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ワインレッドの心 /#妄想noteフェス /#金曜トワイライト

恋人が消えて1年が経った。

もう恋愛はこりごりだ。そう思っていた。


気ままな一人暮らしの紗羅にとって、仕事が忙しく疲れた日はまっすぐ部屋に帰る気がしない。食事よりもほっと一息できる止まり木のようないつものバーカウンターで羽を休め、スイッチをオフしたくなるのだ。

男と別れてからというもの、より一層そこへ足を向けることが多くなっていた。


身なりに気を遣った女がカウンターで一人で飲んでいると、大抵男から声をかけられる。初めの頃はその度に体よく断るのが面倒だと思ったが、近頃はそれもまた楽しいゲームのようにあしらえるようになった。

最初から勝算があると見込みをつけた相手には男は大胆に誘いをかけてくるが、信也はそうではなかった。紗羅にとってはそんなところも気に入った理由だった。


「 あの、お一人ですか? もしよかったらワインを開けたいので一杯ご馳走させてもらえませんか 」

仕立てのよいスーツ姿の男に、落ち着いた声でそんなふうに言われて断る理由はない。紗羅のフルートグラスにはもうほとんどゴールドに輝く泡は残っていなかった。


『 これを飲んだら帰ろう。冷蔵庫には昨日のカレーがまだ残っている。あれを今夜は片付けないと… 』


そんな所帯じみた考えを自分でもため息が出るほど嫌だと思いつつも、シャンパンとドライフルーツの勘定を頭の中で計算している最中だった。


「 あ、はい… ありがとうございます。でも、いいんですか?」

「 もちろんです。ご迷惑でなければ 」


そうして信也がオーダーしたのは “オーパスワン 2014” 。この年の葡萄はとても出来が良かったのだと言って二人で乾杯した。それは普段紗羅が味わうグラスワインとは比べ物にならないくらい深くて柔らかなコクがあった。

いいワインを飲むとまるで自分までいい女になったような錯覚に陥る。ボルドータイプのリーデルのグラスは、オーパスワンのブラックベリーのような厚みのある香りを溜め込んで存分に楽しむための完璧なフォルムだ。そのステムをそっと指先で支えるように優雅に持つ。昨日ネイルをしたばかりの完璧なフォルムの美しい爪が紗羅の心に少しの余裕を持たせた。


紗羅の警戒心を解くために、信也は挨拶代わりに名刺を差し出すと自分の仕事の話を始めた。叔母が経営する会社で常務という肩書をもらっている。いわゆるファミリー経営の後継者だった。

独身の叔母は信也を自分の子供のように溺愛し、幼い頃からよく面倒を見てもらった。大学を出て就職もせず、新宿でバーテンダーとして遊び半分にバイトをしていた信也を、後継者のいない自分の側に置いて一から経営のノウハウを叩き込んだという。


「 小さな会社ですけれど、自分なりに責任を果たせるよう、今は修行の真っ最中です 」


自分の身の上話を初対面の紗羅に一生懸命に語る信也はまだまだ青年の面影を残した若いエネルギーに満ち溢れていた。年は34だと言った。


「 まっすぐで、懸命に生きてるんだな… 」それが信也に対する紗羅の第一印象だった。


バーテンダーのバイトをしていただけあって、お酒に詳しく話術に長けた信也との会話はとても楽しいひとときだった。自然と飲むペースも速まり、気が付くとボトルはほとんど空になっていた。そして信也はいつのまにかスムーズに紗羅とラインを交換することにも成功した。


「 もう一件付き合ってもらえませんか?全然話し足りないな 」


お互いグラスに3杯ずつ飲んで紗羅はすっかり気持ちよく出来上がっていた。ここでサヨナラするのは何だか野暮だし、少しもったいなく感じるのも事実だった。久しぶりの男性との弾む会話は、すっかり忘れていた女としての浮き立つ気持ちを紗羅に思い出させてくれた。


「 そうね。私ももう少し飲みたい気分だわ 」

「 よし!」

そう言って小さくガッツポーズする姿に紗羅の心はもう半分以上持っていかれていた。


2軒目を探すと言いながら、信也は少し酔い醒ましに歩こうと言って近くにある公園へと紗羅を誘った。

誰もいない深夜の公園は木々が鬱蒼と茂り少し気味が悪いほど静まり返っている。

ベンチに腰を下ろして、バーを出た後にコンビニで買った冷たいミネラルウォーターを開けてゴクゴクと飲んだ。酔いが回った頭を冷やし、やはり2軒目はやめてこのまま大人しく帰ろうと冷静な頭で考える。1年経ったとはいえ、まだ男性に対しての警戒心を完全に解いたわけではなかった。そんな紗羅の気持ちを見透かすかのように信也は大きなため息を一つついた。


「 ねえ、紗羅さん。俺のこと子供だと思ってるでしょ。本気になんてしてやんないって思ってるよね 」


図星だった。


「 なに? そんなことはないわよ 」

焦った紗羅は慌てて言い訳した。そして何故自分がこんな言い訳をするのか分からないまま、少し飲み過ぎた極上のワインのせいで回らない頭でぼうっと信也を見つめた。


「 俺、好きになちゃったみたい 」


ふうん…ずいぶん簡単なのね。つい今しがた1時間ばかり飲んで話しただけなのに。



あの時もそうだった…。


SNSで知り合った潤は、zoom飲みでは物足りないと紗羅を誘った。

何度もオンラインで顔を合わせていたし、身の上話もしていたので全く何の疑いもなく二人で会って酒を酌み交わした。

潤は2つ年下で IT企業のエンジニアをしていると言った。

一人暮らしで猫を飼っていて、寂しいけど優雅な独身貴族だと思わせぶりに紗羅にアピールした。

潤の紗羅を見つめる目は真剣だった。それまでPCの画面越しに遠目にしか見れなかった潤の瞳は一途に熱を帯びてとても魅力的に見えた。

カウンターに添えた紗羅の手にそっと自分の手を重ねて、潤はうるんだ熱い視線を紗羅に向けて言った。


「 オレ、好きになっちゃったみたい 」


何の障害もなく求め合う男と女が身体を重ねるには時間などいらなかった。

SNSで何度も顔を合わせているとまるで昔からの知り合いのような錯覚に陥る。

初めてのオフ会の後そのままホテルへ行ったとしても何ら理由など必要ないと、紗羅は根拠のない言い訳を自分の心に向かって呟いた。


潤は紗羅に夢中になった。紗羅も潤の一途な気持ちが嬉しかった。アラフォーになってこんな純粋な恋愛ができるとは思ってもいなかった。静かで何もない日常の身の上に起こった、神様からのプレゼントのような奇跡に感動すら覚えた。そしてこのまま二人の未来は自然と明るい方向へ進んでいくものだと信じて疑わなかった。


あの衝撃の朝を迎えるまでは…。


全ては嘘だった。

バーチャルの世界だった。

潤という男はある朝、忽然とその姿を消した。


後々分かったことだが、男には家庭があった。

冷め切った夫婦関係と会社内での不遇な立場の穴埋めをSNSの世界に求め、自身の理想とする架空の人間像を作り上げてそれになりきり、あちこちで女性と問題を起こしている輩だった。

その事実が明らかになった瞬間は自分の運命を呪い、何故男の嘘を見抜けなかったのかと自暴自棄になり悲観に暮れた紗羅だったが、よくよく振り返ってみると二人でいる時の潤の真剣な目を「あれは全て嘘だった」とはどうしても思えなかった。

それは誰がなんと言おうと当事者である紗羅にしか分かりえない感情だと思うと、私は騙されたとか被害者だと言って一方的に相手を責める気にはどうしてもなれなかった。それほど、愛された瞬間を疑う余地はなかったし、あの時間は幸せだったと言い切ることが紗羅にはできた。

SNSの世界では珍しい事ではない。よくある話だと自分に言い聞かせる。柄にもなく少々本気になり過ぎた我が身を嗜めるように紗羅は独りごちた。


突然ポッカリとあいた胸の空洞をどうやって埋めたのかはあまりよく思い出せない。それでも、毎日の変わらない日常が日にち薬で紗羅の心身を自然と元の何もない状態に戻していった。

誰に泣きつくわけでもなく、自分の心を自分で少しずつ修復することができたのは、それだけ歳を重ねた女の、一人で逞しく生きる知恵の為せる技でもあった。自分の機嫌は自分でとる。その術はたくさん持っていた。悲しくなるほどに。


そうして1年が経ち、ようやく一人の時間を寂しいと思わなくなった時、目の前に現れたのが信也だった。


ここから先はまだ選べる。

引き返すこともできるし、思い切って一歩踏み出すこともできる。

そしてその猶予の時間を少しでも長く持っていたいと紗羅は思った。それは防御本能かもしれないし、まだ完全には癒えていない傷の治り具合を確かめてからにするべきだという、もう一人の冷静な自分からの警告でもあった。


一瞬、物思いに耽っていた。その隙をつかれた。

信也は紗羅の肩をグイと抱き寄せ、その熱い唇を押し付けるように重ねてきた。

少々強引だとは思ったが、紗羅は決して嫌ではなかった。

信也の唇の柔らかく厚みのある肉感は紗羅の心を瞬時に潤わせた。

溶けていく頑なな心を心地よい微睡と共に受け入れるのも悪くない。

信也の息が荒くなる。熱をもった掌が紗羅のからだをすっぽりと優しく包み込んだ。


その時、暗闇からリズミカルな足音が聞こえてきた。

夜中にランニングする人が多い都会の公園には珍しくない光景だ。

驚きと恥ずかしさでおもむろに身体を離した二人は、ランナーが前を通り過ぎるのを身じろぎせずに待った。


「 ごめんね、でも我慢できなかった 」

信也は紗羅の髪に遠慮がちに触れながら押さえきれない気持ちを言葉にした。

「 うん、ありがと。でも、今夜は帰るわ。まだ私にはこの展開は少し早すぎるかな。自分の部屋に帰って一息ついて落ち着いてから、あなたももう一度私のことを考えてみて 」

そう言うと紗羅は立ち上がって暗い公園から明るい大通りの方向へと一人で歩いていった。



部屋に帰って服を脱ぎシルクのスリップドレス一枚になると、紗羅はようやくリラックスすることできた。

冷蔵庫を開けると昨日のカレーがあった。もうお腹は空いていなかった。大したものは食べていないのに信也との会話ととびきりのワインのおかげで心は満たされていた。そしてさっきの甘いキスと…。


心にブレーキをかけているのは過去の痛みか。人を信じるということの不確かで頼りない思いに揺れていた。


冷蔵庫にある飲みかけのワインをグラスに半分注ぐ。さっき信也と飲んだものより、ずっと明るくて澄んだ色のワインレッドは飲み慣れたピノ・ノワールだ。今夜はもう十分なくらい味わったはずなのに。

紗羅はいつもの自分に戻りたくて、可愛いチェリーやすみれの花の香りがする軽やかな一口を味わってベッドに身を投げた。


囚われた悲しみから一歩踏み出す勇気がもてるか…。きっかけなんてほんの些細なこんな出会いなのかもしれない。

そこに幸せという確約がなかったとしても、それを確かめる為には此処にじっとしていては何も始まらない。

傷つくのが怖いんじゃない。そんなヤワな私じゃない。今一度、目に見えない何かによって引き上げられる無防備さを携え、軽やかに変われる自分を見てみたい…。


その時、ケータイの画面が光った。

微かな期待と共に手にとってみる。

…信也だ。


「 部屋に帰ってあなたのことを考えています。やっぱり会いたい。またあなたと一緒に美味しいワインを飲んで話がしたい。紗羅さん、もう一度会ってくれますか? 」


そう、こんなふうに引き上げられて、私は私をもう一度自由に解き放ってみたい。


その言葉を待っていたのよ。


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イラストレーション by 猫野サラ


* ***** *


この物語は、先日あるきっかけから見せていただいた猫野サラさんの公開前の作品からインスピレーションを受けて書きました。

この絵を見た瞬間、妄想列車が私を迎えに来ました(笑)。

この憂いを帯びた女性のなんという美しさよ…。

サラさんはこの絵から、ワイン好きな私をイメージすると有難いお言葉をかけて下さいましたが、残念ながら私はこんなにいいオンナではありません…ぐすン。

サラさんの絵はいつもその降り幅に驚かされます。可愛らしい猫を始めとする動物の絵はとってもキュートでほっこりするし、私も描いていただいた猫耳アイコンはたくさんのnoterさんたちからの依頼による傑作揃いですね。皆さん各々の特徴をしっかりと捉えられていてさすがプロの仕事は違うなと唸ります。目力強めの私の猫耳アイコンは大のお気に入り✨これからもずっと愛用させてください。

サラさんのステキな絵に想いを馳せて、辛い過去から勇気をもって一歩踏み出そうとする大人の女性を書いてみました。彼女の心情を上手く伝えられたかどうか分かりませんが、失敗や年齢に関係なく、いつも未来に少しの希望と喜びを見出だせる柔軟な心の女性は私の理想の生き方と重なります。

今回、この絵とコラボすることをサラさんから快諾頂いたことをとても光栄に思います。サラさん、ありがとうございました。

因みに物語に出てくる女性の名前は紗羅です。サラという美しい響きに憧れ、猫野サラさんへのリスペクトと共に、この絵への愛を文章に込めました。


少し力が入りすぎて長くなってしまいました。ここまで読んで下さって本当にありがとうございます。


この小説はマリナ油森さんの企画 #妄想noteフェス  に参加します。


そして本日は金曜日。

金曜日と言えば・・・✴️

池松 潤さんの #金曜トワイライト     

そう言えば、物語に出てくる過去の男は潤でしたね…これは偶然です!今気付いてびっくりしました。池松さん、怒んないでね🎵

潤という名前、なんだか色っぽいと思いませんか? 潤う…なんて、とても素敵だなと思って。恋愛体質になられた池松さんへのリスペクトと愛を込めて…。


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