スピリチュアルの落とし穴
ほしい情報が簡単に手に入る時代になりました。
昔のように師匠に着かなくても大抵のことは学べるようになりました。
特に精神世界、自分探求の分野では、新しい覚者がどんどん現れ、お寺で修行などしなくてもそういった方々に触れることができるようになりました。
皆さんもyoutubeなどで沢山の情報を集めているのではないでしょうか。youtubeでは瞑想などもできます。
ですが「覚醒」とは、心と身体が「大いなるもの」と一体化することだと私は思っています。
知識というのは覚醒に必要でしょうか?
イメージングとは覚醒に必要でしょうか?
覚醒とは口から口へ伝えられるものなのでしょうか?
容易に手に入る「導き」は、大体が「頭」だけの作用です。
「頭」だけでは、本当の意味での「わかる」「悟る」はできません。
「悟る」は三位一体で初めて「悟る」「差取る」ものだと思います。
*三位とは上記した「心」「身体」「大いなるもの」
つまり頭だけ働かせては逆の方へ行ってしまうということです。
「身体」とは人間の最も崇高な存在であり、常に身体に意識を向けることがとても大切です。
修行という言葉があるとすれば、徹底的に身体と向き合い、外側に気を取られない作業のことだと思います。
身体に意識を向ければ心が動きます。
自分の中から外側を排し内側だけに意識を向け、その一見孤独な状態は大いなるもので守られていると安心できた時こそ探求の道が終わるのだと思います。
そう思うと、沢山の情報というのは一種のエンターテイメントでとどまってしまうものばかりかもしれません。
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