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お悩み相談室

最近の楽しみを一つ。
ほぼ毎朝聴いているスペースがありまして。

ダイアログ・デザイナーの嶋津さんの「朝さんぽ」。
朝、お散歩しながら誰かと対話する、というスペースですが、定時に開かれるわけではなく、毎朝でもないけれど、気がつくとXの上に青く光ってる。あ、歩いてる。
ここで「解決しないお悩み相談」というのをされてるのですが、なかなかこれが面白いんです。

「解決しない」っていいですよね。大体、人の悩みを解決しようなんておこがましいにも程があるって思います。私自身は人に悩みを聞いてもらおうという発想自体がないので尚更に。解決は自分でするものでしょ?悩みを打ち明けて、答えを出してもらっても、その答えをどう扱うかは結局は自分の判断になる。実行するか否かの最終的な意思決定は自分で決めるもの。決めてるから。みんな結局は自分で決めてるから。

人に答えを決めてもらってもロクなことはないですよ。
うまくいけばお陰様でと言えるけど、そうじゃない場合は「アイツいい加減なこと言いやがって」と責任をなすりつけたくなる。自分の人生なんだから、他人に責任取れなんておかしいよね。

人にはそれぞれいろんな悩み事がある。本当に人それぞれ。毎日接客をしていてそれはとても実感します。年齢はあまり関係ないようです。若かろうが年寄りだろうが、そのステージごとに必ず悩みはあるようです。色々と話は聞きますが、皆さんその悩みに対して聞き手の私に答えを求めてはいません。話すだけ話したらスッキリして、軽くなって帰られます。「悩みを人に話す」の一番の効能はそれだと思います。「話してスッキリする」。

それでも聞く以上は私の中にもいろんなアイデアが出てきますから「こうすれば?ああすれば?こんな方法もあるよ?」と新しい発想の種になるようなことを提供しようと試みますが、皆さん大抵は「そうなのよねぇ〜、」と共感しながらも「でもねぇ」と自分の都合を話しだします。そして最終的には「まぁ、〇〇するのがいい(あるいは〇〇するしかない)のはわかってるんだけどね」と自ら導き出した答えに辿り着く。

「ですよねぇ。まぁ無理せず頑張ってくださいね」などと話を締めると「ありがとう。スッキリしたわ」となる。本当に面白いように皆さんおっしゃる。
確認ですね。人は確認したい。自分の出した答えに賛同を得ることで安心したい。具体的な問題の解決策を得られなくても、対話をすることで生まれた今の自分の考えでいくことを確認して安心したいんだな、と。

そういった意味でも、“孤独“な人が多いなと思います。
身内や近しい友人に気軽に話せる人がいるってもしかしたら稀有なことなのかもしれません。問題を抱えていること自体よりも、そちらの方が深刻なように思います。

かくいう私はというと、深刻な悩みほど、人には言いません。自分の中で迷いがあるうちは外には出せない性格なのです。ブレブレの自分を言語化できるほど私は頭が良くないので仕方がないのですが、ある程度自分の中での答えを見つけるまでは一切誰にも言いません。ああでもない、こうでもないと考えをこねくり回しながら悶々とひたすら考えます。

そうこうしているうちに、自分を俯瞰して見つめるもう一人の自分が現れて、二人の間で論争が始まります。
でも、それもそんなに長引くことはありません。グダグダとグチのような悩みのようなものを吐き出す自分に対して、もう一人の私が極論で論破します。
するとグダグダの自分が「まぁ、そうなんだけどさ」と納得して前を向く。
この論争の時間が年と共に短くなってきました。長く悩まないんです。結論は必ず自分の中にある。それをわかっているから話が早い。

それをいっちゃぁおしめぇよ!という答えも多々ありますが、そこは鼻で笑って心で泣きながら乗り越えていきます。そうしないといつまでたっても沼から抜け出せないとわかっているから。

悩みって「あって当たり前」なんだと思います。
どんな人にも、どんな状況でも。何かしらの悩みはある。
生きてる限りつきものの悩みとどう付き合っていくか。
人に話してスッキリするならどんどん話せばいいし、自問自答でないと納得がいかないならじっくりと自分との対話を試みる。

それぞれでいいのだと思います。生きてる限り、湧き出てくるもの。そう思えば「へでもねーよ」とうまくかわせるようになりますよ。
風君も歌ってるので貼っときますね!スッキリしたい方はポチッとどうぞ。



#交換日記 #悩み事 #相談 #答え #自分 #へでもねーよ #エッセイ

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