現実というフィクション。Life is a Movie!

masumi

この世のどんな面白いフィクションよりも、本当によくできている作品は、実人生!
いつからかそう確信するようになった私は、個人の実感としてだけでなく、私たちが集合的にも、そのことに気づきつつあると認識している。
ヴァーチャル・リアリティーの技術のように、より「リアルな」ものを生み出していくという方向性もあるけれど――その前に、
「あれ?日々の現実こそ、ヴァーチャルなんじゃない?」
と、じょじょに地球規模で気づき始めているのである。

生命あるものたちの現実を、ヴァーチャルと呼ぶなんてけしからん!
と、目を三角にして言いたくなる人がいるならば、きっと、意味を誤解しているのだ。
ヴァーチャルの経験に価値がないわけじゃないし、もやや霞のように私たちが頼りない存在だというわけでもない。

むしろ、「本気の遊び」というものがあることを、私たちはよく知っているではないか。
何かを創る。作品を生み出す。スポーツや冒険など、命を張ったチャレンジをする。
この世でのそうした活動は、ヴァーチャルに対して「リアル」であると定義できる本体(存在と表現してもいい)から見ると、二次創作、三次創作、四次創作……と、どこまでも階層構造で生み出していくことが可能な、創造の連鎖である。

つまり、創造の中での下位創造と捉えられるということだ。なぜなら、
この人生で「人間体験をしている私」という「個」自体が、真のあなたから見れば「作品」だからである。

ところで、今回のアバター(○○△△さんという名前を持つあなたのキャラクター)を、あなたは気に入っているかな?
その価値を、認めているかな?
あなたは意味あって、そのように選んだ。
この人生という映画の主人公に、そのキャラクターが最高!なので、喜びとともに抜擢したのだ。

作品の中の作品から、目を離し始めるとき

さっき、二次創作、三次創作……という表現をしたけど、たとえばあなたがテレビドラマに夢中になっているときのことを考えてみよう。
ドラマの主人公や登場人物に、感情移入して見ているかもしれない。
興味深く没頭できるのは、ドラマのストーリーや世界観、設定などの何かがあなたの心の琴線にふれているからこそ、だ。

人間が生み出した作品には、「観念の吹き溜まり」と言おうか、人々が共有しているBelief(信じていること、思い込み、文化や常識などのルール)が多かれ少なかれ反映されている。
それが完全にゼロになっていたら、もしまったく人類の思いつかないような基盤に沿っていたら、「共感」を呼ぶことはないだろう。
仮にそういうものを提示できたとして、地球で理解されることはない。

だから、この世で作られる映画やドラマや小説など数々の作品は、何らかの形で作者個人の、そして時代に沿った集合的な観念もが盛り込まれている。
根底にある「合意」として、それらを用いて創られているのだ。
もちろん、時を超えて人類に語りかけるような普遍の要素が込められた作品もあるのだが、全体の中では少数だ。

いわゆる「普通」の、現代社会の観念を反映した作品群に「飽きてくる」のは、望ましい兆候だ。
なぜなら、この「地球遊園地」からの、いつか訪れる「卒業」が近いということだからね。

こんな風に説明しよう。
あなたは興味を持ってやってきた「地球遊園地」の中で我を忘れて遊び、「私とは本当は何なのか」という自覚も薄れて、メリーゴーランドなんかにぐるぐる乗っている。
スリル満点のローラーコースターもある。何度も、乗る。
いい加減、どれにも飽きてきたなぁ、と「他の面白そうな遊具」を探して、目が泳ぐ。うーん、どれが楽しそうなんだろう……。
遊園地の中を巡回すると、見慣れた遊具がいくらでもあるけれど、ハッと、この「遊園地の中」にいること自体に、疑問を持つ。
果たして、あなたは、ずっと遊園地の中にい続けるしかないのだろうか?

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