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「大きくなったらママになりたい」と言われて

たまに、子に愛されすぎてて戸惑う。
私はそれに報いることができるのか、と。

先日3歳の息子が「大きくなったらママになりたい!」と言った。

ここでいう「ママ」は立場や属性を表すものではなく、私個人のほう。

数日前から「ぼくね〜、はやくママみたいに大きくなりたい!」「どうやったらママみたいに大きくなれるの?」と言っていて、理由はわからないけれどはやく身体的に大きくなりたいのだな、とは思っていた。

が、まさか「ママ(=私)になりたい」と言われるなんて夢にも思っていなかったのだ。

正直、嬉しいというより、戸惑った。

いや、私も私なりに一生懸命生きているし、息子氏に対しましては生まれてこのかた、なんならお腹の中にいるときから、なるべくその心身の健康に寄与できるよう気を配って、時には身をやつしながらお世話してきたので、それなりに慕ってくれるのはさもありなん、そうでなきゃ寂しいわ、という気もするのだけれど。

でも、ねぇ、そんな、まっすぐ憧れられるほど、キラキラした人物ではないんだよな、プリキュアやウルトラマンじゃあるまいし……。

動揺のあまり、つい「息子くんは私よりずっと素敵な大人になると思うよ」と返してしまった。

すると息子はきょとん、として、というよりポカン、として、私を見上げている。
変な空気が流れた。

ああ、ミスった。
さっきのはたぶん、間違った。

コミュニケーションが空回っている雰囲気だこれ。

そこで、一旦心を立て直して、次のように言い直した。

「そんなにお母さんのことを好きに思ってくれてありがとう」

すると息子ははにかみながらにこっと笑って私の足に抱きつく。

ああ、今日も生きているだけで、なんてかわいいんだこの子は。



よく、子育ては親育てという。

知識や忍耐力、段取の立て方、マルチタスクへの対処法、思い通りにならない自然(子を含む)との対峙の仕方など、確かに鍛えられる部分は多い。

けれど、個人的には、「子にまっすぐ愛されてしまったがために、それに報いるために、それなりにまっとうに生きなきゃならないなぁ」というプレッシャーの力が一番大きいように思う。

もちろんこれはまだ息子が3歳と幼くて、彼の世界の登場人物が少なく、大人の庇護が必要という遺伝子レベルの刷り込みもあるだろうし、母である私の粗野な点にまだ気がついていないからなのだろう。

5年、10年と経っていけば視野も広がるし、反抗期もくる。身長も抜かされ、母親がうざったくなるもなるだろう。

考えただけで泣ける。

それはそれで順調に成長している証だから良いのだけれど、今の彼にとっては、私の存在が大きいようだから、戸惑いつつも彼の愛を受け止め、それなりに、ちゃんと生きようと思う。

まぁ、できる範囲でね。

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