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不幸に失礼

2023.06.10

きょうは、『また猫と(仮)』の並び順などを再度見直し。

連作「奥ゆかしい猫」は、そのまま連作のかたちで掲載を、と思っていたけれど、いろいろ考えているうちに、バラけさせたほうがいい、と思い至って、そのかたちにした。「連作のままで」というのは、言ってみれば「僕だけの思い入れ」の部分であって、本としてまとめようとしたときに「僕だけの思い入れ」と「本になったときの届きやすさ」を天秤にかけて、今回は「届きやすさ」を取ろう、という結論になった。毎回「届きやすさ」を選択するわけじゃなくて、その都度考えることが大事だと思っている。

エッセイ

このくどうれいんさんのエッセイに関するエッセイが、とてもよかった。自分も端っこのほうでエッセイを書いている身なので、分かる部分と身につまされる部分と。

最近気になった、このエピソードにも通じるようなエッセイだった。

短歌を作るときにも通ずる。
不幸じゃなくても、赤裸々じゃなくても短歌だって作れるよ……と書きながら、いま作っている本が「猫の挽歌集」だから説得力に欠けるけど。

でも、常々自分の身に不幸が降り掛かったときに「これは短歌のネタになる」なんて考えないほうがいい、とは思っている。それは、短歌にも不幸にも失礼なことだ。

自分のメモアプリから、トークイベントの事前質問の回答のテキストが出てきた。

これは『いまから猫のはなしをします』に掲載する短歌の「選」について。

8〜9割くらい自選です。自分で選ぶのは、割と質的にリスキーだな、と思いつつ、ゲラの段階で歌人の先輩とかにも見てもらったんだけど、選については、お願いしなかったんですよね……。何か言われてしまったら無批判に従ってしまいそうだったから。五十音順という変な構成だし、自分の短歌は良くも悪くも割と「均質」だと思っていて。それはそういう短歌しか公開しないようにめちゃくちゃ気をつけているからなんだけど。
だから、まず全部自分で選んで、全体を読んでみたらあまりにも「死の気配」が強い感じだったから、編集部に「僕が選ぶとこんな感じになりますが、自分で読んでもちょっと『死の気配』が強すぎる気がします。それは歌集として本意ではないので、看取りや死に関する短歌を、のんきな過去作と差し替えていただけないでしょうか?」と編集部にお願いして、差し替えてもらいました。その結果については一切口出ししていない感じ。

テキストでの質問に、話し言葉で答えてしまうのは、どういう理屈なんだろう。トークイベント用だからかな……。でも、先日の某誌でのメールアンケートも、後で読むと話し言葉で返信していた。
思ったそのままを、口述筆記的に書いているのだと思う。ニュアンスまで伝わればいいな……と願いつつ。

この日記も、割と「話す」みたいなテンションで書いている。

そんなそんな。