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この世には私しかいないと思う
実際のところわからないけれど、この考え方はとても理にかなっていると思う。
前回の「自分から出すもので人生が作られる」の続きですが、
もしこの世に自分しかおらず、体験する事柄、周囲の人々などが映画のように幻想だとしたら、誰の事も恨めず、何のせいにもできず、そのうちに意識を外から内に向けるしかないとわかるだろう。
喜びも感謝も自分からしか湧きあがらない。
そのうちにどんな映画が見たいのか内側で「意図」するようになる。
それを現実化という。
ただし、それは形ではない。
感覚の現実化だ。
試験に合格する現実ではなく、試験に合格した喜びを感じる自分だ。なので形を追ってしまうと幻想(外側)に意識を向けることになるので実現しない。
これがストーリーを追ってしまう時間軸の奴隷である私たちにはトリックになるのだ。
ちょっと想像してみてほしい。感覚に時間軸は存在するのかどうかを。
自分の意図が外にあるのか内にあるのか、それが現実化の一番大事な部分。
そして、思ったのと形が違ってもしっかり喜びに「感謝」できれば、意図が現実になった自分を信頼でき、また次の現実化が起こる。
もし、思ったのと違うと落胆してしまうと、意図への信頼が無くなり次の現実化から遠のいてしまう。
こういった話を潜在意識という言葉で説明している人も多い。
潜在意識は肯定と否定の区別がつけられないという。
「お金が欲しい」=「お金がない」となり、ほとんどの人には難しいだろう。
だから「仕事が認められて対価を受け取って嬉しい自分」を意図する方が簡単だと思う。
風の時代に突入する私たちは自分という存在が形(外側)的な存在でないことをいち早く認識することが軽やかに生きるコツとなるでしょう。
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