Deeper, deeper

近頃の私の関心を言葉で表現すると、「この世界」を平面的に広く広く知っていきたいというよりも、「Deeper, deeper」、もっと深く潜りたいという気持ちが強い。
元々その傾向ではあったが、「深く」の焦点が今ではかつて以上に非物質的領域へ集中的に向かっている。

この世の物質的な側面のみを「リアル」と思っている場合だけでなく、精神世界に興味がある人でも、ある一定のゴール、到達点を想定していることがある。物理的終着点ではなくとも「ここまで行ったら探求の終わり」という特定のstate(状態)ならばあるはずだと考えるのだ。

しかし、真実はむしろ逆である。内なる世界は有限ではない。
想定していた状態に達すれば、いわば新世界が開けて、これまでより大きな視野で見渡せる。さらにもっともっと探求の舞台があることに気づくのだ。
囲いの中だけを見ていた者が、囲いの外があることを目の当たりにする上に、自由な移動も可能だとわかるようなものだ。

つまり、知れば知るほど「知らないこと」を正しく認識する。

一方、個人の人生として眺めると、歩みとともに自分の研究対象が変わっていくことはある。ある大テーマが継続していても、小テーマは完了をみて、フォーカスが移っていくことがある。

私の場合、ある時期までは研究対象がほかの諸々よりも優先的に「人間」に向けられていたように思うが、今はそうではない。
自然界や他の生物へ移っている。

これは「人間のこと、もうすっかりわかっちゃった」という意味では決してないが、この間までスピリチュアルカウンセラーをしていたこともその一環であるように、かなり人間というものについて熟考する人生を過ごしたことは間違いない。職業のためにそうなったのではなく、むしろ先に自分がそういう性質を持っていたから、その職業を選ぶことになったのだが。

そして、その探求においての完結点はあった。
それは先に書いた通り、さらなる理解への幕開け、「新たな世界の訪れ」と言えるのだが、比喩的ではあれど「舞台が変わった」ことを認識したのだ。

その都度の「今」の視点から語れること、シェアできることはこれからも色々ある。
ただ、根本姿勢として、3月3日の記事◆「意識を向ける割合は、表層2、深層8くらいでいいんじゃない?」で語ったように、世界の物質的側面へ目を注ぐことは最小限で良いし、そうすることが自然であると私は感じている。
現代においては物質的側面がすべてであるかのような趣がまだあるけれど、そう信じ込めるのは、強烈な錯覚を持続させている賜物だと言っていい。

物事の表層(物質世界での現れ)だけを見るか、その奥を見るかという視点の置きどころの違いは、「創られた世界の中にいる者」と「創り手」ほどの大差がある。
どんな状態にあっても誰もが創り手なのだが、それを忘れていれば、自分は何者かによって創られた世界の中にいる登場人物だと思い込むのだ。

非物質的体験をすることが「できない」と思っている人へ

ところで、見えない世界、非物質的体験に関わることが「難しい」と思っている人もいるだろう。何か特殊能力が必要なんじゃないか、超能力みたいな——そして漠然と、物質世界と非物質世界の間に境界を設定する。

私はその誤解をとく講座やセッション、メッセージを伝えることを実行してきたが、根強く「非物質的な体験はできない、それを知覚する能力はない」と信じている人の特徴がある。

もし本当にその能力がなければ、ここに存在し、物質的体験をすることすらできないのだが、それはさておき。
そういう人たちが「霊的体験」や「非物質的体験」に何を期待しているかも理解しているつもりだ。

「非物質的体験をしたいと一生懸命になってしまう」心当たりがある人は、ぜひ、これを確認してほしい。
拍子抜けするほどシンプルなことだが。

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