだ。
そうだ、今度、また古い友人の住むあの土地を訪れてみよう。
僕らの子供たちが山や川ではしゃいでいる間、きっと僕らはあの頃と同じように、人間たちを驚かせては肩を組んで笑い合えるだろう。夜になると僕らは酒を飲み、あの栄光の日々を懐かしく思い出すことだろう。
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