海はなぜ青い
複数の色素を持つ太陽の光が海水にぶつかったとき、青の色だけは吸収されずに海中の奥深くまで進行する。青い光は海底の砂に反射し、水中に青色が拡散する。それが海を美しいコバルトブルーに見せているメカニズムだという。
初めてサイパンに行ったとき、タクシーから見える景色を眺めて『本当に海って青いんだ』と感動した。
修学旅行は京都、海といえば熱海か江ノ島という中途半端な東京人である私にとって、青い海は憧れだったから。
しかし、いざビーチに降り立つと、白い砂浜の上に立つ足に心地よくぶつかる水は澄んでいる。当然だけど青くない。泳いでいる魚が見えるくらい透き通っていて、非常に美しかったけれど、憧れのコバルトブルーではなかった。
こんな風に近すぎると見え方が変わることは、実はたくさんあると思う。
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長男の夏休みが終わる。
前半戦こそ学校の自習室開放日やプールに大きなリュックを背負って出かけていたが、糸が切れたのであろうか。8月中旬からはほとんど家でダラダラ過ごしていた。
「友達と遊びたくない?」と聞いてはみるが、長男は人と会うことにさほど執着していないらしい。ひとり好きな私そっくり。
そのくせおしゃべり。と言っても、話す内容は「ママ、超面白いダジャレ思いついたから聞いて!」とかホントくだらないことばかりなので、相槌を打つのも一苦労である。
私はというと、多くの母親がそうであるように、まあそれなりにストレスを感じている。いや、かなりかな。
この夏はamazon musicで「屋久島の雨音」を聴きながら、離島へひとり旅する妄想をすることと、Googleマップで海辺を散歩することで自分の精神を保っていた。ちょっとやばい人である。
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理解不能な小学生男児の相手をするのはしんどい。
だから、少しでも楽しさを共有できて、且つ私も楽できる、という理由でこの夏はだいぶ映画に世話になった。
映画館には3回ほど足を運んだ。『ジュラシック・ワールド』なんてあまりの大迫力に、熱々のカップルにも負けないくらい強く手を握り合って観たものだから、終わった頃には肩が凝っていた。
夏休み中は普段つけない寝室のテレビを見ることを許可し、夜はタオルケットにくるまりながらDVDや金曜ロードショーを鑑賞する。
映画の何が良いって、観ている間は長男の関心が私に向がないこと。これに尽きる。しかも、暇つぶしとして日常的に垂れ流しているYouTubeやアニメより長い。
飽きっぽい長男だが、丁寧に作り込まれた2時間のストーリーに深く惹きつけられる年齢になったようでこれまた感慨深い。
とにかく、そんな風に子どもの関心がよそに向いているときは、妙に客観的になれる。
するといろんなことが見えてくる。
「横顔の骨格がゴツくなってきたな」とか「相変わらずまつ毛が長いな」とか。
「登場人物のこんな感情の機微がわかるようになったんだ」とか、いちいち感動する。
『映画』というツールで長男と意図的に距離を作った途端、愛おしさが込み上げてくるのだ。
離れなければ海が青いことに気付かないように、近すぎてわからなかった幸福を余すことなく噛み締める。
長男と映画を見る時間というのは、私にとってそういうものだ。
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次は何の映画を観に行こう。
そして私は夏を経て少し大人になった長男の横顔を眺め、どんな思いを馳せるのだろう。
兎にも角にも二学期も楽しんでほしい。
ちなみに海には行ってない。
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