息をするように
タカーシーさんの “この頃ハマっていること“ が、今更ながらnoteを読むことっていうのが面白かったです。意外ですがそんなものなのですね。
私は逆にあまり昔ほどは読まなくなりました。
何故だかわかりませんが、フォローしている数人の人しか読みたいと思わないんです。この4年間でかなりの量の文章に触れてきて、ちょうど今私が苦しんでいる花粉症のように、自分の中の許容量を超えた感があります。
「もう、お腹いっぱい」という感じでしょうか。
別に花粉症のようにアレルギー反応がでるようなことはないのですが、琴線に響かないんです。これはその文章の内容がどうということではなく、単に私の中の何かが受け付けない状態になってしまったからなんだと思います。
自分でもその理由がなんなのかは全くわかりません。
私の文章が他の書き手の文章に対して優れているとも思っていませんし、他の書き手の文章を否定する気持ちもさらさらないのですが。なぜか心が動かないのです。
きっと、一つ一つの文章をじっくりと時間をかけて読み込むという行為ができないからだと思います。それほどの余裕がないというか、他に時間をかけたいことがあるからなのかな、と思います。
“面白い“と感じるハードルが上がったもの確かにあります。
それほど、ここにはたくさんの優れた書き手たちがいるからなのでしょうね。
たくさんの文章を読めば読むほど、もっと面白い文章を読みたい、もっと感動したい、もっともっとと欲深くなる一方です。
かく言う私も人から見たらきっと、全くもってつまらない文章しか書けていないのかもしれませんが、こうしてタカーシーさんと交換日記を始めてから、書くことに対してのハードルがグッと下がったのも事実なんです。
以前は週一がいいところでした。それが今では隔日で書いています。
こんなにコンスタントに書いていたことは、これまで一度もありませんでした。
とにかくnoteを開く。そして真っ白な画面に向かってとにかく書き始める。
その行為が息をするように自然と習慣付いてくると、書くことに対する構えがなくなりました。とても自然な行為であり、当たり前な日常の一コマです。
しかしながらこの二日間は少々ハードでした。
昨日は私が運営しているコミュニティ「大人相談会」をオンラインで開いたあと、感想noteを書き、一夜寝かせて今日の午前中に推敲して投稿しました。そして午後からは私のライフワークである「パーソナルコーディネート」のクライアントさんへのレポート記事を5000字ほどにまとめて送りました。
どちらもかなり集中して書いたので、とても疲れました。
その後にこの交換日記を書いています。
まるで全力疾走した後のゴールの後の流しの状態です。
微かな疲労感とワインの酔いに任せて、思うがままにタイピングしていると、ヨガの後の瞑想の時間のように呼吸が整ってきて凪の状態になっています。とても心地よく、スルスルと言葉が出てきます。
これぞまさに “身のない話“ ですが、こんな日もあっていいですよね。とても人間らしく、生きてるって実感します。
日記とはこういうものなんじゃないかな。日々のことをその時の感情に任せて素直に書き散らす。勢いに任せて放った後は、今日も一日ご苦労さんと自分に○を出す。
さて、これからの時間は推しタイムです。
がっつり書いた後の自分へのご褒美。何も考えず、放心状態でひたすら推しを浴びましょう。アウトプットの後のインプットは大事ですよね!
それではまた。
*アーカイブは下のマガジンから読んでいただけます。よろしければどうぞ。
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