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10年

2010年。今から10年前、私は2度目の離婚をした。

あれから10年が経った。

今日、仕事から帰ってポストを開けたら不動産屋からマンションの更新手続きの書類が入っていた。


「あ。5回目の更新だ。あれから10年経ったんだ。」


当時、娘は18才だった。高校3年生も終わりに近づいていた頃。

娘はモラハラ夫(娘にとっては義父)との離婚を切望していた。2度目の離婚は娘に背中を押されたことが大きい。

とても頑張り屋さんで、手芸とトランペットが趣味の娘は、高校を卒業したら将来の夢である「ウエディングドレスを作る人」になるために文化服装学院に行くことを希望していた。しかしそれを蹴ってまでも、親の離婚を切望した。

私は物凄く迷ったけれど、私も娘もその当時の生活に圧倒的に限界を感じていて、もう「生きていくため」にそれを選択するしかなかったのだった。

親として、娘の将来を一番に考えるのは当然の義務だという意見に全く異論はない。しかしながら死ぬか生きるかを迫られた場合、それは子供の「生命を守る」こと以外に何をプライオリティーにすることができようか。


私は生きることを選んだ。娘の精神を守ろうと決心した。


あれから10年が経った。

2年ごとの更新手続きは今回で5回目になる。

この10年を振り返ると、私の10年と娘の10年はずいぶんその変化の度合いが違っている気がする。

私は離婚するために就職した会社に今でも在籍している。10年経つと仕事も安定し(今年は予想外の疫病が流行ってそれなりに苦戦してはいるが)一つの店を任される立場まできた。積み上げた結果はしっかりと手応えのあるものになった。

娘は高校を卒業後、希望の専門学校を諦め、高校時代からバイトしていたアパレル販売を継続する選択をした。家計を助け、自立を目指しての彼女の選択だった。

しかしそれから思いもよらない地獄が彼女を襲った。

それまで心に抱え込んできたトラウマが、親の離婚後に一気に表に出てきたのだ。いわゆるPTSDというやつだった。

夜は眠れず、被害妄想に襲われ、過食と拒食を繰り返し、仕事中に突然過呼吸で倒れることは日常茶飯事。時に救急車で運ばれることもあった。

もちろん心療内科にも通い、薬の量がだんだん増えていくのを親として耐え難きを耐えながらどうすればいいのかもわからず、ただひたすら抱きしめて愛情を注ぎ込みながら必死で生きてきた。

それでも私の娘は強かった。

限界を超える一歩手前まできた時にようやくヘルプを出した娘に私はどれほど後悔したかしれない。何故ここまで頑張らせてしまったんだろう。何故ここまで娘に甘えてしまったんだろうと。生活のために娘に無理をさせていたことを思い知り、後悔してもしきれなかった。

すぐに仕事を辞めさせ、娘の心身の回復を一番に考えることにした。もちろん生活は悲惨だったがほかに選択はなかった。一番大切なことを見失いそうになっていた自分を恥じ、娘のために全ての時間と労力を捧げようと決めた。

それから娘はひたすら眠った。一日のほとんどを眠って過ごした。一日18時間ぐらい眠った。それも一度も目覚めることもなく、ぶっ続けに眠るものだから最初はとても心配したが、何故かこれはきっと本能的に「生きるため」に必要な眠りなんだと感じた。眠りはきっと娘の体を少しずつ回復させ、精神を少しずつ癒してくれると信じた。

私に似て気の強い娘は、そんな状態でも自分なりに目標を立て、「3ヶ月以内に絶対に社会復帰する」と決めていたと後で聞いた。ひと月ぐらい眠り続けた後、派遣会社に登録した娘は地道に就活していた。その経過は私は全く知らない。一人で全て計画を立ててコツコツと実行していたようだ。

きっちり3ヶ月後、娘は派遣会社からの紹介で不動産関係の企業に就職を果たした。高校を卒業して1年以上のブランクがあったにも関わらず、全く経験のない営業事務の仕事を必死で覚え、毎日のように残業しながらも一切不平不満を言わずに頑張った。そして派遣先からの異例のオファーで、たった1年のキャリアで派遣先の会社の正社員になった。そしてその会社が取引先と合同で新設する会社のメンバーに抜擢され、今に至っている。どれだけの努力をしたかを慮ると我が娘ながら頭が下がる。

もちろんそこまで娘が頑張れたのは娘一人の力ではない。周りの先輩や上司に恵まれたからに他ならない。それは娘が一番実感していて、常に周りの人に感謝と敬意を言葉に表している。彼女は人に恵まれている。昔からそうだ。身内にはある意味恵まれなかったが、周りの他人様にたくさん助けられてきた。自分の成果はいつも助けてくれる周りの人たちのおかげだと言っていて、その言葉を聞いて母である私はいつも心の中で手を合わせている。


今夜、私より遅く帰ってきた娘にマンションの更新のことを告げた。

「10年経つんだよ。早かったよね」

「信じられないね。私、アラサーだよ。はっはっは!」

そう言って笑う娘はとても頼もしく、美しいと思った。


10年、共に生きてきてくれてありがとう。感謝します。

お互いに歳を取ったね。あっという間だったけど、長かったね。

これからどんな未来が待ち受けているかわからないけれど、多分どんな状況になっても、助け合って頑張っていける気がするよ。

あなたは私の娘だし。私はあなたの母だものね。

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