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【ショートショート】「エヌ博士と“足して2で割る装置”」(3,855字)

 エヌ博士が、俺が住んでいる安アパートに駆け込んできたのは、俺が昼飯に食おうと思っていたカップ焼きそばの湯切りをしているときだった。

「いま忙しいから、また今度にしてくれ」

 俺が言うと、「カップ焼きそばくらい後から食べればいいじゃろう」とエヌ博士は不服そうな顔をした。

 このエヌ博士というのは近所に住んでいるうさん臭い老人だった。数年前に公園で怪しげな実験をしているところを俺が面白がって声をかけたのがきっかけで付き合いが生まれたのだ。
 ちなみにそのときの実験は、ハトの脳に怪しげな装置を組み込んで行動を操作するというもので、俺はドン引きしたものだ。

「それで、どうしたというんだ」

 俺はカップ焼きそばをかきこみながら聞いた。
 俺が話を聞いてやらねば、この老人には家族も友人もないのであった。

「ついに発明が成功したのだ」
「なんのだ」
「足して2で割る装置じゃ」
「タシテニデワルソウチ」

 なんて頭の悪そうな装置だ。俺は頭がくらくらするのを感じた。

「そうやっていつも儂のことをバカにするが、これはすごい装置なのじゃぞ」

 エヌ博士は言いながら、愛用しているIKEAのバッグから得体のしれない金属製の装置を取り出した。

「ほら、例えばレストランとかにいくとあるじゃろう。『こっちの食べ物は味は好きだけどちょっと値段が高い』、『こっちは味は全然好きじゃないけど値段は安い』。足して2で割ったようなメニューがあればいいのにな~、ってとき」

 若作りした話をする老人を見るのは気味が悪かったが、確かにそういうことがないでもなかった。

「そういうときに、その二つのメニューをこの装置に入れてスイッチを押せば、二つのメニューを足して2で割ったものができるのじゃ」

 理屈は分かったが、それだと結局二つのメニューを頼む必要があるので高くつくのではないかと思ったが、面倒なので言わなかった。

「なるほど、それで俺をまた実験台に使おうっていう訳か」

 俺の言葉を聞いてエヌ博士は悪い笑みを浮かべた。
 この老人は怪しげな装置を発明しては、俺を実験台に使うのが常であった。
 少なくない謝礼をもらえるので俺としてはありがたいのだが、そのせいでひどい目にあったのも一度や二度では済まなかった。

「それで、なにをするんだ。博士のことだから、どうせもう食べ物とか普通の物で実験はしてるんだろう?」
「よく分かっとるじゃないか。りんごとみかんを足して2で割った“りかん”をはじめ、チューリップとタンポポを足して2で割った“チューポポ”、サッカーボールとラグビーボールを足して2で割った“サグビーボール”など、すべて実験は成功しておる」

 IKEAのバッグからエヌ博士が取り出した“りかん”は、非常に奇妙で食欲のわかない果物であった。
 そうやって価値のないものを生み出しておいて果たして本当に成功といってよいのか俺には分からなかったが、例によって黙っておいた。

「そこで、次はお主に協力してもらって人体実験をしてみようと思う」
「人体実験」
「左様」
「それは石原さとみと新垣結衣を足して2で割ったような顔とか、そういう……」
「いや、人間と動物を足して2で割る」
「絶対に嫌だ!」

 俺は激しく首を振った。
 この博士はこと実験や発明となると、アドレナリンが湧き出ているのか倫理観が完全に欠如するという特性を持っていた。

 俺がエヌ博士を玄関まで押し返していると、エヌ博士は振り返らずに言った。

「実験が終わったら百万円だそう」
「百万円」
「左様」
「やる」

 俺は即答した。
 博士は特許をいくつも持っているとかで小金持ちだった。俺がやっているコンビニの夜勤のバイトを何時間やれば百万円もの金が手に入るのか、見当もつかなかった。

「それじゃあ早速」

 エヌ博士はどこに繋いでいたのか、玄関から雑種と思われる汚らしい犬を部屋の中に入れると、金属製の装置を犬の頭に取り付けた。

「おい、部屋に野良犬を入れるんじゃねーぜ」
「いいじゃないか、どうせすぐに半人半獣になるんじゃから」
「半獣は残るじゃねーか」
「半分ならセーフじゃろ」
「なんだその理屈は」

 俺は自分の気が変わらないうちに金属製の装置を頭に取り付けた

「それで、どのくらいの期間で元に戻る――」

 言いかけたところで、エヌ博士は“足して2で割る装置”のスイッチを押してしまっていた。
 目の前が真っ暗になったと思ったら、俺は知らぬ間に四つん這いになっていた。

「実験は成功のようじゃな」

 脳に靄がかかっているように、博士の言葉を理解するのに時間がかかった。

(雌犬の尻を追いかけたい)

 また、どうやら俺の頭の中で、もう一人の誰かが思考しているのが分かった。誰かというか、どう考えても先ほどの野良犬以外ありえないのであるが。

(青空の下でボールをどこまでも追いかけたい)

「ボールのことなんかどうでもいいから、こっちに行くぞ」

 俺は野良犬と息を合わせるように四つん這いで鏡の前まで移動すると、そこには形容もしたくない、気味の悪い生物の姿があった。肌色の肌の全身から長い毛が伸びて『スター・ウォーズ』に出てくるチューバッカに見えなくもなかった。

「おい、博士。俺をこんなキモい姿にしやがって! すぐにもとに戻しやがれ」
「そう言われても、一度2で割ったものは二度と元には戻らん。永久にその“いぬんげん”のまま過ごすしかないのじゃ」

 博士の言葉を聞いて、俺は絶句した。
 ひど過ぎるネーミングセンスもそうだが、一生このままの姿で生きてゆくなど、考えられなかった。俺の尻の辺りで短い尻尾がぴょこぴょこと揺れていた。

(俺だってこんなやつと2で割られたままなのはいやだ)

 しかも野良犬にまで嫌がられる始末であった。
 俺の目からは自然と涙がこぼれた。いや、これは野良犬の涙かもしれなかった。どちらでもよい、俺はもう二度と、二度と人間には(野良犬には)戻れないのだ!

 だが、次の瞬間、俺は床に転がっている“りかん”を見て、脳裏に閃くものがあった。

「博士、その“りかん”とりんごを足して2で割るとどうなる?」
「少しりんごに近い“りかん”ができるじゃろうな」
「じゃあその“りかん”に無限にりんごを足して2で割っていくと」
「!」

 博士も気づいたようだった。
 現在の俺は犬が半分と人間が半分の状態なので昔流行った人面犬のような非常にキモい状態であるが、これに人間を足して2で割っていけば理論上、犬成分は半減していくはずだった。

「よし、エヌ博士はこれから公園に行って、金がなさそうなやつに一人十万渡してここに連れてこい。来たやつを片っ端から足して2で割っていって、人間の姿に限りなく近づくまで繰り返すんだ」
「よ、よし、やってみよう」

 一人、また一人とかわいそうな人間たちが俺のアパートに吸い込まれては俺たちと足しては2で割られていった。
 十人に達したところで、犬らしさはほとんど見当たらなくなっていた。それもそのはずだ。一人足して2で割られるたびに、理論上は犬の成分は半分になってゆくのだから。

 それはそうと、一つ俺には気になっていることがあった。
 鏡を見ると、そこには人間にしか見えない生物が写っていた。しかし、その人間に俺の面影を見出すのは難しかった。

 そうだ。犬と同じように俺の成分も半減していって、俺はこの個体のなかで、ごく僅かな成分しか占めていないのだ。
 その証拠に、先ほどからエヌ博士と話そうとしても声は出ないし体もほとんど動かせなかった。俺はたくさんのこの体の操縦士のうち、最も操縦権が与えられていない一人でしかなかった。

 エヌ博士もそのことに気づいたのだろう。優しい声で、俺にこう告げた。

「まあ、元気を出すのじゃ。せめて人間らしい姿に戻れて良かったじゃないか」

 俺はむかついてエヌ博士を殴ろうと拳をあげようとするが、野良犬は雌犬の尻のことを考えているし公園のおじさんはしけもくを拾いにいこうとしたりもらったお金で風俗店に行こうとしたりして収集がつかず、それも叶わなかった。
 エヌ博士は落ちていたりんごを齧りながら、「すまんかったのう」と言い残して俺たちを残してアパートの部屋から出て行ってしまった。

 俺たちはその晩、十一人と一匹で泣いて過ごした。泣き疲れたら、十一人と一匹で抱き合うようにして、体を丸めて眠りについた。

   ※

 目を覚ますと、狭いアパートの中には十一人と一匹が寿司づめ状態で転がっていた。
 真っ先に鏡を確認すると、そこには見慣れた俺の姿が写っていた。

「元の体に戻ったぞ、あの“足して2で割る装置”は未完成だったんだ!」

 俺はそこにいた全員を叩き起こした。俺たちは自らの姿を鏡で確認すると、昨日と同じように互いに涙を流して抱き合った。

 そうだ、昨日、このアパートを出るときに、エヌ博士はりんごを齧っていたじゃないか。
 あの装置は不完全で、一定時間が経過すると、足して2で割られたものたちは元の姿に戻ってしまうのだ。エヌ博士が齧っていたりんごは、“りかん”が元のりんごとみかんに戻ったものだったのだ!

 一度足して2で割られた仲であったため名残惜しかったが、俺以外の十人と一匹とは、再びまた集まる約束をして別れた。

 皆の姿が見えなくなると、俺はエヌ博士から百万円をふんだくるためにアパートを飛び出した。
 風が気持ちよかった。誰も足されていない自分だけの体というのは最高だった。

 だが、雌犬を見つけると尻を追いかけてしまう習性だけは、それから何年経っても消えてはくれなかった。

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