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"恥ずかしい"という時は"照れる"の時も含んでいるのだけど、「ネガティブな言葉とポジティブな言葉を同じ単語に当てはめているよ」といわれ使い分けを意識するようになった。ありがとう、素敵な指摘。
罪悪感を分け合ったような気がする。またそれはそれでよし。
"くだらないことに囚われている"と思っている時は、自分にとってくだらなくなんて無いことだと思う。
時間が有限すぎて「会えてよかった」の一言すら、満足に言うことができない
仕事への熱意を持ち寄るのがとても楽しい。辛く暗い側面だってあるけれど、とにかくここに集中して熱中することができる。どんな人とでもそうあれたらと思うけど、私が好きな人はきっと仕事が好きではないから、こういう風にはできないんだろうな。
保守的な人に「何が私の良さをわかろうか」と思う時があるけれど、そうやって固執しているのはこちらなのです。どうしたら逃れられるのでしょうか。
たくさんたくさん分裂していたペルソナをちょっとだけまとめる作業が必要
" 何処にもない "というような事のように思う
年上の夫婦が手をつないで現れた。
どきっとした。
突きつけられているようだった。
どうぞあなた達はそのままで。お元気で。
私の悩みなどということは、どこにでもあるありふれたものだ。
ありふれたただ一つの私の悩みだ。
愛らしいとは最終兵器みたいなものだ。
何もかもがリセットされる。
愛らしいとはズルいことだ。
それは羨ましいという意味である
目の前の人を好きになるのは楽だ
目の前に立てない人を思うのは辛い
アノニマスである事に固執しつつ、何かであらずとも生きていける自信がないのは、責任の回避とみるべきか、野心と固執と見るべきか。
公平とは本質的同条件をさすのか、同じ条件で優遇する事なのか。何が良いのか、分からないけど、分からない事すら分からないかもしれないしな。話とかできるのかな。
無責任だ。と思う一方で、自分が責任を取れている自信はない。やっぱり無責任だ。