見出し画像

【第3話】着物

(この作品は、実際に私が幼少期を過ごしたフランスでの思い出を、小説風にアレンジして書いたものです。)

学校にだいぶ慣れてきた頃、その後の人生ずっと記憶に残ることとなる大きな出来事が起こった。

学校に慣れてきたとはいえ、男性名詞と女性名詞によって使い分けなきゃいけない冠詞は相変わらずよく間違えるし、その度にクラスメートに注意されるし、ノリとでもいうのか、いまいち会話のテンポについていけていなかったわたしは、どこかで輪の中に入れていない感覚がいつまでもあった。それは一重に自分が何も主張しないからだと薄々感じていた。みんなの話をよく聞くが、意見を何も言わない、自分から話題をあまり振らない。地味な子として映っていたと思う。

そんな私に担任の先生も、どこか冷たかったように記憶している。関心があまりないです、と言わんばかりの態度。気にかけて、積極的に話しかけてくるということはなかった。あの出来事以降の先生の変わりっぷりを考えると、決して見捨てていたわけではなく、静かに「待っていた」というのが、本当は正しいかもしれない。

ある日、ある授業で先生が日本について語り始めた。日本からやってきた生徒であるわたしに注目し、話題にしたわけではない。社会の授業だったか、とにかく普通の授業の時間だったと記憶している。世界地図を見せながら、「地理的にはここが日本で、主食はお米」とか、そのようなざっくりした説明をし始めた。

わたしは最初、ぼんやり話しを聞いていたが、徐々に心の深い深いところから、忘れかけてきた懐かしい感覚を掬い上げられるような、気持ちの変化を感じた。「あ、それ、わたしの国。わたしが住んでいた国です。」と、心で先生に訴えている自分がいた。目を大きく開けて、先生を見つめ、いつの間にか姿勢が前のめりになっている自分がいた。

先生が気づいて、少し微笑んでくれた。純粋に嬉しくて、静かに微笑み返した。

「みんなどう思いながら聞いてるだろう?」「興味ある、ない?」「行ってみたい?べつに行きたくない?」クラスメートの表情だけでは、何も分からなかったが、授業が終わりに近づいたとき、閃いた。

わたしは、みんなに日本を知ってもらいたい。

みんなは興味ないかもしれないけど、構わなかった。地味で静かな自分に、なんでこんなにも強い気持ちが湧いたのか、理由はよく分からない。その感情に動かされるように、わたしが帰宅後、真っ先に母に向かってこう言った。

「ママ、七五三の着物どこ?」

まだ1歳にもならない一番下の妹にミルクを飲ませながら、ポカンとわたしを見つめる母は困惑していた。

「え、着物?なんで?」

「いいから、今欲しいの」

「えーっと、あのクローゼットかな。たぶん。出してあげるけど、どうしたの?急に着たくなったの?着るの大変よ〜」

「いいから、いいから。一回見せて」

母は小さい妹をベビーベッドに下ろすと、思い当たるクローゼットにすぐに行ってくれた。わたしはそんな母のスピーディーな対応が実は嬉しかった。いつだって大忙しの母。5人の子どもを抱える母の日常は目まぐるしく、頭の中も、常に更新される「やることリスト」でいっぱいだった。わたし一人に個別対応する余裕なんてないことは、よく分かっていたから、そんな母がわたしの「着物見つけて」という願いにすぐに動いてくれたことが意外だったし、クローゼットに向かう母の後ろを、嬉しさのあまりにやけながら追いかけたことをよく覚えている。

「あった!これだね。七五三の時に着た。」

鮮やかな赤色のその着物は、まさしくわたしが探していた着物だった。無言で受け取って、次にわたしが口にした言葉に母は目を見開いた。

「私、明日これ着ていく」

「どこに?」

「学校」

「え、ええ?ちょっと、何言ってるの?」

「いいのいいの、着ていきたいの。どうやって着るんだっけ?手伝ってくれる?」

母は言葉を失っていたけど、わたしはそんな母を横目に着物をベッドの上に広げて、さてどうやって着るんだっけと考え始めていた。

「明日、学校で何かイベントなんかあったけ?」「先生には言ったの?」「本当に、どうしたのいきなり」母は色々聞いてきたが、わたしはのらりくらりとかわして、ただ「着たいの。なんとしても。平気平気。」とだけ言って、母を困らせた。でも不思議なことに、母はわたしの真剣さに根負けしたのか、それ以上は聞かず、少し考えて「まあ、いいけど」と言ってくれた。わたしを信頼してくらたからか、あるいは次のやるべきことに関心が移ったからか、とにかく着物を着ていくことを許可してくれた。良くも悪くも、母は単純だ。それに救われることもあれば、困ることもあったが、それが母だ。この時は、心底感謝した。

次の日、私は着物を着て登校した。本当に、そんな勇気どこから湧いてきたの不明だ。先生が日本の話をしているとき、全身の血流が速まるような感覚だった。わたし、日本知ってます。着物という素敵な服を持ってます。日本人が日常的に着物を着ていたのは昔の話ですが、今でも七五三とか、何かの記念の時に着ることがあるんです。わたし、そんな着物が大好きだし、自慢です。日本が自慢です。

そうだ。その気持ちがわたしを動かしたんだ。伝えたくて。フランスから遥か遠い日本という国で、わたしは生まれた。優しいおじいちゃんおばあちゃん、親戚たち。お別れの日に、正門までクラスみんなで走って来て、おしく饅頭みたいにわたしに群がって、次々にお別れの言葉を言ってくれた幼稚園の友達。わたしの大切な人たち、大切な国。

学校の門を潜ったとき、みんなの視線を感じた。恥ずかしい気持ちは、全くなかった。迷いなく教室に向かって歩いてドアを開けたとき、担任の先生と目がった。

Bonjour!

わたしそう言うと、先生は真顔からニンマリ笑顔に変わって大きく息を吸い込んだ。そして大声で

Bonjour!!!

と言い返すと、わたしに駆け寄って手を握った。「なんだ急に」とは思わなかった。その代わりに、今まで感じたことのない絆を、先生との間に感じた。先生がとても、嬉しそうだ。しかし次に先生の口から出た言葉はかなり驚きだった。

<<Viens avec moi! Montrons ton kimono à toutes les classes.>>

「あなたの着物、全クラスに見せに行きましょう!」先生はそう言って、わたしの手を引っ張って歩き出した。数メートル歩いて、何かを思い出して教室に後戻りして、クラスのみんなに「ちょっと待っててね。授業前に復習でもしてて!すぐ戻るから。」と言った。

それから先生は、本当に全クラスを回った。興奮気味に、各クラスでわたしを紹介する先生。

「私のクラスの子。日本から来たの。この着物、素敵でしょう?」

先生はもう、本当に嬉しそうで、わたしまで笑みが溢れる。着て来てよかった。この日初めて、わたしはわたしとして、初めて学校に馴染めた気がした。そのままでいいんだ。大丈夫だ。そして何より、先生に感謝した。自分のクラスに自習させてでも、わたしを自慢しに回った先生。特別扱いして、わたしに自信を与えてくれた先生。感動的だった。

これが、忘れもしない現地校での大きな出来事。一生忘れないし、大切にしたい思い出。

小1から留年があるフランスで、なんとか留年せずに小2に進級できた少し前の出来事。

日本を自慢に思った気持ちに、やがてフランスを自慢に思う気持ちが加わることを、まだ想像できなった頃の話。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?