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Cafe SARI . 3 「 秘密の宝物 」

3年前に離婚してからというもの、人生の時間を100%「自分時間」として使うことになった沙璃は、逆に少々それを持て余していた。要するに、やることがないのだ。趣味といっても読書や映画鑑賞ぐらいで、本来なら好きなことに没頭できる自分だけの時間を、何をするでもなく過ごすことに段々と焦りにも似た感情を抱くようになった。孤独な時間は自分に嫌というほど向き合うことを必然とする。それは否応なく「趣味」というものがないと改めて気づかされることでもあった。

日々忙しくしていた過去の自分は人生が充実していると思っていたけれど、結局は自分時間など持っていなかった。やらなければいけない日常の作業に追われているだけで、中身は空っぽだったような気がする。本当に好きなこと、やりたいことって何だろう?自問自答するうちに沙璃はあるサイトに出会う。

「note」って何だろう?

最初は投稿されている記事をひたすら読むだけのいわゆる「読み専」だった。たくさんの人たちが好き勝手に日記や小説や詩や写真などを掲載している。趣味として書いている人もいれば仕事に繋げようと会社や自社商品をアピールする人、また有益な情報を書いて有料記事にしている人もいる。なんて自由な世界なんだろう。沙璃はとても興味を持った。

私にも書けるかな?

最初に書いたのはブログのような日記のような、誰のなんの役にも立たないくだらない駄文だった。投稿ボタンを押すとき、ドキドキして指が震えた。3日間「スキ」はつかなかった。やはりこんなものを読む人は誰もいないだろうと削除しようとした4日目、スキが一つついた。

感動した。誰かが私の記事を読んでくれた。そして反応してくれた。「スキ」という感情を示してくれた。そう思ったら鳥肌がたった。SNSのミラクルを今更ながら目の当たりにした。それから少しずつ、沙璃はnoteで文章を綴るようになった。

アカウント名は「BORDEAUXのひとりごと」。沙璃が好きなワインの産地 “ボルドー” からとった。大義な理由などない。名前をつけるのに迷っていた時、目の前にあったボトルのラベルに書いてあったからだ。名前なんてなんでもよかった。沙璃は何に対しても拘ることが好きではない。人生なんてなるようにしかならない。何事も拘れば、それに対して見返りが欲しくなる。その見返りが不本意だったら落胆する。裏切られることは過去の現実世界だけでもうたくさんだ。これから先の人生は自分が楽しむことを最優先にして生きよう。そう決心してから、何ごとも拘りを捨てることにした。もし少しあるとすれば、料理ぐらいだろうか。しかしそれも単純に「美味しくなるための一手間を惜しまない」ことだけで、特別なレシピを持っているわけでもない。その日の気分とその場でお客とお酒に合わせて考えながら即興で作るというのが大好きだった。


Cafe SARI の営業時間は午後6時からてっぺんまで。お客がいない暇な時、沙璃はnoteで小説を書くための時間に当てていた。妄想の世界に身を置いて自由に綴る物語は沙璃をどこまでも遠くへ連れて行ってくれた。たまに集中しすぎてお客が入ってきても気づかないこともある。何事も没頭するというのは気持ちの良いものだ。今夜もまだ誰も来ない手持ち無沙汰な時間を、一人好きなワインをちびちびやりながら下手な小説を書いている。

営業中はもとより、書くときは尚更、集中するにはビルのピアノが欠かせない。沙璃はその中でも今夜は、トリオでの演奏が軽やかでとても気分が乗る「枯葉」を聴きたくなった。本来ならば物悲しいシャンソンも、ビルの手にかかればこんなにも楽しそうに風に舞う枯葉になる。まるで自由な孤独を謳歌するように、北風さえも味方につけて踊る枯葉が目に見えるようだ。


「沙璃さ〜ん、こんばんは!何書いてんの?」

ハッとして顔を上げるといつの間にか店に入ってきていた吉田と目があった。

「あ、ごめんなさい!気がつかなかったわ」

「すんごい集中してたもんね。ねぇ、何それ。流行りのブログか何か?」

「え、えぇ、まぁそんなところ。吉田くん、何飲む?」

「じゃぁ、レッドアイ」

「はい、今作るね!」

沙璃は慌ててnoteの「下書き保存」を押してiPadを閉じた。


吉田幸希。38歳。独身。仕事はここCafe SARI の近くにある有料老人ホーム「楓の杜」で介護ヘルパーをしている。余りにも若い女性との出会いが少ないからと言って、仕事終わりによく飲みに来てはここで会う常連客の女性たちと話に花を咲かせている。結婚願望が強く、最近婚活サイトに登録したらしい。そこでの報告や相談事をいつも沙璃に持ち掛けるのだった。

「沙璃さん、今度初デートがあるんだけど、どんな話が盛り上がるかなぁ?」

「そうねぇ、やっぱりお互いの趣味の話とかじゃない?もし気が合えば一気に進展しそうな気がするわよね。今、インスタとかのSNSで同じ趣味の人を見つけて、そこからオフ会に持ち込んで付き合ったりする人もいるらしいわよ」

「マジかぁ、そっかぁ、趣味ねぇ・・・」

沙璃はよく冷やした濃厚トマトジュースにビールを静かに注ぎ、レモンを少し絞って軽くステアし吉田の前に置いた。

「ありがと。なんかつまみが欲しいな。職場でさっき軽く食べてきたんだけど」

「じゃあ、オイルサーディンにする?」

「いいね!」

弱火で温めたオリーブオイルに刻んだニンニクを入れて香りを出し、オイルサーディンを焼く。軽く焦げ目がついたら醤油とレモンを掛けて仕上げる。塩気のないプレーンクラッカーにサーディンとスライスしたブラックオリーブの実を乗せてカナッペにし、ペッパーミルで黒胡椒を擦り、彩りにパセリを振った。

「さぁどうぞ。レッドアイに合うと思うわ」

吉田は大きな口を開けてクラッカーを一口で頬張った。

「うん、旨い!」

口直しはきゅうりと大根とにんじんのスティックサラダを用意しよう。野菜はカットして冷水に晒す。生独自のシャキッとした歯応えとみずみずしさが大事だ。ヨーグルトとマヨネーズを合わせ、ニンニクのすりおろしを加えたディップを添えてすすめる。


「ねぇ、吉田くんの趣味って、聞いてもいい?」

「う~~ん、改めてそう言われると自分でもハッキリしないんだけど…まぁ、強いてあげればサッカーかな。学生時代ずっとやってたから。でも社会人になってからは全く。それって趣味とは言えないよね。今はひたすら見るだけ。忙しくて趣味とかに時間かけてる暇なんてないしね。ウイークデイは仕事終わりにここに寄って酒飲んでくだ巻いてるのが関の山だよ。週末は婚活に忙しいし。あ、趣味“婚活“ だな!仕事以外の楽しみは婚活のみ」

「なによそれ。なんだかつまんないわねぇ、それって“結婚が目的“であってそれに合う条件の人を探してるだけよね。一体どこで決定ボタンを押すの?いいところまでいっても『もしかすると次の人の方がいいかもしれない』って思ったら永遠に押せない気がするけどw」

「お、さすが沙璃さん!鋭いねぇ。実はまさしくそれでさ、今回の人よりも前の方が良かったかなぁなんてちょっと後悔してんだよね」

「でしょう?そういう人は一生結婚できないと思うわよ。それより自分の時間を充実させて人生楽しんだ方がよほどいいと思うけどね」

「まぁ、そうなんだけどさ。でも実際趣味なんて持ってたら金はかかるし時間はないし、俺の友達の既婚者たちは皆口を揃えたように言うよ。趣味なんて独身のときは優雅に楽しんでいられても、結婚したらなんもできなくなるぜ、って。ましてや子供ができたりしたら自分の趣味どころじゃなくなるって」


沙璃は憤る吉田を、憐れむような慈愛の目で見つめてため息をついた。

「ところでそう言う沙璃さんの趣味は?」

「えぇ、私?う〜〜ん、内緒よ」

「何それ!ズルぃよぉ」

「ふふ、いいじゃない、私のことなんて。人様に言えるような趣味ではございません」

「まぁでもさ、俺、仕事してていつも思うんだよね。うちのホームでお世話してる人たちさ、みんな後期高齢者じゃない?あの年代って趣味がある人とない人では衰え方が雲泥の差なんだよね」

「と、言うと?」

「いつも昼ごはんの後、何かしらレクリエーションのような遊びをやるんだけれど。あぁ、例えば俳句とか折り紙とか、麻雀とか将棋とか。それが自分の趣味と重なると突然頭が冴え冴えになるんだよ。そして他の人に教えて回ったりしてさ、にわか講師みたいに。それまでウトウトしてたようなじいちゃんばあちゃんが俄然張り切っちゃって見違えるように元気になる。それってやっぱ趣味がもたらすエネルギーなんだろうなって」

「なるほどね。確かに自分の好きなことって、幾つになってもワクワクするし人にも勧めたくなったりするのかもね」

「そうなんだよね。だからさ、やっぱ趣味は持っていたほうがいいんだなって」

「無いよりはある方が、きっと人生が豊かになるでしょうね」

「ボケ防止にもきっと役立つんだろうな」

「そうね。一生無理なく続けられる趣味を持つって、確かに良い気がする」

「んで?沙璃さんの趣味って何なん?」

「ん〜、ワインかな?あとは読書。つまんないありふれた趣味よ」

沙璃はさっきまで書いていた小説のことは誰にも言わないつもりでいる。密かな楽しみは自分だけの小さな宝物として取っておきたい。


「じゃあワインの知識を生かして、ここでワイン講座とかやれば?最後に沙璃さんが美味しいおつまみを作ってみんなで飲むの」

「それって趣味じゃなくてまんま仕事じゃないの」

「あぁ、そっか。でも趣味が仕事ってサイコーだね。うらやま!」

趣味が仕事。なるほどそうかもしれない。ここでの自分は好きなことをしているという感覚しかない。だから仕事だという意識すらなかった。そう考えると、いま沙璃が夢中になっているnoteでの「書くこと」は言わば“極上の時間“だ。趣味のような仕事をしながら極上の楽しみを持つ。あぁ自分は何という幸せ者なのだろう、沙璃はじわりと湧き起こる感謝の気持ちを噛み締めるかのように、吉田に向かって手に持ったワイングラスを掲げて言った。

「吉田くん、ありがとう。サイコーね。乾杯!」

「え?何が?でもなんだか沙璃さん嬉しそうだね。なんか良いことあった?」

「あったあった。毎日がサイコーよ。気づかせてくれてありがとう」

「なんだか分かんないけど、沙璃さんにお礼言われちゃったから俺も嬉しいよ、カンパーイ!」


もう既に持っているものは何故こんなにも見えないのだろう。人との会話で気付かされること、見つけ出せることは案外たくさんあるのかもしれない。気づいた途端に包まれるこの多幸感を沙璃はもっとたくさん感じたいと思った。それが自分を大切にすることなんだと改めて思い知らされ、沙璃はいま現在一人でいることの孤独をも幸せに受け取れるのだった。


「吉田くん、一人ってなかなかいいわよ。もっとその幸せを味わいなさい」

「えぇ、マジで?俺、結婚して幸せになりたいよぉ」

「うふふ。今度のデート、頑張ってね」


生きるってしんどい。そして寂しい。でも、もしかしたらとても幸せで楽しい。そう、もっともっと気づいていこう。沙璃は掲げたグラスを気持ちよく一気に飲み干した。

気づいた者勝ち。人生はそういうものなのかもしれない。


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