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あれはママ友だったのだろうか

本人の名前も、連絡先も知らない。

何のお仕事をされていて、どのあたりに住んでいらっしゃるかもよくわからない。

一緒にお茶したこともない。

けれど、一時期ほぼ毎日、一緒に子どもを追いかけていた方がいた。
あれは、「ママ友」だったのだろうか。

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「ママ友」なるものがよくわからないまま私は母になり、息子は2歳を超えた。

学生時代からの友人が子持ちになって、結果的にママ友っぽくなったりはするが、子供が生まれてから新規に地域で親しくなった人はいない。

7ヶ月で保育園に預け始めたときはママ友なるものを少し意識したけれども、結局みな忙しいので、特に深くやりとりすることもないまま日々が過ぎていった。

それが快適だった。

「ママ」を切り口に親しくなろうにも、気が合わなければ無理がある。それに、人生においては「ママ」じゃなかった期間の方がまだ長い。ママというだけで仲良くなれる方がこわいと思っていた。そう考えている時点でわかるように、あまり人との交流が得意な方ではないのだ。

そんな私が、ひょんなことから同じ保育園のとあるお母さんと、ほぼ毎日一緒に帰ることとなった

最初に仲良くなったのは子どもたちだ。
子ども同士が同じクラスで仲が良いようで、いつからだったろうか、保育園からの帰り道に遭遇してからよく一緒に帰るようになったのだ

息子より30分先に降園するその子は、寄り道をしながら息子を待っていてくれる。
約束しているわけではない。
時には会えない日もあった。
それでも息子も楽しみにしていたようだ。ちょうど体力がついてきて寄り道をするようになった時期で、「〇〇ちゃんいるかなぁ」と期待しながら、過去に遭遇したルートを辿るのが、なんともかわいらしかった。

最短ルートをいけば大人の足で10分のところを、息子は30分から1時間、ひどい時はそれ以上かけて寄り道する。5時半頃降園しているのに、気がつけば7時前なんてこともあった。
するっとベビーカーに乗って帰るお子さんが羨ましい。一体何が違うんだろう。私よりずっと後に降園する親子に自転車で追い抜かれ、「あーあ」と思うこともあった。

でも、息子と2人きりだと早く帰りたくてイライラする道のりも、その親子と一緒になると楽しいものになった。

他人の目があると不思議とイライラも収まる。もちろん、あまりにも長時間になるとお互い早く進むよう促していたが、まだぽちゃりと丸いシルエットの二人が仲良く手をつなぎキャッキャしながら走る姿はとても愛らしかった。
私達より早く降園しているのに、寄り道に付き合っているそのお母さんには頭が下がった。

私たち母親は、保護者会等で面識はあったものの、最初はなんとなくお互い遠慮しあっていた。遭遇すると子供たちが盛り上がってしまい、寄り道時間が延びる傾向にあったので、「巻き込んでしまってすみません……」「いえいえそんな、こちらこそ!」と最初はお互い謝ってばかりいた。

それでも次第に打ち解け、さすがにこれだけの時間一緒にいれば会話も生まれる。次第に育児の悩みやたわいもないことをぽつりぽつりと話すようになっていった。

とはいえ基本的に私たちは子供たちを追いかけるので精一杯で、夏の盛りは汗だくに、冬場は震えながら、自由に歩き回る子どもたちを必死に追いかけた。

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その方は背が高く、すらっとしていて、どちらかといえば堅めの職場に勤めていらっしゃるのかな、という感じの服装をしていた。いつも綺麗で、背筋が通っており、立ち姿が美しい。レトロ調のパールイヤリングがとても似合う方だった。キャビンアテンダントとかしてそうだなと勝手にイメージしていたが、実際の職業は知らない。年齢は私と同じくらいか、少し上だろうか。

きっと家でも、家事とか料理とか、きちんとしてるんだろうなぁ。何も知らないのに、勝手にちょっと天上人のように感じていた。ところがある時、お迎えが重なって、保育園で息子が勝手にその方の膝に乗ってしまった際、明るくハイタッチしたりして遊んでくれているのを見て、以外と気さくなのだなと知った。実際にお話しするようになってみても、見た目も言葉遣いもとても綺麗なのに、フラットで親しみやすく、心を閉ざしがちな私でも話しやすかった。

今思うと、丁寧で、気さくだけど、不躾に近づき過ぎない距離感が心地よかったのだ。

「〇〇くんママ」というような呼び方をされた記憶がない。
かといって踏み込んで名前を聞かれたりもしなかった。
あんなに毎日会っていたけれど、連絡先を交換することはついぞなかった。お互い、夫の愚痴をこぼすことはあったが、夫の職業は聞いていない。
テレワークできないんですよね、なんで話はしたけれども、結局お互いの職種や業種は話していない。

軽く愚痴ることはあっても、うだうだと言い続けることはなかった。
どちらかというと、自然と前向きな方向に話が落ち着くことが多かったように思う。
それでもしんどいことを共有できて救われた。
お互いの子の良いところを見つけあった。
子供たちがあまりにも可愛くて、写真を撮りたくなったときは「写真を撮ってもいいですか?」とひと声かけてくれた。

そのすべてが、心地よかったなと思う。

この3月末で私たちは転園することになった。

最終日は、またあの親子に会えるかなとドキドキした。約束はないので、もう今日は会えないかもしれない。

「〇〇ちゃんいるかなぁ」とつぶやきながら息子は歩く。途中、「あ~!」っと駆け出した先に、いつもの2人の姿があってほっとした。

その日はお互い急かすことなく、いつもの散歩道を存分に味わった。最後にそのお母さんがちょっとしたお菓子をくださった。私も何か用意しようかなと思っていたけれど、コロナの騒ぎや日常に流されて何も用意できておらず、ただ頂くだけとなってしまった。ほんとそういうところが未熟で恥ずかしい。

また会う機会があったらきっとお返ししよう、きっと休日に公園等で会うこともあるだろう、と思っていた矢先、緊急事態宣言が出て、あれ以来会うことはできていない。

あの日も結局、連絡先を交換することはなかった。
どうかお元気で、いつもありがとうございましたと言い合って別れた。
きっと転園のことも、お別れのこともわかっていないだろうと思っていた息子が、別れ際に涙を浮かべていたのには2人して驚き、胸がきゅっとなった。

4月に入ってすぐ、感染拡大防止のため、急遽保育園の休園が決まった日、無性にあの方に会いたくなった。
たった一言でいい、「聞きました!?」「ね、休園!」と言葉を交わしたかった。

長引く自粛生活の中で、時折あの親子のことを思い出す。

名前も、連絡先も知らなくて、一緒にお茶したこともないけれど、もしかしたらあの方は私のはじめての「ママ友」だったのかもしれない。

元気で過ごしていらっしゃるといいな。

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